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表現としてのカミアカリ。

 

僕にとってカミアカリはアンコメの代表的商品という意味と
もう一つ大きな意味を持っている。
それは表現としての意味である。

 

栽培地の風土、人、技の違いが、それぞれ異なるカミアカリの風味風合いとして現れる。
その繊細で緻密で愛情の満ちている有様というか状態を、僕は美しいと感じている。

 

それはつまり、絵画や彫刻のように時空を越えて感じることのできる美しい状態でもなく
また、音楽のように再生可能な美しい状態でもない。
その時、その瞬間に現れる。つまり刹那として現れる状態なんだ。

 

その美しい状態を感受するためには、田圃からお茶碗まで、さらにその先までのすべてのことについて
見ること、知ること、食べること、そしてを想像することを、毎年、毎月、毎日、続けることが必要なんだ。
なぜならカミアカリは一瞬も立ち止まることなく変化し続けているからね。
だからまるごと受け入れなきゃいけない。ありのままを。

 

つまりそれが、僕の表現したいものなんだ。
それにぴったりくる語彙は今はない。
近い感じのする語彙をあてはめるとすれば芸術?アート?
いや、しっくりこないな。

 

この表現に名前なんて必要ないのかもしれない。
なぜなら何かの名前で呼ばれるほど今は確立されたものでもないし、
だいたい名付けるというのは、未来の人が過去を振り返った時に与えられる作業だと思っているからね。
後にルネッサンスと呼ばれた人たちは、
「俺たちルネッサンスだよな〜」なんて云ってなかったんだから。

 

まあ、ルネッサンスなんてほど壮大なことをやってるつもりは毛頭ないけれど
やってる最中は名前なんてなくていい。
つまり今、表現できそうでいるこの仕事のことを、そう思っているんだ。

 

今日こんな映画を観てさらに思いが深まった。
_

 

画像:冬枯れの田圃にて。白化したカミアカリのひこばえ。
 

2011年01月23日 [ 3972hit ]
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