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2023年9月から定休日が変わりました。 アンコメ店主 |
土曜ときどき出店 7/1冷凍マグロのトライさん | |
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来る7月1日は冷凍マグロのトライさんが、アンコメの土曜ときどき出店にトライします。清水区にある大手冷凍マグロ卸会社の女性スタッフが小売りしてみた~い!と一念発起して始めた新事業。日ごろトン単位の商いが日常の彼らが、軽バンに冷凍ユニットを詰め込み、グラム単位で商う姿に商人魂を感じます。 みなみまぐろや、とろびんちょうの、ねぎとろや切り落としなどが、使いやすい小分けパック入りだから常備菜にピッタリ。高齢者家庭に強い味方です。専門会社だけあって品質はバッチリ。この機会に一度お試しください。 冷凍マグロのトライさん 「土曜日ときどき出店」について |
アンコメ感謝祭2023 1月28日開催 | |
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来る2023年1月28日(土)に4年ぶりに「アンコメ感謝祭」を開催することになりました。今回は6店の美味しいお店がアンコメに集合します。 ■八木田牡蠣商店(浜松市舞阪) ■ブロカントカフェ(富士宮市) ■やさし菜農園(富士宮市) ■IYAU(静岡市) ■丸福製茶(静岡市) ■かど万(藤枝市) ・甘酒(農園むすびの松浦さん 無農薬 ミルキークイーン使用)200g 450円 ・カミアカリ金山寺 ■アンコメ安東米店
※駐車場台数に限りがあります。ご近所の方は自転車か徒歩でおねがいします。 |
代替わりにまつわるあれこれ | |
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アンコメのような商店や農家のほとんどは家族経営である。大企業のように毎年新人社員が入社し、日々新陳代謝するそれとは違い、家族経営の事業所にとっての代替わりは、20~30年に一度やってくる大イベント。経営者が若返るだけで、様々な変化が起こり、停滞していた雰囲気に変化をもたらし活性化することもあれば、慣れ親しんできたものが失われることだってある。いづれにしても生き残るために、様々に変化をもたらすことには変わりない。 コシヒカリの稲刈り直前の8月11日、静岡県の西部、遠州森町の稲作農家、堀内さんを訪ねた。堀内さんのお米はアンコメの大定番、とくに「きぬむすめ」と「にこまる」は超人気米、それらを栽培する堀内さんは欠かすことできない生産者の一人である。それほどに重要な米であるため、栽培期間中の稲の生育状況が気になり、時々訪ねている。じつは堀内さんには伝えていないが、ドライブと称しで遠州地域をクルマやバイクで走りに行く途中、チラ見程度ながら、毎月見に行っているのは、ないしょの話である・・・(笑) じつは堀内さんのところは数年前に代替わりした。そこで、新社長と顔を合わせる度にアンコメ視点での意見や要望を伝えてきた。けっして無理強いをするつもりではないけれど、良い米をさらに良くするための提案だった。その行為を止めることは、相対的には後退しているように見えてしまうからだ。これは市場経済の節理みたいなもの、贖いようのないことと理解するほかない。互いに一人前のプロとして生き残るための欠かせないこととして提案してきたつもりだった。そして今回、うれしいことに、ようやくその目途がついた。思えば10年近く伝えてきたことだったが、代替わりもその変化のきっかけの一つだったに違いない。(先代社長の名誉のため言えば、数年前からそのための準備を先代がしていたことも今回話を聞いて知った) これはあくまでもアンコメの経験上のこととして聞いてほしいのだが、稲作生産者が代替わりする時、米の品質や食味が3年ほど少しだけブレることがある。(もしかするとプロでないとその微妙な変化は認知できないかもしれないが・・・)生産者は先代がこれまでやってきたことを踏襲しつつも、新世代として挑戦したいことや、やらなければならないことなど様々あるだろう。それら様々なことが田んぼや稲に馴染むまでに3年、つまり3作分の時間が必要というわけだ。一年一作ゆえに3年も掛かるが、その期間を脱した後のアップグレード感は3年我慢したかいがあるものとなる。いづれにせよ、常に変化に対応し、どんな時代、どんな状況でも「あ~やっぱりこの米いいな~」と感じられる米でないといけない。今回はそんな思いをあたらめて考えた機会であった。 堀内さん親子に感謝を込めて 画像:にこまる、収穫は10月初旬、今は身体を作っている真っ只中。 |
仕事に遊びに店主のお気に入り | |
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冬場精米工場の朝は5℃、昭和の灯油ストーブを焚いても、天井高のある工場の気温は上がることはない。コンプレッサー、色彩選別機、包装機・・・ウオームアップの必要な機器は早めに起動してから、各部の点検がてら、自分の身体も暖める。そうして準備が整ったところで、ようやく精米プラントが動き出す。 ここ数年、精米工場で履く靴は、ブランドストーンというメーカーのブーツを愛用している。ファッション性もなかなかなので、街でおしゃれに履きこなしている人も見かけることもあるこのブーツ、じつは全天候型で本国オーストラリアでは作業靴として愛用されているという。私もその愛用者のひとりです。 寒い工場でも足元の冷えを伝えず、グリップ感もしっかりあるから、30キロある米袋を担いで移動する時だっても足元は安心。何より雨の日の配達で長靴替わりにもなるのはじつに秀悦。私にとって強い味方なのです。もちろん仕事だけでなくオートバイに乗る時や様々な外遊びでは、悩むことなくいつもこれを履いて出かけるのです。このブーツを販売しているのが、静岡市葵区紺屋町にあるTHE NATURAL SHOE STORE(ザ・ナチュラルシューストア)さん。カラーバリエーションも豊富、ご興味ある方はぜひ行ってみてください。 |
フィルムの写真 | |
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テレビの取材依頼を受け、過去に撮影した田んぼ画像を久しぶりに整理している。 |
御神火竈 1 | |
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伊豆高原にある「GAKUSHA」称する学び舎で竈(かまど)をつくることになった。ご依頼をいただいたのが3月中旬、その後新型コロナウイルス感染の影響で動くことができず三ヵ月が過ぎ、6月はじめようやく最初の現地調査に出向いたのだった。スイハニングと同様、まずは先入観なしで現場を見ることから仕事を始めた。その理由はいたって単純、できるだけ外からもの持ち込まず「現場にあるもので工夫し作り上げたい」ただそれだけだ。 「GAKUSHA」は大室山南麓に位置し、お鉢を伏せたようなお馴染みの美しい眺望を眼前に見ることができる。その姿を見て浮かんだのが「御神火竈(ごじんかかまど)」思えば3年前、ハワイキラウエア火山へ行った際「これは超巨大竈だ!」と気づき興奮して以来「いつかこれを模した竈をつくってやろう」と妄想したことから、今回は大室山を模した形状で作ってみようと描き始めた。問題はその素材、何を基材にすべきなのか?ありきたりの耐熱煉瓦では面白くもなんともない。そこで敷地内をうろうろ歩き回りいいものを見つけた。溶岩である。調査した素材を持ち帰りデザイン設計したのがこの「御神火竈」溶岩を基材として大室山を模した造形、その噴火口に羽釜を載せ最大三升までスイハニングできる。たんに形状だけでなく理想のスイハニングのための燃焼もESI(エクストリーム・スイハニング・インターナショナル)技術隊員、小谷氏のアイデアを取り入れ可能な限り設計に盛り込んだ。施工は8月から数回に分けて行い、初竈開きは来年2月大室山山焼きの日に併せて行う予定だ。製作過程は今後もレポート致します。乞うご期待。 |
疫病退散! | |
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お取引先の料理人さんがSNSで書いていたこんな一節に目が止まる。 お金では買えないものや時間を最優先しながら行動していく過程、 疫病が蔓延している最中でも私たちは働き食べ眠る暮らしを送っている。 この疫病が終息した後、社会のパラダイムが変わるだろうという意見がある。 アマビエのイラストを描いてみて・・・という友人の誘いで描いてみた。 |
スイハニングレッスン@島田 | |
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毎年3月のお彼岸頃、静岡県島田市で行っている百人規模のスイハニングが今年はキャンセルになってしましった。原因は新型コロナウイルス感染予防のためのイベント開催自粛のためである。(参加予定されていた皆様、来年また元気にスイハニングしましょうね) 偶然同じ島田市で古い民家を別荘のようにして利用している知人から、釜戸でご飯炊きを指南してほしいと依頼され個人レッスンに行ってきた。現場は静岡県島田市身成、いわゆる川根茶と称される茶産地に位置した茶畑に囲まれた集落にその民家はった。その家の厨房にはタイル化粧張りモルタル造二口の釜戸があった。それは旧家でよく見るような特注の大規模なものでなく、昔はよく萬屋(今でいうホームセンター的な品揃えの店)の店頭で売っていたような量産品で昭和の時代には時々見かけたものだった。釜戸の横には、知人がどこかの古道具屋で手に入れたらしい羽釜がぽつりと置かれていて我流で何度か挑戦したらしいことが釜底の焦げ跡から察せられた。 しっかりと(2時間以上)浸漬した「山形おきたま歌丸雪若丸」と「静岡森町堀内米にこまる」を、それぞれ一升五合ほど用意し、水を切って浸漬米の重さ計る。その重さの90%の重さの水を計り、羽釜の中に米とその水を入れ準備完了。焚き付け用に杉の葉を使うつもりがうっかり忘れたので新聞紙を使うことにした。どんな調理も共通と思うが、木質燃料&羽釜によるスイハニングは下準備がとても重要だ。とくに燃料の薪は鉈で最低でも3サイズくらい(極細、細、やや細)に仕立てておくと火のコントロールが俄然容易になる。というかこれら下準備でスイハニングの70%は終わっていると言ってもいい。残り30%が点火以降の熱管理となるが、これはお馴染みのこの言い伝え(以下)とおりに行っていく。所要時間はたった30分、その中でも沸騰到達までの約10分間はスイハニストにとって、どんな飯を描くかを創造する肝の時間となる。ことに沸騰直前の温度管理に集中している時、傍らに「釜戸の神さま」を感じる幸せな一瞬が訪れる。 はじめチョロチョロ 釜の中の水がなくなると釜内は100度を越え釜肌に触れている米はブツブツと言い始める。火はおき火にし蒸し状態に入りじっくりと温度を下げていく、下げすぎたと感じたらワラを一握り程度の燃料を釜戸へ放り込む。15分の蒸し時間は短いようで長い。長い蒸し時間を終えたら、すぐに蓋を開けご飯をほぐしながら空気に触れさせる。その瞬間に表面がコートされキラキラと輝きはじめる。こうやって生まれた飯は、なにもせず、すぐにほおばりたい。プレーンな味わいと何よりもその食感をダイレクトに感じられるからだ。 そんな儀式のあとに、塩おむすびを作ることにした。塩味が米が持つ味わいの輪郭を引き立たせてくれる。いくつおむすびを作ったのだろうか?知人とその仲間たちは作るそばからあっという間に平らげていった。 |
そろそろ創業100年なのか? | |
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アンコメの前身は大正年間に静岡市内浅間町で専業の米屋でなく兄弟で営む商い一部として始まったようです。その後、昭和になった頃、二代目軍平が賎機山に登り眼下に見える安東で新たに店を出す決意したという。そして現在の地で「清水屋米店」を開店します。戦中戦後は安東地区の配給所「静岡米穀企業組合安東販売所」の名称となり昭和27年以降より「企業組合安東米店」とし現在に至るわけです。 休日に散歩がてらその場所を久々に歩いてみた。大岩の天徳院から登り、尾根伝いに賎機山城址~賤機山公園山頂~浅間神社を約2時間ほど祖父軍平のことを考えながら歩く。歩きながら、もしかすると大正年間、浅間町で商いをしていた頃を入れれば「そろそろ100年近く商売しているんじゃないのか?」と思ったのだ。 大正、昭和、平成、そして令和、時代は変われど、ここから見える景色は軍平が見たそれとさほど変わらない気がした。 画像上:図書館を左に見て通りを行けば右手にアンコメが見えてくる。 |