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青空蜜柑。
青空蜜柑。

 

12月23日木曜日、お店は休み。
明日から31日までノンストップなので年内最後の休息日。
とはいえ僕は郊外へ仕入れと配達へ。
行き先は清水の駅近くと興津。しかも2往復した。
バイパスを行く車上からは空気が澄んでいるから遠くまでよく見渡せる。
駿河湾を挟んで南は伊豆半島の波勝崎、北は霊峰富士。大パノラマである。
日頃の仕事場がこういう場であることをありがたく思うな。

 

午後の2回目は興津の杉山農園へ行き、蜜柑を車いっぱい200キロ積んだ。
残念ながら友人の園主は留守だった。
彼は僕より少しお兄さんで、Jackson Browne や Eagles が好きな人だ。
僕と同じで70年代のロックポップが常に頭の中で鳴ってる。
そういう人の蜜柑園の蜜柑なんだな。この蜜柑。
車のコンソールボックスにJackson Browneが一枚あった。
Take it easy や Somebody's Baby をかけながら次の目的地まで湾岸道路を飛ばした。

 

※杉山農園の青島みかんは24日から販売。10キロ箱入り(3500円:送料別)の地方発送もできます。
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Jackson Browne - Somebody's Baby

2010年12月23日 [ 4046hit ]
搗精餅米。
搗精餅米。

 

もち米を精米した。
午前中いっぱいかかった。全部で20俵。午後から袋詰めした。
かつてに比べるとずいぶんと減ったが、この仕事は一年のしごとの中でも好きなしごとひとつ。
昨日も書いたが、ちょっと格の高い「ケ」の感じがするからだ。
お正月を迎えるお餅の原料なんだから、そういう気持ちになるのだ。
でもけっして「ハレ」ではない。あくまでも「ケ」の範疇なんだ。

 

そして今日は、冬至で、満月で、皆既月食。
しかし夕刻から雨となった。
雲の上を想像しながらこの記事を書くのも悪くない。

 

画像:この状態から2行程の選別をして完成となる。きれいだな。もち米。
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Hall & Oates - Sara smile

2010年12月21日 [ 3661hit ]
月光餅米。
月光餅米。

 

今年もこの日が来た。
毎年お正月用のもち米を準備する日のことだ。
19時を過ぎ月が頭上に見える頃、お正月のために準備するもち米がやって来た。
半日かけて精米機の掃除をし、もち米を精米するための準備をする。
その作業が終わり、一服しながら待っていると毎年I君が運んでくるのだ。

 

この日は毎年どこか特別な感じがある。
I君がトラックから慣れた調子でもち米の玄米を下ろす姿は、
日頃見慣れた風景なのだけど、どこか違う風に見えてしまう。
一年の終わりが近づいてくると、日頃の作業もちょっとだけ格の高い「ケ」になるのだ。
そう思って背筋を伸ばして仕事をする。

 

明日は午前中にもち米を精米する。
今年も無事に品質の良いもち米が準備できた。
今晩は14番目の月だそうだ。
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The Band - The Weight 
 

 

2010年12月20日 [ 3671hit ]
Dec 18th
Dec 18th

 

この一年を振り返るには最良の日だったな。12月18日土曜日。

 

その日は早朝から活動を開始した。
師走の週末であるから店は忙しいのだけれど、
今日ばっかりは店を離れ、しなければならないことが満載だった。

 

午前中はSBS学苑で行われた農学博士稲垣栄洋さんの講演(田んぼの風景に隠された秘密)のお手伝い。
講座のラストに巨大胚芽米カミアカリをご試食いただくべく9:30に現場に入り準備。
講座が終わったら稲垣さんをお連れして市内の農家へ。
そこで仲間たちと遅い昼食をしながら歓談。
その昼食、昼食という生易しいレベルではなく、
炭をおこし、牡蠣やシシャモ、お好み焼き、果てはバームクーヘンまで作り食べた。
おかげで完全に燻された。
さすがに僕は途中で店に戻ったが、その後仲間たちは大いに盛り上がったようである。

 

じつはこの日の夕方からはその仲間たち。
カミアカリドリーム勉強会のコアメンバー×ESIの合同忘年会だったわけです。
つまり昼の宴はその0次会だったわけです。

 

この日、最後にたどり着いた場所は市内某所のジャズの音盤を聴くことができるバー。
仲間と連れ立って久々に行った。3次会である。
24時を過ぎる頃、客は僕等だけになった。
そこからマスターの火が点いた。

 

僕等のリクエストに答えてビートルズ、ストーンズ、イーグルス、ジョップリン・・・
いつしかロックバーの様相と化していく。
そして時計は26時。最後はザ・バンド。
すばらしい選曲だった。もちろん音質も。
ああ〜楽しかった。
カミアカリドリーム&ESIのメンバーのみんな!来年もどうぞよろしく。

 

<追伸>

今年の夏の始まる頃、僕自身でも経験のしたこのない事態に陥った。

心がどうしようもない状態になりその後、体調を崩した。

それを救ってくれたのは、この仲間たちだった。

本来であれば会場できちんとそのことについて礼を言うつもりだったのだが云い損ねてしまった。ゴメン。では、あらためて。

 

「うれしかった。ありがとう。」

 

来年はさらにタフな一年になるかもしれないですが、きっと楽しい一年にちがいありません。

今年がそうだったようにね。
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The Band - The night they drove old dixie down

2010年12月19日 [ 3772hit ]
昔のアンコメ。
昔のアンコメ。

 

夕方、小学3年生が来訪。
聞けばアンコメの昔を知りたいとのこと。
土曜日、それを発表するという。つまり取材なのです。
アンコメサロンにお誘いして僕が父や親戚から聞いている創業の頃の話しをした。

 

じつははっきりとした創業年は不明。大正年間であることは間違いないらしい。
場所は現在ある安東ではなく長谷通り。
浅間神社の石鳥居の近所だったという。
祖父の家族は兄弟でそれぞれ異なる商いを同じ屋根の下でやっていたらしい。
祖父は米屋に修行から帰ってきて小さいながらも米を商った。弟は印刷屋をはじめた。
そうやって当時、小さな家の中では家族それぞれが様々な商いをしていたようだ。

 

その後、祖父は結婚を期に独立し現在の安東に小さな店を出す。昭和5〜6年の頃である。
それが安東米店の前身、清水屋米店の始まりである。
当時の頃のことを祖母がこんな風に云っていたことを思い出す。
「店の周辺は家はまだ少なくて北向きの店を開けると、正面に安東小学校の正門が見え、西には臨済寺の山門、東には一本松(現:城北高校付近)が見えていたよ・・・」。
つまり、何もなかったというわけ。
今でこそ住宅地のど真ん中だが、祖父が店を出した80年前は安東という新興住宅地のフロンティア世代としてこの地に夢を描いていたというわけだ。

 

その後、戦争の足音が聞こえ始める頃、清水屋米店は安東配給所へと変わっていく。
それは戦後しばらく続く苦しい時代の始まりだったに違いない。

 

この続きはいづれまた。
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Joni Mitchell - My Old Man

 

2010年12月15日 [ 3784hit ]
月光遺失。
月光遺失。

 

12月もあっというまに12日。今年もあと20日を切った。
ここからはもう休みらしい休みも取れなくなるはずだから朝から家の掃除をしたり用事を済ませたりして過ごした。
それから少しだけふらりと出掛けた。
年末商戦で賑わっているダウンタウンを避けてうろうろした。

 

今まで入ったことのない喫茶店に入ってみたり、郊外の広々としたところまで足を向けたりした。
あっという間に日が暮れていく。その様子を立ち止まって見る。
今日は月があった。となりに金星もいた。

 

そんな風にボーっとして過ごしていたら落し物をした。
なくすと厄介なモノだったので必死で探した。
おかげさまで見つかった。
一人暮らしをした10代後半、右ポケットにはいつも入れることにしていた。
それ以来、一度もなくすことがなかった。はじめての経験だった。

 

しかしよく考えてみれば、ほんとうになくてはならないモノなのか?
なくすと厄介ではあるが、ただそれだけのことじゃないか・・・そう思ったり、
案外ないほうがもっと気楽でいられるのではないかと思ったりもした。
月と金星はそんなことをお構いなしにゆらゆらと西の空へと旅を続ける。
「ただそれだけのことじゃないか・・・」と云いながら。
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Sting - Come Again


 

2010年12月13日 [ 3693hit ]
俯瞰放送。
俯瞰放送。

 

金曜晩の生放送はNHK静岡のスタジオ内で見た。
放送30分前に現場に行ったらすでに松下がいた。
どうやら松下もディレクターI氏に呼ばれたようである。

スタジオは想像以上に小さなところで、僕と松下の二人は、いつもはアナウンサーがニュースを読むために設えたセット内の椅子に腰掛けて放送の一部始終を見物させてもらった。

 

じつはこの番組取材は3月頃から松下をずっと追いかけていた。
具体的な出口を決めないままに、I氏の嗅覚だけで自身がカメラを回し取材を続けていた。
松下や僕にとってそれは少し迷惑で「どうせ判りっこないないだろう・・・」と思っていた。
撮影をしながらI氏は僕と打ち合わせしながら、その進行状況と出口についてディスカッションした。

 

7月頃、I氏は松下とそれをとりまく群像が気になり始めた様子だった。
そして猛暑の夏が過ぎた頃、I氏の興味は徐々にカミアカリの比重が大きくなっていったようだ。
11月のカミアカリドリーム勉強会に向け、僕らの熱が上がっていくほどに、I氏もまたその熱波の影響を受けていることを感じた。

 

I氏とのメールのやりとりの中身は激しくなっていった。
その頃には、これが今までに感じていたような「メディアの取材」という文脈でのニュアンスが薄れていく感じを持つようになっていた。
そして11月の勉強会直前にI氏にメールでこんなニュアンスのことを告げた。

 

「どんな形にせよカミアカリに関わるならば、その関わりに当事者意識を持ってもらいたい・・・」。

 

関わる人すべてにそれをメッセージした僕としては、メディアさえも例外でないことを伝えたかった。
とくにカミアカリを説明する上で、使ってもらいたくない言葉がいくつかあった。
それを使えば誰にでもとりあえず分かったような気にさせてくれる魔法の言葉であったけれど、僕はその使用を禁止した。
僕も松下も、その言葉の毒を好まなかったからだ。

 

勉強会が終わり数日後、I氏は番組を作る宣言をした。ついに出口を設けたわけだ。
その言葉使わず視聴者に伝えるためにI氏は考えたはずだ。
そして金曜の晩、僕らはその答えを目の前で見聞した。

ナレーションから発するその言葉からは、その言葉はひと言も出てこなかった。
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画像上:松下アナウンサー。なんちゃっての図。
画像下:リハーサル中。

 

2010年12月12日 [ 3639hit ]
金曜夜はNHKテレビを。
金曜夜はNHKテレビを。

 

12月10日NHK静岡放送のローカル番組「フジヤマTV」(20:00〜)で「食の仕事人」をテーマにて放送があります。
その中で松下さんと巨大胚芽米カミアカリが紹介されます。

 

じつは撮影は春先から11月末までのロングランでした。
最初は煙たかった担当ディレクターのI氏が今ではすっかり馴染みの顔の一人となりました。
そんなI氏の半年の仕事の結果が明日放送されるわけです。

 

じつは11月カミアカリドリーム勉強会終了後の懇親会でI氏は僕に言ったのです。
「これは序章です・・・」と、
ですからどんな仕上がりになっているのかが楽しみなのです。
序章になるうるか否かは、明日の仕上がり次第かと・・・。きびしく見たいと思ってます。(笑)

 

当日僕は局内で松下さんのカミアカリを炊く任務があるので、生放送の様子はスタジオの隅で眺める予定です。
お時間ある方は良かったら見て下さい。
そしてご意見お聞かせください。
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画像:11月26日アンコメの低温倉庫内にて。

2010年12月09日 [ 3966hit ]
田園夕景。
田園夕景。

 

田圃へ行った。
やっぱり美しい光景を見た。
しかもちょっと美味しい思いもした。
カミアカリの刈り株から生えたひこ生え。その米粒をつまんで食べた。

 

少しだけ硬いところと柔らかいところがある。
触感が二段階あるのは大きな胚芽と胚乳のせい。
カミアカリの特徴である。

 

それをつまみながら、日が傾くのを眺める。
実りの頃とはひと味違う輝きを見せる。
それはほんの数分のこと。
日はあっという間に暮れていく。

 

次はいつ行こうかなと考えながら帰路につく。

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2010年12月09日 [ 3645hit ]
頭上快晴。
頭上快晴。

 

冬の静岡というのは、いつも空が高い。
ありがたいことに、ほぼ毎日こんな風であるから毎日布団が干せる。
そんな空を毎日眺めている。
昼となく夜となく。
昼は雲を探し、夜は星を探す。

 

空を眺めながら、田んぼはどうなっているだろうかと思いを馳せてみる。
奥久慈はどうだろうか?
会津は?
遊佐は?

きっともっと寒いだろうな。
雪は降っているのか?
風は強いのか?
日差しはあるのか?
水は凍っているのか?
草はあるのか?ないのか?
彼等はなにをしているのか?

 

連絡をすればいいだけのことだが、思いを馳せる感じがいい。
少し気温が下がってきたな。
茶でも淹れるようか。
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2010年12月06日 [ 3593hit ]
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