年内最後の休日。 | |
年内最後の休日。12月18日。
明日から31日まで休みなしで営業か。
だから家で音楽かけながら掃除&片付け。
飽きたらコーヒー、そしてたまった新聞と本読み。
夕方にちょっとだけ街中へ。
帰ってからまたコーヒー。ちょい濃いめ。
そういえば昨夜は同門の仲間と年忘れの宴。
ちらし寿司を作って馳せ参じた。
そしてやっぱり午前様。就寝26時。
弓張月とオリオンが輝いていた。
故に今日は思いっきり寝坊した。
同門といえば・・・
仲間のほとんどは僕より若く、中には親子ほどの年齢差の方も。
そんな彼らと色んな話しをした。まあ、酔っぱらいながらだけど・・・。
彼らはみんな素直で漠然とはしているけど進みたいと思う方向を持っていた。
また色んなことに興味と関心を持っていた。
もっともこの学びの場に自ら入ってくるような人だから当然か。
自分が彼らの年齢の頃に何を考え、何をしていたのか?ちょい恥ずかしい。
スケボーが大好きでアメリカから帰国したばっかりの22歳の彼は楽しいヤツだった。
旅の話しと聴いてる音楽の話で盛り上がった。
ビールからワインに代わる頃になってなぜだか民主主義の話になっていた。
それから歴史の話になって、それから・・・。
ー 新聞って読むの?
と、訊ねてみた。なんとなくそう思ったから。
そしたら彼、ぜんぜん読んでないっす・・・と言ってた。
ー 明日コンビニで朝刊を買ってさ、隅から隅まで読んでみたら。
つまらぬ提案をした。
おけがで今日、僕も隅から隅まで読めた。
ありがとね。
_
Tommy Guerrero - four try samba |
極私的 Hollyday | |
年末のハイライトといえば、お餅。
もち米の精米。
昨日書いたように精米プラントの掃除メンテナンスに半日。 搗いたお餅をお客様のお宅へお届けする日も特別な感じがするけれど、
早起きして身を清め・・・なんてことをするわけではないけれど、 まあ、極私的なことですがね。
今年もようやく準備ができました。
|
あたたかい日に、 | |
定期的に行う機械の掃除やメンテナンス。
以前はあまり楽しい仕事とは思えなかった。
ところが最近はそうでもない。
楽しい!というほどではないけれど。悪くない。
いや、それもちょっと違うね。そうだ「気持ちいい」だ。
刃物を研ぐ。その感じに似ている。
今日はいつもの行う定期的な掃除メンテよりも時間を掛けた。
明日、お正月用のもち米を搗くからだ。
だから、微量でも機械の中にうるち米が残っていないように念入りに掃除する。
午後から始め、すべてが終わったのが夕方4時。
その間ずっとFMを聴きながら作業した。
なかなかいい選曲だったな。
毎年この日、この時は一年の中うちで特別な感じがする日。
そして毎年あたたかい日のような気がする。
だから工場の鉄扉を全開にして作業する。
北向きの扉から見える空には雲ひとつなかったな。
さて明日は朝からもち米の精米か。
_
Monica Zetterlund - wallz for debby
|
ビジネスランチは即席ちらし寿司。 | |
アンコメでおなじみ新潟しろくまコシヒカリの白野さんに友人のデザイナーTさんを紹介した。
忙しいTさんのスケジュールの合間はランチタイム。
もちろんお米は、新潟しろくまコシヒカリ。
手抜き即席ちらし寿司だったけど、なかなかいいビジネスランチだったな。
今日のランチの素材はこちら。
新潟しろくまコシヒカリ
木村久 京風ちらし寿司の素
柿島養鱒 鱒財缶(バジル風味オリーブオイル漬け)
素焼きのり(愛媛県産干しのり)
青森の白神アグリさんのフレッシュりんご(サンふじ) 1個 190円 |
月蝕の夜に。 | |
月蝕の夜。
カミアカリドリーム勉強会の忘年会だった。
乾杯のあと、ひとりひとりがこの一年を言葉に表した。
最初は加入まもない新人T。
9人目、最後は僕。
それぞれの言葉からチームのこの一年の成長を実感した。
昨年11月のカミアカリドリーム8の後にチームはさまざまな問題点に気づいた。
問題の解決のために年明け早々に行動した。
ミーティングの回数を増やし、これまでやってきたことを3つのテーマにまとめた。年間スケジュールも作った。
そこに震災が起きた。
いっきに混沌とし、やり場のない不安が生まれた。
それでも考えられる対処はした。なんとか有言実行できた。と思う。
しかし僕の中にできた不安は、時間の経過と共に迷いや苛立ちに変異した。
スッキリしない日々が続いていった。
そんな日々はこの勉強会における最も大切な部分、「スピリット」を僕自身の陰で隠してしまったらしい。
まるで月蝕のように、自らが月に陰を落とすように。
そのことについて仲間の一人が言葉にした。
この言葉は、この勉強会における僕がしなければならない仕事を再認識させてくれた。(ありがとね)
正直言えば、今も混沌の中である。
僕の状態はこの夜のお月様のようにはすぐ回復しないだろう。けれど、そのうちにきっと何らかの答えの出し方が見つかると思う。
だから、もう少しこのどうしようもない状態と付き合うつもりです。
家路に着くころには、すっかり満月に元通り。
なかなか沁みる一夜でありました。
_
画像上:「むら松」さんが、この日のために作ってくれたカミアカリ粥。「煎り」のひと手間で新たな香りが生まれていた。
画像中:いい顔だね。
画像下:やっぱりこの美酒がなくては・・・。もちろん、あの藤枝生まれのお酒です。
special thanks:「むら松」村松さん
|
9ヶ月 | |
南伊豆の有機稲作生産者中村くんから連絡が入った。
中村くんは、まことに世話の焼けるヤツなのだが、彼が栽培した米(あいちのかおり)は、なかなかだ。
思えばN村くんと23年産米の計画をした日がちょうど3月11日だった。
画像上:玄米あいちのかおり
|
自分にしか見えてないもの・・・か。 | |
今日は朝から曇り。そしてのち雨だった。
沼津と富士宮へ行った。
沼津は西浦、みかんの産地。青森と東京の知人が農業研修の仕事で3日間みかんの収穫に来ているというので訪ねた。
富士宮は猪ノ頭、以前から交流のある養鱒家を訪ねた。
ここのところどうもすっきりしない。
課題はあるのに答えの出し方がわからない。
わからないというより、これまでやってきた方法では通用しないんじゃないかと気づいた。
それでどうしたらいいのか悶々としていた。
何かアイデアはないものか?
店の中で考えていてもイライラするだけ。
そこで年末の準備もできたこともあり、今まで気になっていたところを訪ね歩くことにした。
西浦では少ない時間ながら魅力的な方々と出会うことができた。
その中には意欲的なみかん生産者もいた。
みかんが好き、農が好き。この土地が好き。そんな感じのする方。
もしかすると店頭に並ぶかもしれない。このみかん。
次に向かったのは養鱒家。
鱒の養殖池。場所は富士宮は田貫湖の近く。柿島養鱒さん。
アンコメの(隠れた)人気商品、鱒の缶詰(水煮とバジル)のここで育った鱒なんです。
池の周辺は自然そのもの。
枯れることのない一定水温(10℃)の伏流水が場内を絶え間なく流れている。
工場生産的な・・・とは真逆の風景。
余白があるというのか?品質や味を効率化という名の純化的手法ではなく、
土地や人や技という部分を描くための余白を残してある。
つまりそういう有形無形のものに対する敬意みたいなものを感じた。
う〜ん・・・うまく言えないけど、なんだか松下の田んぼみたいだった。
アンコメが魚屋だったらきっと店頭に並べるだろうな。ここんちの虹鱒。
じつは西浦に行く前に少しだけ時間があったのでIZU PHOTO MUSEUMへ寄り道した。
野口里佳さんの作品があった。そこで小一時間ほど会場にいた。
学生時代の作品から今回初めて発表する作品まで40点。
いつの間にか作品の中にいるような錯覚に陥った。それがなんとも気持ちよかった。
作品一覧のフライヤーを読んでいて気になる一文を見つけた。
ー この写真を撮りながら、自分にしか見えてないものがある、という確信を深めていったのを覚えています。
西浦を訪ね、猪ノ頭を訪ねしている間中、この一文が頭の中から離れなかった。
この作家はそれに気づき、印画紙に焼き付けることができたのか・・・。
その気分のまま過ごした一日だった。
帰宅後も相変わらずの悶々状態ながら昨日とはちょっと違うのがわかる。
だから悪くない。
もう少し悶々をやろうと思う。うむ。
_
画像上:大瀬崎の見えるところまで行ってみた。
画像中:柿島さんが「ニジオの滝」と呼んでいた。 柿島養鱒場内
画像下:IZU PHOTO MUSEUMのお隣の会場で四半世紀ぶりに対面した戸谷成雄さんの作品。
—
Betles - I will
|
土鍋でごはん炊きワークショップ@standard e 【参加者募集】 | |
土鍋でごはんを炊きたい・・・。でも水加減や火加減がむずかしい・・・。
参加申し込みはアンコメ安東米店まで!お電話でもメールでもOKです。
【日時】2012年1月8日(日)11:00〜13:00
【持ち物】 ※土鍋をお持ちでない場合は貸し出し用もあります。申し込みの際にお伝えください。 【申し込み締め切り】定員になり次第締め切ります。
| |
電話番号 | 054-278-2637 |
郵便番号 | 421-1212 |
住所 | 静岡県静岡市葵区千代2-10-33 |
こだわり。こだわる。こだわらない。 | |
Fの字つくSNSでこんな書き込みをしてみた。
こだわってますね〜。 という言葉を多用されるとちょっと違和感を感じるのは僕だけかな? 云ってくれる人は褒め言葉のように使っているようだからニコニコ聞いているのだけど・・・。
本来ネガティブな意味のはずのこの言葉、何十回も聞かされるとだんだんと居心地が悪くなってしまう。
できるだけこだわらない仕事の仕方、生き方をしたいといつも思っているから余計だ。
枯れ葉がひらひらと地面に落ちるようにその居場所を与えられる。
そんな感じがいいのにな。
あれ?そういうことにこだわっているのかな?僕は・・・?
さっそく数名の友達が同じような違和感を持っていることのコメントは入ってきた。
こだわることで視野が狭くなる。機転や応用が利かなくなる。などのコメントがあった。
こだわり。こだわる。こだわらない。
みなさんどう思う?
|
カクモウツクシイ。 | |
クルマのボンネットの上で見つけた。
全部で幾つだろうか?
運悪くアスファルトに落下し踏むつぶされているものをあった。
彼らに意思はあるのか?
次世代へ託す膨大な情報を持ったこの小さなカプセルに意思はあるのか?
遠くへ旅立つことがてきた個体の末裔たち。
彼らに生きるための執着はあったのだろうか?
— いや〜べつにそんな・・・ただまあ先代からこんな風でして・・・。
ただそれだけのことかもしれない。
この個体そのものには明確な意思はないのかもしれない。
あるとすれば、止まらない時計のごとき過去から未来への連続する途方もないチカラ。
生命とはそのチカラのたんなる受け皿に過ぎないのかしれない。
それにしても美しい。
チカラとは受け皿を選ぶのか。
選ばれし受け皿のかくも美しいことか。
彼らにも悩み、あるいは喜びはあるのか?
運悪く踏みつぶされたあいつは恨めしく思うのか?
自己の主体性たる己とはあるのか?
例えばそれがあることに気づいたとして、その己はじつに薄っぺらなものだと気づくに違いない。
しかしだ。
その気づきこそ、チカラの受け皿たる主体ではないのか?
薄っぺらな己が思い悩み喜ぶ。
日を仰ぎ、雲の流れるを知り、月が満ち欠けを受け入れる。
そういう途方もない時間の流れの一瞬を固着化できる意識を持つことこそ、選ばれし受け皿というものだと思いたい。
なぜなら
セカイハ、カクモウツクシイ
のだから。
—
まだまだ加筆するだろうな。この文章。
|