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昔のアンコメ。

 

夕方、小学3年生が来訪。
聞けばアンコメの昔を知りたいとのこと。
土曜日、それを発表するという。つまり取材なのです。
アンコメサロンにお誘いして僕が父や親戚から聞いている創業の頃の話しをした。

 

じつははっきりとした創業年は不明。大正年間であることは間違いないらしい。
場所は現在ある安東ではなく長谷通り。
浅間神社の石鳥居の近所だったという。
祖父の家族は兄弟でそれぞれ異なる商いを同じ屋根の下でやっていたらしい。
祖父は米屋に修行から帰ってきて小さいながらも米を商った。弟は印刷屋をはじめた。
そうやって当時、小さな家の中では家族それぞれが様々な商いをしていたようだ。

 

その後、祖父は結婚を期に独立し現在の安東に小さな店を出す。昭和5〜6年の頃である。
それが安東米店の前身、清水屋米店の始まりである。
当時の頃のことを祖母がこんな風に云っていたことを思い出す。
「店の周辺は家はまだ少なくて北向きの店を開けると、正面に安東小学校の正門が見え、西には臨済寺の山門、東には一本松(現:城北高校付近)が見えていたよ・・・」。
つまり、何もなかったというわけ。
今でこそ住宅地のど真ん中だが、祖父が店を出した80年前は安東という新興住宅地のフロンティア世代としてこの地に夢を描いていたというわけだ。

 

その後、戦争の足音が聞こえ始める頃、清水屋米店は安東配給所へと変わっていく。
それは戦後しばらく続く苦しい時代の始まりだったに違いない。

 

この続きはいづれまた。
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Joni Mitchell - My Old Man

 

2010年12月15日 [ 3790hit ]
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