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街角の佇まい。
街角の佇まい。

 

いつ頃からだろうか、すでに忘れてしまったけれど、
街角にあるこういった場が気になる。つまり萌える。
光の具合、それが生み出す色や形、その佇まいに反応してしまう。
法則らしい法則はなく、遭遇した瞬間に「おッ!」と思って見入ってしまうのだ。
そのうちにカメラを持つようになるとこんな写真を撮るようになっていた。

 

じつは田圃を見る感覚もこのジャンルの中に含まれている。
そんなわけで僕の田圃を見る視点は一般的なそれとは少し違うのかもしれない。
東北地方をイメージするような広大な田圃にも、もちろん魅力に感じるのだけど
住宅や駐車場に囲まれた小さな田圃にも、ある種の美しさとともに魅力に感じるのだ。

 

こんな空間でも田圃でも、じっと見ているといろんなことに気づかされる。
例えば、見てないことに気づくんだ。
つまり見る人の都合で見ている。見たいものだけ見るという風かな。
事前にイメージしたものを探す。そう云ったほうがわかりやすいかもしれない。

 

見ているモノはコンクリートの路面と金属の壁であり、
その壁に残る得体の知れない染みなのだが、
それを全体として見た時に生まれる佇まいがある。
それは事前にイメージしていたものではなく遭遇してしまったモノ。
そういう風に田圃を捉えると、見えなかったモノが見えてくるんだ。

 

これじゃわかんないね。
いつかちゃんと説明できるようにしたいな。
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2011年01月27日 [ 3720hit ]
表現としてのカミアカリ。
表現としてのカミアカリ。

 

僕にとってカミアカリはアンコメの代表的商品という意味と
もう一つ大きな意味を持っている。
それは表現としての意味である。

 

栽培地の風土、人、技の違いが、それぞれ異なるカミアカリの風味風合いとして現れる。
その繊細で緻密で愛情の満ちている有様というか状態を、僕は美しいと感じている。

 

それはつまり、絵画や彫刻のように時空を越えて感じることのできる美しい状態でもなく
また、音楽のように再生可能な美しい状態でもない。
その時、その瞬間に現れる。つまり刹那として現れる状態なんだ。

 

その美しい状態を感受するためには、田圃からお茶碗まで、さらにその先までのすべてのことについて
見ること、知ること、食べること、そしてを想像することを、毎年、毎月、毎日、続けることが必要なんだ。
なぜならカミアカリは一瞬も立ち止まることなく変化し続けているからね。
だからまるごと受け入れなきゃいけない。ありのままを。

 

つまりそれが、僕の表現したいものなんだ。
それにぴったりくる語彙は今はない。
近い感じのする語彙をあてはめるとすれば芸術?アート?
いや、しっくりこないな。

 

この表現に名前なんて必要ないのかもしれない。
なぜなら何かの名前で呼ばれるほど今は確立されたものでもないし、
だいたい名付けるというのは、未来の人が過去を振り返った時に与えられる作業だと思っているからね。
後にルネッサンスと呼ばれた人たちは、
「俺たちルネッサンスだよな〜」なんて云ってなかったんだから。

 

まあ、ルネッサンスなんてほど壮大なことをやってるつもりは毛頭ないけれど
やってる最中は名前なんてなくていい。
つまり今、表現できそうでいるこの仕事のことを、そう思っているんだ。

 

今日こんな映画を観てさらに思いが深まった。
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画像:冬枯れの田圃にて。白化したカミアカリのひこばえ。
 

2011年01月23日 [ 3966hit ]
萌芽前夜。
萌芽前夜。

 

意図して種を蒔いてきたつもりもないけれど、なんというか、急に発芽するように事が動くことがある。
萌芽前夜はとても不安でしかたないのだけれど、

発芽らしきものがほんの僅かでも現れはじめると少しだけホッとて、

ああやっぱりこれでいいんだ。なんて自己肯定したりする。

 

しかし発芽した芽がすべて上手くいくことはないわけで、
上手く行かない時にはすこし自己幻滅してから、頭を掻きながらケセラセラと唄うのだ。
そんなことの繰り返しをひらすらやっている。
たぶんみんなもそうやって生きてるんですよね。
でもそういう心の波があることは、まんざらでもない、いやじつにいいことだと思うのだ。

 

100の内99は地味な仕事の積み重ねで
わずかに1つ興奮するような出来事がやってくる。
その高揚感が忘れられなくて99をひらすらやるんだよな。

 

今日、10年来付き合いのある尊敬する人から電話があった。
思いがけないアイデアの連絡だった。
だだ発芽するか否か?それはまだわからない。
でもそのアイデアはずっと心待ちにしていたことだから必ず挑戦する。

 

やらなかった後悔より、やって後悔するほうがいい。

 

いつもこんな風に思ってやっているからね。

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Ray Charles - Drown In My Own Tears


 

2011年01月20日 [ 3655hit ]
ミッション。
ミッション。

 

土曜日のSBS学苑パルシェ校での講座。「田んぼのめぐみとお米パワー2」。
1時間半、なんとか無事に使命を果たせました。
参加された皆さん、このチャンスを与えていただいたI博士、ご担当者のTさん、ありがとうございました。

 

田圃からお茶碗をテーマに、
お米が稲の種子であること、その種子が我々の糧であり、
糧の持つエネルギーが我々の行動やイメージを作っていること。
すなわち文化を作っていること。

 

地域、生産家によって異なる背景を持ち、
奇跡のようなこの複雑で豊かな稲と人の蜜月の関係が、
意図せず作り出した環境を我々が感受できること。

 

それらを作る人、商う人、食べる人の全体で共感するために
この関係をイメージすることのできる道具として巨大胚芽米カミアカリという
これまた奇跡そのものと云うべき品種が存在していること幸運。
それが目の前にある興奮を参加された方は、感じていただきたかった。

 

2011年のスタートとしては、とてもいい仕事をさせていただきました。
本当にありがとうございました。
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参加された方のブログ「タノシゴト・プロジェクト」から。

 

2011年01月17日 [ 3804hit ]
講座前夜。
講座前夜。

 

明日はいよいよSBS学苑パルシェ校で講座。
田んぼのめぐみとお米パワー2」である。
準備もできたし、話しの流れも大まかながらイメージできた。
あとは、当日の雰囲気で流れに乗ればいい時間が作れそうな予感がしている。

 

今回は農学博士の稲垣栄洋さんからバトンをもらい「田んぼのめぐみとお米パワー2」として話しをする。
テーマはやっぱり「田圃からお茶碗まで」となるだろう。
その中には、すでにインフォメーションされているご飯の炊き方も含まれているが、
たぶん参加される方は、この「田圃からお茶碗まで」の良い流れを感じていただければ
炊き方などの各論的ハウツーはおのずとご理解いただけるに違いない。

 

2011年最初の講座。というよりもプレゼンテーションかな。
それは、お米の価値の開拓。そのまだ見ぬ地平を目指す今年最初の一歩。
参加者皆さんには、いい時間だったと思っていただけるように、ちゃんとやりたいと思ってます。

どうぞよろしくお願いします!
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The Beatles - Across The Universe

 

2011年01月15日 [ 4000hit ]
こんなところを旅をしたっけな。
こんなところを旅をしたっけな。

 

今週末予定しているSBS学苑の講座で使う画像をあれやこれや選んでいたら
2年前の夏、東北を5日掛けて産地巡りの旅をした時の画像が目に止まった。

ここは新潟県の北部。胎内の海岸。
出張途中であったけれど、少しだけ時間があったので日本海をぶらぶら歩いた時に撮った。

 

太平洋岸民族である者にとって海を眺める時、
首から背中に太陽を感じるのが、じつに不思議な感じがしたことを思い出す。
その感触で、「ああここは日本海なんだ・・・海の向こうはロシアなんだ・・・」なんて思い、
井上靖の「おろしや国酔夢譚」の記憶が過ぎったりした。

 

さて、忙しいながらも旅の計画をしようかと思う。
今行ける!って時に、どこ行こうか?なんて云ってるようじゃどうもね・・・。
旅は初速が大事。なんて思っているものだから。

 

そういえば日曜日、ちょっとだけ旅気分を味わった。
地図も見ず、カーナビも見ず(付いていない)嗅覚だけでうろうろした。
どこに出るかわからない。数分先の未来に予想がつかない、あの感覚だ。
時間にすれば、たった数分か数十分のことなのだけど、
この感覚はまさに旅そのものだ。

 

嗅覚はじつに冴えていた。
古いフランスB級映画を見ているような殺風景な場が現れた。
風が強く、寒くて寒くてしかたなかったけれど、なんとも云えない開放感があった。
「旅は量じゃないよな。やっぱり質だよ。」を証明するような時間だった。

だけど、こんな時間が翌日も、その翌日もしばらく続くようなのもやっぱりいい。
量も質も欲張れるような旅ができるのは、いったいいつのことだろうか。
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2011年01月11日 [ 3858hit ]
田圃初日。
田圃初日。

 

 

今日、今年最初の田圃通いをした。
初日であるから初詣から始めることにした。
そこで昨年カミアカリツーリズムで訪れた大井浅間神社へ詣でた。
境内は誰一人いなかったが、見るからに仕立てた直したばかりと思われる注連縄が新年を感じさせてくれた。

 

今日は静岡特有の風の強い日だった。
雲ひとつない空だから日差しあるけれど、風に吹かれるから体感温度はかなり寒い。
そんな中、定点観測地を巡った。
想像していたとおり、稲のひこばえが白化していた。
その色合いは冬特有の光の加減で見ようによっては白金のようにも感じられる。

 

風に吹かれて寒くて寒くてしかない感じ。
背の低いひこばえがその風で波打つ感じ。
一瞬、風が凪いで暖かく感じるあの感じ。
畦の小さな野草がその震えを一瞬止める感じ。

 

この感じは今しかない。萌えるな。
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この日のレポートはあらためてアンコメ米作りプロジェクトのコンテンツで書きます。

2011年01月10日 [ 3777hit ]
軽トラで待つ。
軽トラで待つ。

 

1月15日(土)、SBS学苑パルシェ校で公開講座「田んぼのめぐみとお米パワー2」を予定している。
いつものことながら10日前頃になると、すこし慌てはじめる。
内容もほぼ決まっているから特別緊張することもなければ、心配することもないのだけど、どうも慌てはじめる。困った性分なのだ。

いい訳をしようかな。


毎回参加者の心に残る何かを仕込みたいと欲張るのが原因。サービス心旺盛なのだ。
田圃からお茶碗までを限られた場と時間の中で、より立体的に感じられるようにするためにはどうすればいいか?
言葉だけじゃなくて、五感をフルに使って感じてもらうにはどうすればいいか?
まあこんなことで頭を悩ませ、慌てるのだ。

 

お米という食べ物を説明するためには、視覚と聴覚だけではあまりにも足りない。
味覚や嗅覚、触覚などすべての感覚で感じてもらいたいのだ。
できることなら田圃の畦で講座をやりたいくらいだ。
それに近いイメージを持っていただくために、もうひとつ何かアイデアが欲しい。
そいつが出てこない・・・。

 

明日、配達で藁科川の上流へ行く。軽トラックで。
そういう時に沸いてくるかもな。
そいつが沸くまで待つとするか・・・。
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Doobie Brothers - Minute by Minute

 

2011年01月07日 [ 4085hit ]
始動初日。
始動初日。

 

アンコメ2011。無事始動しました。
1人少ないスタッフの人数ながら準備をきちんとしていたおかげで初日を無事に終えることができた。
よかったよかった。

 

僕も一日、配送現場をフルに走り回った。
昼間いっさいデスクワークはできなかったけど、その分を夜やり繰りしてなんとか一日分の仕事ができた。
たぶんこれから数ヶ月間、こんな日々が続くのと予想される。

 

だけど気分は晴れやかなのである。
これからを担うアンコメスタッフ陣たちが、作り出すかもしれない新たな店の有り様。
それを生み出すためのアイデアが生まれているからだ。

 

もっといきいきとした場にしたい。
立場に関係なく、何でも云い合えるような自由な気風を持った場。
スタッフにはアンコメを使って、やりたいことができるような場になってほしい。
そういう場になれば、店はもっと面白くなると思うからだ。

 

2011年はそういう元年になればいいと思っている。
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2011年01月06日 [ 3845hit ]
始動前日。
始動前日。

 

明日からいよいよ2011の仕事始め。
10年務めたスタッフが1人退職し、新人が決まるまでの中継ぎに、友人の手伝いが加わってのスタートとなる。
そこで、そのための下準備を午前中にやった。
配送車の整備と商品の積み込みなどだ。
しばらく配送の現場の中枢から離れていた僕も新人スタッフが決まるまで完全復帰となる。
朝、慌てなくてもいいように予定の決まっているところは全部準備した。

 

じつは十数年前も似たようなことがあった。
2人分の仕事を一人でやったことがあった。
その日がやってくる前日は、かなりナーバスになったが、なんとかやり抜いた。
もちろん朝から晩まで食事もまともに食べられなかったがやり抜いた。
数週間後には、リズムが掴めてふつうに動けるようになっていた。

 

明日からしばらくの間、配送の中心を担うであろうスタッフYは、年末の31日の夜に1月5日の準備を何度も確認していた。
その気持ちは、とてもよく分かる。きっと今もかなりナーバスになってるはずだ。
でも、大丈夫なことはこの僕が知っている。「心配するな」。

 

いよいよ明日から新しいアンコメの始まりである。
がんばろう!
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画像:準備が終わりダウンタウンへ自転車散歩。夕刻の市庁舎。
 

2011年01月04日 [ 3737hit ]
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