TOP  >  ankome通信  >  米屋のいい訳
水田徘徊 ちょっと寄り道、喜多方界隈。
水田徘徊 ちょっと寄り道、喜多方界隈。

 

八月六日

 

もう一度だけ菅井さんの田んぼ周りしてから喜多方市内を見学した。
喜多方と言えば蔵。
何度も訪ねていても知らないところはたくさんある。
今回はレンガ造りの蔵を見に岩月町若菜家へ行った。

 

堅固なレンガ造りの蔵が四棟あった。
裏山の土と松を原料に焼かれたレンガ。
この土地の同じ部落にあるレンガ工場で丹念に焼かれたという。
それらが複雑に積み重ねられ美しい意匠を醸しだしている。

 

歩いて行けるところにレンガ工場があった。
今は立派な登り窯を持つそのレンガ工場も静かに夏草に覆われていた。
土と松の枯渇、そして価格競争。

産業とはそういうものなのか?
ヤレタ煙突を眺めながら往時を妄想した。
_

2011年08月12日 [ 3547hit ]
水田徘徊 福島会津喜多方熱塩加納町。
水田徘徊 福島会津喜多方熱塩加納町。

 

八月五日夕刻

 

ここには、稲の神さまがいる・・・。
5年前、松下と共に初めてここに来た時の強烈な印象が甦った。

 

米沢から大峠を越えて福島の会津地方に入る。
喜多方駅でおちあう予定の松下を拾い、そのまま熱塩加納町の菅井さんの家へ走る。
ちょうど日が蔭り始める頃、稲がもっとも美しい時、輝き始める時間。
挨拶もそこそこに菅井さんと共にカミアカリの田んぼへ走った。

 

一枚3反部が4枚、すべてカミアカリ。その生長が完璧に揃っている。
おしゃべりの松下もしばらく絶句していた。

 

稲の神さまがおわす。


ここはそんな風に素直に云いたくなる土地。祝福されているところなんだ。

菅井さんも松下もいい顔している。
いつかこんな風になればいいと思ったことが今、目の前にある。
僕はなんだかうれしくてシャッターを押し続けた。
あたりはだんだん暗くなっていく。
気づくと頭上に月があった。

そして仲間のことを思った。

 

ここには多くの人の頭の中にあるフクシマなんてないよ。
ただ淡々と人が暮らしがあって、いつもの年と同じように稲が育っている。
もちろん皆、祈っている。無事でありますようにと。
_

 

画像上:菅井さんの田んぼ中にある桐の木。僕はこの木が大好きです。守り木なんだと思っています。
画像中:有機栽培のカミアカリ圃場。一点の曇りもない完璧な状態。23年産はきっと記憶に残る年になるだろう。
画像下:菅井さん(左)と松下。こういう仲間たちと共に仕事ができることが自慢なんだ。

2011年08月10日 [ 3799hit ]
水田徘徊 亀の尾、礼賛。
水田徘徊 亀の尾、礼賛。

 

八月五日午後

 

遊佐を出発し齋藤さんと共に月山の麓、庄内町の熊谷神社へ行く。
ここは明治時代の品種、「亀ノ尾」の発見の地。
水稲を生業とする者にとっては巡礼地と云ってもいいくらい大切なところだと思う。

 

亀の尾は現代水稲品種の祖。
コシヒカリをはじめ、今我々が日常的に食べているお米のほとんどの品種には「亀ノ尾」のDNAがある。

 

明治26年阿部亀治が冷立稲の突然変異株を冷たい水の入る田んぼの水口で発見したのがはじまり。
その場所が熊谷神社前の田んぼだったわけです。

 

巨大胚芽カミアカリはコシヒカリの突然変異。98年に松下さんが発見した。
阿部亀次と松下明弘、
境内を歩きながらこの二人の稲オタクが時空を越えてシンクロしているように僕には感じたのだ。
目頭が熱くなった。
_

 

画像上:熊谷神社鳥居前。今は駐車場になってしまったがここに亀ノ尾発見の田んぼがあった。
画像中:祝詞と蝉時雨。変わることなく地域の人達の信仰の場なのだ。
画像下:資料館で見つけた写真。阿部亀次と発見の地。

2011年08月09日 [ 3774hit ]
水田徘徊 山形遊佐。
水田徘徊 山形遊佐。

 

八月五日午前。

 

前日の夜9時半に遊佐町白井新田の齋藤さんの家に着いた。
クルマか降りる。そして頭上を見る。
夜空に目が少しづつ慣れていく。

 

天の川。

 

何十年ぶりかな。
天の川銀河の住人であることをすっかり忘れていた。
しばらく眺めていると齋藤さんが家から出てきた。

 

天の川だよね。いつも見えるの?
ええ、晴れた日にはよく見えますね。

 

ニッポンの中で東京大阪間がじつに騒々しいこと。
それは夜空も明るくとっても異常であること。
ボクはそんな場所の住人であることもすっかり忘れていた。

 

鳥海山から日が昇る。段丘状の田んぼに日が差す。稲が光輝く。
朝食後田んぼへ。
カミアカリ、今年は体はコンパクト。
台風後のフェーン現象のせいで葉先がやや黄色、しかし健康状態良好。安堵する。
しかし収穫までの道のりはまだまだ遠い。
_

 

画像上:快晴、日本海まで田んぼ。ここが遊佐町。海岸線には風力発電所。「頼もしく見える」と齋藤さん。
画像中:カミアカリ
画像下:齋藤さん
 

2011年08月09日 [ 3825hit ]
水田徘徊 新潟山北。
水田徘徊 新潟山北。

 

八月四日

 

山形の庄内地方へ向け北上。
国道は笹川流れと呼ばれる奇岩地帯の中を行く。絶景。

この美しい光景は庄内へ入るまでの最高のドライブウェイ。だった。
楽しみにしていた。
しかし今日は違う。
知人のHさんのご紹介で、そのドライブウェイの只中にある水田に立ち寄ることになったのだ。

 

最初に行ったのは日本海に向け段丘状にある田んぼ。
まるで日本海が舞台で田んぼが観客席。劇場空間にいるような風景。
畦草の中に浜昼顔が咲いていた。

 

次にHさんがご縁の深いTさんが関わっている山間地の田んぼ地帯へ入った。
国道から15分くらい。
森が深く林業の盛んなところ。
どこかで見たことのある風景だなと思ったが思い出せない。
かつて水田徘徊したところ?
というより、ニッポン人の原風景の引き出しの中にあるどこか。
風の音しか聞こえない。

 

枯れることのない山の水、その水口にある4反部ほどの田んぼ。コシヒカリを栽培していた。
水も冷たく、日照時間も少ない。
反収は頑張っても約7俵(約420キロ)茎数も平野のそれとは異なりやや少なめ。
だから痩せっぽちだが晴々としている。
風に吹かれてひらひらキラキラしている姿が心地良い。

 

平野で10俵獲っても新潟コシヒカリ。
山間地で7俵獲っても新潟コシヒカリ、か。

ここは新潟だったんだと今頃気づく。
いい田んぼ、いい稲には肩書きはいらないな。

 


明日は山形県遊佐町に行きます。
巨大胚芽米カミアカリを栽培している齋藤さんの田んぼです。
_

 

画像上:山北地方の山間地の田んぼ。まだ出穂していなかった。
画像中:畦草に浜昼顔の咲く海沿いの田んぼ。
画像下:笹川流れ。こんな光景が連続する美しいところだ。今日は海が瀬戸内みたいに穏やかだった。
 

2011年08月05日 [ 3685hit ]
水田徘徊 新潟三条。
水田徘徊 新潟三条。

 

八月三日

 

アンコメの人気米。
特別栽培米(減農薬減化学肥料栽培)新潟しろくまコシヒカリ。
今日はそのお米を栽培している三条市周辺の田んぼを見て歩いた。
三条市と言えば先週の新潟県と福島県での豪雨でその影響を心配しましたが
しろくまコシヒカリはすべて無事でした。安堵。

 

アンコメ用の「しろくまコシヒカリ」は現在二人の生産者が栽培している。
知野さんと相田さん。
それぞれ栽培基準は同じですが手法やアイデアは少し異なります。
それは田んぼを見ただけですぐわかります。稲の姿、仕立てが異なるからです。

 

例えばこんな違いがあります。
知野さんが一坪に60株植えてあり茎の数が20本位に対して、
相田さんは一坪に37株植えてあり茎の数が30本位。

 

同じブランドで販売しているお米でもその育ちの有様は異なるのです。
しかしどちらのお米も品質も味も申し分ありませんし甲乙つける必要はありません。
それが人気の所以なんです。

 

よく稲作における人知の及ぶ領域とはせいぜい30%位かな・・・なんて話しをある生産者としたことがあります。
それ以外の70%は神の領域みたいなものだと。
でも、その人知の及ぶ30%をきっちりやってる人がどれだけいるだろうかとも・・・。
これはあくまでも感覚の話として聞いてほしいのだけど、
その30%をやりきってる人の稲は「神が微笑む」気がするんです。

 

だからそういう人を、田んぼを探して歩いているわけです。
知野さん、相田さんもそういう田んぼです。
それと、いつか微笑むかもしれない人のところにも通います。
先週行った南伊豆の中村さんのところはそういう所です。


明日は同じ新潟県と山形県の県境、村上市中浜へ水田徘徊します。

_

 

画像上:相田さんの稲。茎をごらんあれ。これが坪37株植えです。

画像中:出穂まじか。

画像下:豪雨の後の河川。河川敷の桃畑に被害がありました。昨年、土手のかさ上げしたおかげで被害が出なかったそうです。

2011年08月03日 [ 3826hit ]
水田徘徊 東北へ。
水田徘徊 東北へ。

 

明日から5日間旅に出ます。
新潟から入り山形庄内、福島会津、そして茨城奥久慈。
南東北の稲作生産者のところへ行きます。
震災以来ずっと連絡を取り合っていた仲間たちの現場に入ります。
4月には無事作付けをして今生長の真っ只中です。

 

ご存知のように今年は様々な問題があります。
それは収穫後、色んな形となって表面化することでしょう。
ボクはどうすればいいのかを彼らと一緒に考えることにしました。
簡単に答えは出ないと思います。
手探りしながらひとつひとつ答えを出そうと思っています。
いきなり100点は無理だと覚悟しています。

 

それにこれは一年で終わる仕事ではないでしょう。
もしかするとボクらが生きてる間ずっと続けていく仕事のような気がしています。

 

繊細に。
でも、おおらかに。
そして気長に。

 

あ〜それにしてもとんでもないことが起こってしまったんだな。
でもやるっきゃない。
いい仕事ができるようにマジで祈るよ。
_


細野晴臣  ラモナ

 

2011年08月03日 [ 3773hit ]
only 10min
only 10min

 

ラジオでカミアカリのことを話した。

 

カミアカリのことを知ってる人に話すのではなく、
まったく知らない人に向けて。それも10分間。

 

誰もが使う言葉、しかもゆっくりと話す。
そしてなによりもまず結論を言う。

 

人前で話す時にはいつもこんなことを心がけている。つもり。
だけどなかなかうまくできるものじゃない。

だからといって話すことをきっちり用意するとだいたい失敗する。
日頃から話していることしか出てこないのだ。
だから日頃から思ったこと感じていることをちゃんと話すことを心がけている。つもり。
それがたわいもない茶飲みの会話だとしても。茶飲み友達は笑うな。きっと。

 

再来週も地元コミュニティFMでお話しすることになった。
しかも対談らしい。初めての体験。
どうなることやら。
_

 

America- Ventura Highway

2011年08月01日 [ 3553hit ]
水田徘徊、南伊豆。
水田徘徊、南伊豆。

 

七月二十七日。

 

南伊豆の若き生産家グループ中村さんらの田圃へ行った。5月31日以来これで2回目。
今日は彼らの田圃の師匠の一人でもある藤枝の松下にも同行してもらった。
朝方の雨は南伊豆に入ったとたんに上がった。晴れ男を自負する松下ならでは。

 

一番酷い田圃から見て行こう。

 

松下の第一声。厳しきも愛情溢れる彼らしい云いっぷり。
到着早々田んぼクリニックはスタートした。
10町歩ある中村さんの田んぼの主たる農法は有機。
だから稲の生長はもちろん草の問題など松下が培ってきたノウハウは彼らにとっては宝の山。
横で聞いてるとお説教そのものだが彼らの面持ちは真剣そのもの。

 

なぜ根付かないかがわからないんですよ〜。

 

耕作放棄地を再生したばかりの一年目の田んぼ。苗が2週間経過しても根付いていなかった。
考えられる答えはいくつかあったが周辺に目をやりながら松下からこんな言葉が出た。
アレロパシー。他感作用。
ついこの間までここに繁殖していたセイタカアワダチソウによるアレロパシーを疑った。
植物の生長を抑える物質アレロケミカル。
セイタカアワダチソウのそれが残留していることを想像したのだった。

 

なぜ分けつしないかがわからないんですよ〜。

 

耕作放棄地を再生して数年経過した田んぼの稲、ふつうなら20本ほどに分けつしているはずなのだが毎年12〜3本しかなかった。
この田んぼ周辺の森から流れ込む大量の有機物で窒素分は充分。葉色から判断してその点は問題ない。
なにせ無肥料で反収5俵も収穫できるパフォーマンス。まさにナイルの賜物状態。豊かなのである。
なのに分けつしない。分けつさえすれば目標の反収7俵は無肥料で実現できる。

 

松下は調査中の土壌分析で判った情報を踏まえた上でと念を押しながら微量要素を指摘した。
稲が窒素を取り込むのに必要とする相棒の何かが足りない。
その相棒を探すアプローチとして即効性のある有機物ではなく葉っぱなどの粗い有機物をイメージすること。
それと、田んぼの下の固い部分、耕盤(こうばん)の整備を指摘した。
すべての田んぼが深いからだ。
もともと川沿いの湿地帯であったようなところに田んぼを築いたようなところだった。
 だから栄養は豊富、けれど沼なのだ。

草取りをするスタッフの一人が膝下数センチのところまで埋まりながら作業している光景からも明らかだった。

稲が健全に育つ環境を作るには水を上手にコントロールすることがもっとも重要。
そのために平らにすること、きちんとした畦を打つこと、入排水の整備はもちろんだが、
その基本となるのは耕盤の整備。
とくにこの土地ではかなり重要であることを松下は指摘した。

 

来年春になったらローラーでしっかり固めてみたらどうだ?
道路の舗装で使うロードローラーでしっかりとした耕盤を作るんだよ。
不思議な光景だろうけど、ここではそれが必要だと思うな。

 

 

 

松下と水田徘徊をする度にいつもこう思う。

 

より良い農法とは、何処かの誰かが持っているのでなくつねに足元にあること。
足元にすべての答えがあるのだ。
まずはそれに気付くこと。
そしてどう対処すればいいかを考える。
そこではじめて、何処かの誰かの何かを学ぶ。
だけどけっして鵜呑みしない。
きちんと実験してその中から足元の田んぼにぴったりの何かを見つけるのだ。
それが自分の田んぼにしかない自分の農法になる。

中村さんには南伊豆でしかできない彼の農法を見つけてほしい。
それを掴めばきっと彼にしかできない風味風合いを持ったお米を生み出すことになるだろうから。
今、その黎明期を見ていると思うと楽しみでしかたない。
また見に行きますよ。
_
 

2011年07月31日 [ 7121hit ]
水田徘徊、静岡森町。
水田徘徊、静岡森町。

 

七月二十六日、午後。

 

磐田から車で北上。
天気は相変わらず曇り。
丘陵地をアップダウンしながら走るワインディングロード。
この道はかれこれ15年以上も前に天竜川沿いのトマト農家に通った道だと気づく。
第2東名の法面が見えた。ここを右。
堀内さんは仕事場の前にした。

 

いやー。台風にやられちゃったよ・・・。

 

第一声だった。
海に近い磐田は被害はなかったのに森町の田んぼではわずかに被害があった。
ちょうど出穂直後、風にやられた。穂摺れだった。

 

アンコメ用の水田は一見見事な風景。
どこに問題があるのかすぐにはわからなかった。
凝視するとわずかに茶褐色の部分があった。
指摘されなければ判らないレベル。
それでも堀内さんは正直に話す。

 

半俵(30キロ)は減るな・・・。

 

もともと平均反収7俵(420キロ)に抑えているから半俵の減収は大きい。
それでも堀内さんはこうも云う。

 

毎年何っかあるさ。福島の仲間のこと思えば、なんてこたァ〜ないよ・・・。
まあ食味はいいと思うな。こんだけ夜温低けりゃ・・・。

 

そんなやりとりを畦傍でしていたら雨が降り始めた。
ザアザア降りだった。
作業場までダッシュした。
それから色んな話しをした。
_

 

画像上:森町の空は広くて好きだ。
画像中:出穂(しゅっすい:穂が出ること)は7月18日だった。8月20日から稲刈りだ。
画像下:左右2枚がアンコメにやって来る。

 

2011年07月29日 [ 3888hit ]
331 - 340 件目 ( 649 件中)    1 ... 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 40 ... 65