TOP  >  ankome通信  >  米屋のいい訳
旅する羽釜 ハワイ旅 3
旅する羽釜 ハワイ旅 3

 

2017年5月20~25日、ハワイ州ホノルルにある日本米専門店「The rice factory honolulu」で、巨大胚芽米カミアカリの試食会のため羽釜スイハニング(炊き)してきました。これはそのレポートです。

 

5月21日日曜日、今日のスイハニングはお昼からというので、少し寝坊した。
借りたアパートは病院の近くだったこともあり、夜中は救急車が頻繁に行き来していたが
疲れもあってかそんな騒音も気にせず爆睡だった。

10時過ぎ、今日も日差しが強く蒸し暑い。牛島さんがクルマで迎えにやってきた。
昨日とは違い交通量ガラガラの市内をクルマで疾走、カーラジオから流れるのは昭和の歌謡曲。
ハワイらしい青空に巨大な街路樹(アメリカネムノキ)と昭和歌謡のミスマッチ、なんだか面白い。

今日はthe rice factory honoluluでスイハニング。
昨日同様にタープを立てテーブルと看板を置きコンロを設える。
風が強いのでコンロの周りに段ボールで風防をつくる。
これだと見栄えがイマイチで昨日のファーマーズマーケットなら間違いなくNGな感じ(笑)
けれど美味しくスイハニングすることが最優先!見た目は二の次、三の次!
カミアカリ(玄米)のスイハニング時間は蒸らしも入れて約50分、
12時前には炊き上げるべく即点火。8分で沸騰、いいタイムだ!

そのまま火加減しながら沸騰維持。ふと周囲を眺める。
となりの倉庫はベトナム出身の方が経営する会社の倉庫。そこんちのおばちゃんがバンに荷物を積み込んでいる。
塀の向こうは、やっちゃしている風の改造車が出たり入ったり。そのまた奥から夫婦喧嘩の声がする。
観光地ではないふつうの暮らしがそこに感じとれる。どうってことのない暮らしの只中にいるこの快感。
周囲と自分の境界がとけていくような肌感覚、ようやくこの場に馴染んできていることに気づく。
僕にとってこれが旅の醍醐味だ。

そんな感傷に耽っている間に、羽釜からいい香りとあの音が聞こえきた。
プチプチパチパチ・・・釜肌に水気の減った飯粒が接する時の音だ。
ちょうどその頃にギャラリーも集まって来た。
the rice factory honoluluの御常連、日系の方々だ。
待ちきれないご様子でニヤニヤしながら何度も聞いてくる。

how many minutes?
15minutes!

how many minutes?
10minutes!

how many minutes?
5minutes!

how many minutes?
Done!

カミアカリのおこげから、あのチョコレートを思わせる香ばしい香りがしている。
3回目は快心の出来だった。時を同じくして平行してスイハニングしていた「ゆめぴりか」も炊き上がった。
こちらは白米らしくピカピカに光っている。
おむすび隊が速攻でおむすびをむすんでいく。
むすんだ傍から待ってましたとばかりに御常連の皆さんがほうばっていく。
ニコニコしながらたべる姿、その姿のなんとも幸せそうなことか・・・。
その姿を見、ハワイスイハニング、ミッションコンプリートを実感した。

この後、地元の食関係のメディアの方も数名来られ、
カミアカリのこれまでの生い立ち、ハワイ上陸の経緯、スイハニングのことなどお話ししました。
ここはもちろん日本語ですがね・・・汗
こうして2日間6回のハワイスイハニング、無事にやり遂げました。

旅する羽釜 ハワイ旅 番外編へつづく


<ありがとう!感謝をコメて!>
Wakka Japan 出口さん
the rice factory honoluluの牛島さん、小林さん、スタッフの皆さん
ESI田中隊員、おむすび隊高部隊員
アンコメスタッフ
_

2017年06月13日 [ 339hit ]
旅する羽釜 ハワイ旅 2
旅する羽釜 ハワイ旅 2

 

2017年5月20~25日、ハワイ州ホノルルにある日本米専門店「The rice factory honolulu」で、巨大胚芽米カミアカリの試食会のため羽釜スイハニング(炊き)してきました。これはそのレポートです。

 

5月20日土曜日、今日は午前中カカアコ地区で毎週末行われるファーマーズマーケット、
午後はthe rice factory honoluluで「カミアカリ」と「ゆめぴりか」を羽釜でスイハニング。
それぞれの会場へ来られる方へテイスティングしてもらおうという計画。

7時半、牛島さんとスタッフ君、僕と田中ペアの5人で設営開始。
タープを立てテーブルを設え、昨日作った看板を立て、スイハニング用のコンロのセッティング。
試しに点火してみる。すると炎が見えにくい。熱量を感じつつもプロパンガスが燃える青い炎が見えにくいのだ。
以前、同じ燃料の炎でも北海道と沖縄ではその色合いや見え方が違うと、学んだことがある。
緯度が下がるほど炎が見えにくいとは知っていたが、こんなにも見えないとは・・・
ホノルルの緯度は北緯21°19、台湾くらいの緯度、炎の見え方で南の島にいることをようやく実感。

スイハニングはいつもアウェイ、毎度のことながら何が起こるかわからない。
海外ということもあり、やはりと言うか、ある程度想定していたことが起きた。
コンロのパワーが足りない・・・。
1.5升のカミアカリを羽釜で炊くには、借りたコンロはやはり非力だった。
パワー全開でも沸騰までの到達時間がやっとさ13分。
7~10分の沸騰到達時間を目指すには、このコンロでは炊飯量を減量するほかにない。
しかしすでに遅し。。。
そこで火力を落とさず、強火のまま沸騰維持することにした。
それが功を奏し、狙いよりも若干柔らかめながら、カミアカリらいプチプチ食感に仕上がった。

ホッとするのもつかの間、珍しがってやって来たギャラリーが炊き上がったばかりの羽釜の周りに集まっている。
ここからは「おむすび隊」の腕の見せどころ。
準備しておいた笹の葉の上に、ひと口大にかるく結んだおむすびを並べていく。
並べていく間もなく、平らげていく。
結んではたべ、結んではたべ・・・30分そこそこで釜の底が見えた。

pan fry!(おこげを、こう表現していた記憶あり・・・記憶違いしているかもだけど)
ニッポン人にとってはお楽しみ。なべ底のおこげ。この反応が面白かった。
日系の方の多くは嬉しがっていたけど、それ以外の方はどうもNGみたいだった。
お国は同じでもそれぞれの人が持っている歴史や食文化の違いを「おこげ」で垣間見ることができた。

午後はthe rice factory honoluluへ移動してもう1ラウンド。
こちらも事前告知のおかげで、この店のご常連が多数やって来てくれた。
午前中のスイハニングの結果を踏まえ修正をしたこともあり、午後はパーフェクト!
お客様とのコニュニケーションの余裕も生まれた。
日系ご年配のお客様の中には、羽釜を見て「おばあさんが使っていた懐かしい・・・」とおっしゃられる方や
玄米の炊き方について詳しくご質問される方など、やさしい家族的な雰囲気の中、コニュニケーションができた。

この日は用意した1パウンド(約450グラム)入りお試しパックのカミアカリはみるみるうちに売り切れた。
明日は昼からもう1ラウンド!カミアカリがハワイに定着すべくミッションは続く。
_

画像上:ザ、カミアカリ!
画像中:お客は地元の方ばかり、カカアコのファーマーズマーケット。主催者の方から店の設えやディスプレイについて「美しくして!」と指摘。美しくないのは、なによりNGとのこと。汗
画像下:the rice factory honoluluにて。

2017年06月08日 [ 361hit ]
旅する羽釜 ハワイの旅 1
旅する羽釜 ハワイの旅 1

 

2017年5月20~25日、ハワイ州ホノルルにある日本米専門店「The rice factory honolulu」で巨大胚芽米カミアカリの試食会のため、羽釜スイハニング(炊き)してきました。これはそのレポートです。


かつて羽釜はその小さな翼で大空を駆け世界を旅していた・・・
羽釜の、あまりにも日本的なカタチを眺めるたびに、そんな物語りを夢想する。
2013年の夏、フランス、シャンパーニュ地方で行われた能イベントへ旅して以来の海外への旅、
それは、些細な冗談話しからはじまった。

海外で日本の米を専門に販売しているWakka Japanの出口さんが玄米食専用品種カミアカリを販売することになり、
そのホノルル支店(The rice factory honolulu)の担当者、牛島さんが打ち合わせのため来静した1月後半、
ミーティングで5月の連休明けに実験販売の日程が決まった。
当日は試食も提供するというので「それじゃスイハニングしに行っちゃおうかな~?」
とまあ半分冗談、半分本気で話をしたら、「ぜひお願いします!」と返ってきた。
こうしてハワイでのスイハニングの計画が始まった。

当日のオペレーションや機材などの細かな点はメールのやりとりでほぼ決まった。
暗中模索だったフランススイハニングの時とは異なり、今回は現地の牛島さんがばっちり段取りを組んでくれた。
それだけでなくフランススイハニングの時と同様にESI(※)田中隊員がご夫婦でサポートで同行することにもなった。
慣れたメンツと現地スタッフのフルサポート!(ありがたや~)
とまあ、そんなこんなで気付けば出発の日、5月20日がやってきた。

5月20日の21時過ぎの便でホノルルへ、5月19日午前中に到着。
早速、翌日早朝から始まるファーマーズマーケットでのスイハニング向け準備を開始。
まずは業務用コンロを借りに郊外のレンタル機器店へ、
事前に牛島さんが手配してくれていたこともあり、現物を確認するのみ。
The rice factory honoluluに戻り、その他の機材の確認と2日で6回スイハニングするお米の計算・・・etc。
今回はカミアカリとThe rice factory honoluluの人気米「北海道ゆめぴりか」の白米もスイハニングすることになった。

準備が終わった後は近所のスーパーで食糧調達。
これから3日間過ごすアパートへ散歩がてら移動、観光客の人影もない郊外の道を1時間くらい歩いただろうか?
病院裏の2階建てアパートへようやく到着。
予想外の蒸し暑さと若干の睡眠不足か、到着後速攻でソファ倒れ込んでしまった。(つづく)

※ESI(エクストリーム・スイハニング・インターナショナル)カミアカリの勉強会「カミアカリドリーム勉強会」の炊飯担当部隊。会のスピンアウト企画としてはじまり、独自の炊飯活動を実践中。
_

画像上:ファーマーズマーケットにて
画像中:The rice factory honoluluで看板制作中
画像下:散歩がてら移動中、この島出身のこの方の壁画に遭遇

2017年05月27日 [ 451hit ]
200人スイハニング
200人スイハニング

 

去る4月14日、200人の大学生相手にスイハニングワークショップを行った。
大学は埼玉県にある東洋大学ライフデザイン学部人間環境デザイン学科の新一年生。
授業が本格的に始まる前の新入生歓迎イベントとして開催された。

羽釜は全部で20釜、今まで見たことのない数。。。
それらが一斉に点火!
メガホン片手にレクチャーするも四苦八苦。
けれど、薪の燃える熱と金属の羽釜の相性はやっぱりいい。
羽釜スイハニング初めてでも大ハズレすることはなかった。
お焦げができたチーム、火加減ピッタリでドンピシャのスイハニングできたチーム、
チームごと様々な炊き上がりながらも、どの釜も美味しく個性的なご飯がスイハニングできました。

炊き上がったご飯は、アツアツのうちに、おむすびを作ってもらった。
今回は具なしの「塩むすび」。
海塩、岩塩、国産、外国産など数種の塩で味比べを試みた。

米どころ出身の学生さんからも「めっちゃ美味しいです!」と言葉が出るほど会心の出来映え。
火の付け方もおぼつかなかった彼らも、こうやってたった一度とはいえ、
スイハニング体験したことで自信が付いたのではないだろうか?
きっとまたどこかでこんな機会があった時には、頼もしくスイハニングしてくれることを祈る。
ミッションコンプリート!楽しいスイハニングをありがとう!

<感謝をコメて>
東洋大学の柏樹先生、教職員の皆さま
人間環境デザイン学科の新一年生のみなさん
ESI田中隊員
おつかれさまでした!&ありがとうございました!

2017年04月24日 [ 515hit ]
スイハニングのルーツを探る旅 6
スイハニングのルーツを探る旅 6

 

場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。


スイハニングのルーツを探る旅 5 の続き


アートロ(登呂会議)の活動拠点である登呂遺跡、その暮らしの痕跡のあった約2000年前の弥生時代から、
炊飯(煮る、蒸す、焼く)の技術が完成するには、それから約1500年の時間を待たなくてはならない。
このことに気付いたのは、登呂遺跡から出土した台付甕型土器という煮炊き用土器が、そのきっかけだった。

この形の土器は、弥生時代から古墳時代初期に使われていたもので、
その名のとおり甕の底にコップをひっくり返したような形の脚台が付いていることから、こう呼ばれる。
おもに東海地域から北関東までの太平洋岸の地域で出土されることから、この地域で多く使われていたとされている。
ある時期を境に使われなくなるのだが、これもまたスイハニングのルーツに関わるポイントなのでぜひ記憶してほしい。

この台付甕型土器、不思議なことに蓋に相当する遺物が出ていない。
そのことから「蓋なし」が定説となっている。
じつは、この「蓋なし」が私の「スイハニングのルーツを探る旅」の、きっかけだった。

もしこれが事実なら、台付甕型土器による調理は、「煮る、焼く、蒸す」の複合加熱、つまり炊飯ではないことになる。
なぜなら「蒸す」という加熱調理は、蓋をすることで鍋釜内に水蒸気を満たすことで可能になった加熱調理法、
ゆえに蓋のない台付甕型土器による加熱調理は、単に「煮る」のみだと気付いたからだ。

一般的には、考古の専門家の解説では「煮炊き=炊く」と表現する場合が多く、それ自体は誤りではないが、
末席とはいえ、炊飯の専門家としての希望を申し上げると、ここは分けて考えてほしいところ。
台付甕型土器による加熱調理は、「煮る」だと言わせてほしい。
このことから弥生時代には「煮る、焼く、蒸す=炊飯」には、まだ至っていないと理解した。

その後古墳時代となると、朝鮮半島から最新設備が入ってくる。
この設備の導入によって、縄文時代から築きあげてきた加熱調理技術に革新的な飛躍が起こった?!
という話は次回にします。

つづく
_

画像上:春の海、三浦半島胴網海岸でスイハニング(2016)周辺を15分ほど柴刈すれば二釜分以上の燃料はすぐ調達できる。この列島のなんと豊かなことか!
画像下:アートロ(登呂会議)の活動で行っている台付甕型土器での煮炊き。気付けば3口コンロのような姿に。ちなみに手前は土器と同じ形状をアルミ鍋メーカーに作ってもらったもの。

2017年03月16日 [ 623hit ]
スイハニングのルーツを探る旅 5
スイハニングのルーツを探る旅 5

 

場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。


スイハニングのルーツを探る旅 4 の続き


何かの理由で長年に渡り食糧調達が困難になったことをきっかけに
やむをえず平場(平野部)の農耕ライフへシフトしていった・・・。
あくまでも私の空想ではあるものの、
このブログを読んでくれた友人がこんなコメントを私のSNSへ寄せてくれた。

「人口は、縄文ピークで26万人、それが後期で10万人という試算がでています。寒冷化のほかに、大陸からの病気説もあるそうです。弥生は60万人、ピークは100万人と大増加、やはり水田稲作がヒットしたことは間違いないですよね!」

いづれにせよネイティブニッポン列島人(縄文人)ライフを継続する人は減り、
多くは、大陸から来た渡来人たちと少しづつにせよ血を交えながら農耕を中心としたライフスタイルへと変化していったに違いない。
高度な水田稲作技術を持った渡来人と高度な煮炊き技術を醸成してきた縄文人、
両者の血を引き、両者の技術を継承していった人々、この混血の人々をニッポン人と呼ぶとすれば、
その人たちがスイハニング(炊飯)の礎を作っていったと考えていいだろう。

しかしそのニッポン人がいきなり「炊飯」を完成させたわけではない。
登呂遺跡でのアートロ(登呂会議)の活動を通じて
出土した土器(台付甕型土器)のレプリカで煮炊き実験を試行錯誤しながら考えてみると
登呂のあった弥生時代から約1500年の時間を待たなくてはならない。

つづく
_

画像上:有機米生産者、松下さんの作業場で度々行われる講座で彼の米をスイハニング(2013)土鍋は1700℃のガスの炎に出会ってはじめてその秘めた力が覚醒されたと思う。
画像下:千葉県佐倉市の歴博(国立歴史民俗博物館)は数日かけてじっくり見たい。第一展示室のスタートはこれら縄文土器が迎えてくれる。

2017年03月12日 [ 616hit ]
スイハニングのルーツを探る旅 4
スイハニングのルーツを探る旅 4

 

場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。


スイハニングのルーツを探る旅 3 の続き


一万年以上かけ豊かな自然の中で狩猟採集+ちょっぴり栽培で暮らしてたご先祖さんたちが、
農耕ライフに変えたくなっちゃった理由とは何か?
その理由にはやはり「米を喰う」中にあるはずなのだが、その動機ってなんだろうか?

前回書いたように、木の実に比べれば
アクもなく少ない燃料であっという間に消化吸収できるデンプンに調理できる米は
縄文人にとっては、じつにやさしい食材に感じたはずだ。

そもそも渡来人が運んできた稲の種類はごく限られた種類だったらしい。
命がけで海を渡り新天地を目指す人の立場で考えるなら、どんな環境にも耐え、病気に強く、収量が安定し、
しかも食味も良い、選りすぐりの種籾を携え海を渡ったはずだ。
そんな選ばれた種籾と洗練された栽培技術で収穫された米が食材として悪いはずがない。
その米が、一万年以上かけて様々な植物種子(木の実)を調理し、高度に成熟した加熱調理技術と出会った。
大陸に比べて豊富で質の高い水のあるニッポン列島で調理された米は、
ご先祖さんたちはもちろん、渡来人にとっても祖国のそれよりも美味しかったかもしれない。

ただひとつ考えどころなのが出会ったばかりのご先祖さんたちにとっての米は、
喰って旨くとも、その飯にありつけるためにかけるエネルギーと、
これまでどおりの食生活にかけるエネルギーとを比べた時、
やすやすと前者(稲作農耕ライフ)へシフトしたとはやはり考えにくい。
安定した里山暮らしではなく、変化の激しい平場暮らしへライフスタイルを変えていく動機付けとは何だろうか?

ここは多くの人で空想してほしいポイントなんだけど、私はこんな空想をしている。
それは山の実りが悪い年に奥山に住む動物が食糧を求めて町場にやって来ることが時々あるが、
もしかしたら、これと同じようなことがご先祖さんたち身にも、起こったのではないだろうか?
その原因は知る由もないが、何かの理由で長年に渡り食糧調達が困難になったことをきっかけに
やむをえず平場の農耕ライフへシフトしていった・・・そんな空想をめぐらせているのだ。

つづく
_

画像上:フレンチレストランでカミアカリスイハニング(2013)1700℃の炎の火加減をしながら、木が燃える800℃の炎と金属羽釜の意味に気づく。
画像下:オニグルミの殻の出土品。三内丸山遺跡、縄文時代前期

2017年03月10日 [ 576hit ]
スイハニングのルーツを探る旅 3
スイハニングのルーツを探る旅 3

 

場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。


スイハニングのルーツを探る旅 2 の続き


やむをえず食べることになった木の実が、この技術によって食糧の一握を担うことになり、
その後、縄文という長い時間をかけ技術が研かれていったのではないだろうか?
そんなライフスタイルが醸成されていた縄文晩期のある日、
ご先祖たちの前に見知らぬ顔立ちの人たちが持ち込んだ「稲」と出会う。
栽培技術と共にやって来た稲は、ちょっとしたブームになったのではなかろうか?
稲は北海道を除く列島各所に、わりと短時間で広がった。(その一部は廃れる地域もあり続縄文へ)
つまり木の実を美味しく、エネルギー効率良く調理する洗練された技を持っていた縄文人のところへ稲の種子「米」がやって来た。
その時、米を喰ったご先祖たちは、きっとこう思ったのではないだろうか。

「木の実に比べたら、どうってことね~な~」

アクもなく少ない燃料であっという間に消化吸収できるデンプンに調理できる、
はるかにやさしい植物種子だったと感じたに違いない。
とはいうものの、主食を担うだけの量を確保するには高い栽培技術に加え、長い時間と労働が必要だった。
一万年以上かけてニッポン列島の豊かな自然の中で狩猟採集+ちょっぴり栽培で
暮らしが成り立たせてきたご先祖さんたちが、わざわざ労働環境を変えてまで農耕ライフにシフトするとは考えにくい。そもそも「労働」という概念も持っていたかどうかも怪しい気がする。

本格的に稲作が始まるのは精緻な土木技術によって生まれた洗練された水田稲作が始まった頃のこと、
その社会的変化を称して弥生時代と呼ぶことになるのだが、
その時、ご先祖さんに何があったのか?
ライフスタイルを変えたくなっちゃった何かが「米を喰う」中に潜んでいる気がしてならない。

つづく
_

画像上:松坂屋静岡店の初売りイベントで5釜連続で玄米食専用品種カミアカリをスイハニング(2017)
画像下:サケやマス類を煮炊きしたと考えられている世界最古の煮炊き跡のある土器(北海道帯広市大正遺跡出土)

2017年03月08日 [ 617hit ]
スイハニングのルーツを探る旅 2
スイハニングのルーツを探る旅 2

 

場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。


スイハニングのルーツを探る旅 1 の続き


米食後発組でありながら、なぜこんな高度な調理技術「炊飯」が生まれたのか?
私はこんな仮説を思い描きはじめている。

「植物種子を加熱調理するための成熟した技術を持ったご先祖さんたちの前に『米』がやって来た!」

ニッポン列島がまだ大陸と地続きだった時代、大型動物を追いかけて移動してきた先人たちは、
氷河期の終焉とともに上昇する海水面によって大陸と隔てられしまう。
列島状になった島々に孤立した先人たちは、残された動物を徐々に食い尽していった。
狩猟の対象が大型動物のみならず、漁労へも向かう中、
温暖化が進む森林では針葉樹林から、ドングリなどの木の実を実らされる照葉樹林へ少しづつ変化していく。
その時、我々のご先祖たち(ネイティブニッポン列島)は、
皮肉にも気候変動によって身近になった木の実を採集(後に栽培)し、そのデンプンを食糧の一部としていった。
しかしその多くはアクがあり、生のまま食べられるものではなかった。
そこで肉や魚などの動物性タンパク質を土器を用いて煮炊きして食すのと同様に、
採取した木の実を煮てみた。すると煮ることでアク抜きができることに気づく。
同時に木の実の生デンプンをアルファ化(消化吸収できるデンプン)し効率よくエネルギーを摂取できるようにもなった。
やむをえず(?)食べることになった木の実が、この技術によって食糧の一握を担うことになり
その後、縄文という長い時間をかけ技術が研かれていったのではないだろうか?

つづく
_

画像上:初の海外スイハニングはフランス、フェール城「能」イベント(2013)ピレネーの軟水とゲランドの塩でカミアカリお結びを作る。
画像下:縄文時代初期の煮炊き用土器(秋田市地蔵田遺跡)

2017年03月07日 [ 610hit ]
スイハニングのルーツを探る旅 1
スイハニングのルーツを探る旅 1

 

炊飯はニッポン列島で生まれた独自調理技術だということは、ここでも何度か書いてきた。
「煮る、焼く、蒸す」
この3つの加熱調理技術を、ひとつの鍋釜の中で水加減火加減だけで連続して行う調理。
この繊細さと大胆さを併せ持つ調理技術から生まれる「ご飯」の魅力は、いまさら説明の必要はない。
素材の持つ力を十二分以上に引き出す上に、米を吸収しやすく効率の良いエネルギーとする調理技術。

その技術はどういう経緯で生まれたのかを知りたくて
スイハニングと称し様々な方法、様々な場所で炊飯を実践してきた。
また登呂遺跡での活動(アートロ:登呂会議)を通じて過去に戻って考えてもきた。
そんなわけで、この探求は、すっかり私のライフワークとなっている。
探求の過程で湧いたひとつの疑問がある。それはこんなものだ。

縄文時代の晩期、渡来人によって稲が大陸からやってきて以来、
この列島で少しづつ稲の種子「米」をたべる食文化が広がっていった。
しかし「炊飯」という技術が生まれたのは、米食文化圏の東アジアの中にあってニッポン列島だけで起こった。
しかも米食後発組でありながら、なぜこんな高度な技術が生まれたのか?
僕がこれまで見知った経験から、ある仮説を思い描きはじめている。

つづく
_

画像上:南阿蘇で地元の有機米をスイハニング(2014)地元の米を地元の水と燃料でスイハニングする醍醐味は格別!
画像下:佐賀県吉野ヶ里遺跡。登呂で見慣れた弥生の姿からすると、こちらの弥生は、はるかに都会的に見えた。

2017年03月06日 [ 570hit ]
11 - 20 件目 ( 607 件中)    1 2 3 4 5 6 7 8 ... 61