明日はシミフェスdeスイハニング。 | |
ようやく準備ができた。すでに午前様であるね。それでもこうして更新せずにいられないのは、明日はシミフェスに参加するからだ。今その準備がようやく終わったところです。
シミフェス No9
画像:本当はESIのオフィシャルTシャツを着てスイハニングするつもりだったけど、残念ながら制作が間に合わなかった。そこで急きょこんなカードを首からぶる下げることにした。 |
これは安倍川である。 | |
これは安倍川である。安倍川餅の安倍川である。かつてこの流れは静岡(駿府)の街を縦横に流れていたそうだが、家康の時代に整備され今のような姿になったという。 もし、それらが実現していたら、駿府は、静岡は、どんな姿になっていっただろうか?幕末、黒船はここにやって来たかもしれないし、後に横浜や神戸のようになっていたかもしれない。もしそうだとしたら、アンコメの創業者は何を生業としていただろうか?そして今、僕は何をしているだろうか? ここは安倍川の西、高層の集合住宅の7階から望む安倍川は霞んで見える。 |
自転車乗りの端くれなものですから。 | |
天気が良かったので午後から自転車に乗ってちょっとだけ外廻りに出た。行かなくてはならない用事を3つほど済ませてから、お客様や友人のところへ少し顔を出した。少しのつもりが、話し始めるとそういうわけには行かず、時間はあっという間に過ぎ去った。
通された事務所には、様々なジャンルの仕事の方が居て、その方々は僕のことを知っていて、その僕に色んなことを質問を投げかけてくる。それに僕はつたない日本語で答える。
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電話にて。 | |
夕方、山形件遊佐の稲作生産家、齋藤さんと電話で話す。
「どうですか?そちらの天気は・・・?そして仕事の進み具合は・・・?」と訊ねた。 「寒いですよ・・・仕事が進みません・・・」
種蒔をしたけど、気温が低いため芽が出ない。田圃の水もなかなか引かないので、入ることさえできない。要するに「何もできない」という状況が、ここのところ続いているそうだ。
じつは午前中、茨城久慈郡の稲作生産家、大久保さんとも電話をし、ほぼ同じ質問をしていた。
「どうですか?そちらの天気は・・・?そして仕事の進み具合は・・・?」
すると第一声、「ゴメンなさい!忙しくてうっかりしてました〜」。彼は今、僕の依頼もうっかり忘れるほど田植えまでの作業に追われているようだった。
地球儀で見るニッポンは海に囲まれた小さな島であり、そこに住む我々はさらに小さな存在である。まるで地球の表層にこびり付いている微生物のようでもある。微生物なのだから、このローカルな世界であっても広大かつ多様に感じる。 そんなことを思う時にマトリョーシュカを思い出す。この無限とも思える入れ子構造のどの部分に僕らは居るのか?僕らの視界は、外側と内側一つずつが、せいぜいだろう。少しでもいいから、外側や内側を見たいし知りたいものだ。
画像:2009年11月山形県遊佐の齋藤農場にて日本海を望む。 |
同世代。 | |
法事で東京品川へ、お寺横の駐車場に一台の独車あり。たぶん僕とほぼ同世代の60年代の生まれ。912ってところが琴線に触れちゃうところ。空冷の4気筒か〜軽いのかな・・・。グラマラスな近頃のとは異なり、当時のは意外なほどナローでコンパクト。コンディションは残念ながら静態保存って感じだった。 |
アンコメの祝い米on読売新聞。 | |
今日の読売新聞の静岡地域欄の「ほのぼの@タウン」のコーナーにアンコメの祝い米を抱えた店主が掲載されました。 アンコメの祝い米は、そうした生活に近いところにある、ささやかな喜びを表現した商品だから、大げさでないこういった取材の対象になることは、制作意図にピッタリで、ちょっとうれしい気分です。(レポーターのSさんありがとうございました)
ところで、この記事を書いてくれたタウンレポーターさんに、「どこで、この情報を知ったんですか?」と聞くと、こんな答えが返ってきた。
「あるフリーペーパーをカフェで見ていたら、目に止まったんですよ・・・。車とバイクの・・・?」
じつはそのフリーペーパー。あの「ON THE ROAD MAGAZINE」。しかも数日前に発行されたばかりの、インクの香りビンビン、新品ホヤホヤのそれだったのでありました。 |
前金さん。茶町KINZABURO。 | |
前金さんこと、前田金三郎商店さんは静岡市内の茶町通りにある老舗茶商(問屋)である。じつはその前金さんが、店舗をお茶とお菓子の店としてリニューアルオープンしました。その名は「茶町KINZABURO」。
アンコメが現代に生きて行ける米屋として意識してやっていることがある。それは米屋という商いカタチをリライト(re-write:書き直す)する作業だ。
前金さんにとってのリライト(re-write)作業は、けっして今に始まったわけではなく、これまで何年にも渡って様々な方法で、その作業をされてきたように思える。
画像上:前金さんのある茶町通りには、かつてチンチン電車が走っていた。お茶は茶町から清水湊に運ばれ海外に輸出されていたのだ。これからは海外からここへ人が集まってくるかもしれない。なんてったってここが緑茶世界の中心なのだから。 | |
電話番号 | 054-252-2476 |
FAX番号 | 054-251-5258 |
郵便番号 | 4200018 |
住所 | 静岡県静岡市葵区土太夫町27 |
来訪者多数。 | |
土曜日は、昼前頃からお客様だけでなく、友人知人の来訪者多数であった。しかも、一人が帰るとまた一人、そしてまた一人とエンドレスな日であった。もちろんそれぞれの人には、それぞれに目的があって来訪してくれるのだが、アンコメにお米を買いに来る目的以外に様々な理由でやって来ることに驚く。 じつはそのような日は土曜日だけでなく、週に何日かあり、気がつけば1週間があっという間過ぎて行くのだ。しかしまあ、そういう店であることを、最近つくづく誇らしく思う。 ところで、どうしてこんなにも、色んな方々が関わりアンコメに集ってくれるのだろうか?その理由についてこんな風に考えてみた。
1)商いとは思えないことに大風呂敷を広げている。その割りに頼りないので皆世話したくなる。(本人はちゃんとやってるつもり)
まあどんな理由にせよ。多くの方がアンコメに関わってくれていること。そんな日々を楽しく過ごせていることに感謝したい。 今日最後の来訪者Iが帰り際にこう云った。 |
物差しと、団扇。 | |
夕方、Hさん来店。この方、僕よりも数年先輩で、お仕事は大学の先生も、されている。「先生も」というように、ひと言では語り尽くせぬほど、多くの顔を持っている。そこで愚問と知りながら、こんな質問をしてみた。
「ところで、なに屋さんなんでしたっけ?Hさんて・・・」。
Hさん曰く、「これ皆に聞かれるんですよ〜説明するのに30分掛かるんだけど・・・」その返答に、少しに悔いた・・・。そんな話しを皮切りに、事務所奥のサロンでコーヒーを飲みながら話しに花が咲いた。
「文字とはそもそも・・・書くは引掻くが語源で・・・云々」
というあたりから次から次へと発展し、ウイリアム・モースのコレクションの話しから、どういうわけか、アンコメ80年の歴史遺物の話題になったところで、大切保管している、昔(祖父の時代)アンコメがノベルティーとして配布した柿渋調の団扇を引っぱり出してみると、
「あッそうだ!僕ね〜アンコメさんちで、昔、お客さんに配布したらしい物差し持ってるんですよ・・・」とHさん。
じつは、その物差しのことは以前、昔からご愛顧いただいているお客様に見せてもらったことがあり、祖父の時代にノベルティーとしてお客様に配布したものらしいことは聞いていた。しかし、まさかその中の一本がHさんの手元にあるとは、なんとも奇遇、何かの縁を感じたのでありました。
歴史遺物や遺跡の多くは、権力者や政に関わる人々ものであるけれど、どうってことのない庶民の暮らしの歴史を知りたい。同時に今生きてる僕らが意識して残していきたい。そういう意味でアンコメが残せるものは膨大であるようにHさんと話しながら思った。
画像:柿渋調の団扇。これも戦前からご愛顧いただいているお客様からいただいたもの。アンコメ80年の歴史遺産。大切にしていきたいと思っている。
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往復360キロメートル。 | |
春休み泊りがけで遊びに出掛けていた娘を迎えに東京へ。朝7:30出発。用賀の東京インターに降りたのが9:30。快適な高速クルージングだった。
事の次第を説明するかしないかのうちに集まった方々と自転車+バイク談義で盛り上がったというわけ。それだけじゃなくて、アンコメelfナガサカが先月作った団体、「エクストリーム・スイハニング・インターナショナル」ネタも少々ご披露。その馬鹿馬鹿しくも真面目な活動ぶりに、皆さん大いに喜んでいただき、その乗りでスイハニング時に隊員が着用するTシャツを作ることを宣言!大まかなデザインをアンコメelfナガサカが作り、フィニッシュはGAOさんにお願いすることになったのでありました。
朝からそんな出来事で大笑いした後、品川にあるカミさんの実家へ娘をピックアップ。しばし休憩してから帰途に着いた。 本日の走行距離360キロメートル。ちょうどいい疲労感、トラブル続きの愛車めがーね君も調子良く、とても楽しい一日でありました。
※この日のレポートがORMwebにアップしています。コチラ。
画像:MA-1ジャケットの遠山さんの愛車はGT製BMX。「EAST URBAN CUSTOM CYCLES」というハレーのカスタムショップのオーナーです。となりのワークジャケットの彼は、今日のイベントの仕掛け人、「I.D.E STORE」の井出さん。 |