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長谷の竈 製作記(8)

 

これは、2022年長野県伊那市長谷中尾集落にある再生された古民家につくったご飯炊き専用竈「長谷の竈」の製作記です。
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2022年4月9日、ついに現場での最終製作の日がやってきた。当初、小谷氏の見積もりでは現場製作には3日は掛かると想定していた。しかし実際に作業できる時間は一日足りない2日。そこで小谷氏は当日までに作業工程に一切無駄な時間が発生しないよう緻密な計画を作っていた。それでも即興的に作るであろう見積もりのできない時間さえも、どこか考慮されているかのようにも思える小谷氏らしい計画だった。

作業開始は朝7時から。まずは最初の難関、土台部と釜戸本体部の搬入と設置。2ピースとはいえ総重量350キロを人力で動かすのはなかなかもの。さらにこの日は小谷氏、松下氏、田中氏と僕の4名とオーナーの出口氏を加えた5名のみ、平均年齢は・・・苦笑。それでもぎりぎりの所までフォークリフトで運べたこともあり、最後のひと押しだけ砕けそうな腰に鞭を打ち、無事指定の位置に着地させた。

再生された古民家は伊那地方特有の作りで、入口の引き戸をくぐると広い土間がある。この家の再生に尽力した設計者の林氏によれば、創建当初、土間の三分の一ほどは馬小屋だったという。つまり飼われていた農耕馬は家主と同じ屋根の下で大切に扱われたというわけだ。その面影は今となっては想像するほかないが、ちょうどその馬小屋だったあたりに「長谷の竈」を設置したのだ。

本体を覆う鉄筋で製作した蛇篭を溶接で固定した後、11月に採取し保管しておいた蛇紋岩の組み込み作業を開始した。この日は通称「石ころ屋」の田中氏も参戦したので、一気呵成に進むと思いきや、なかなか思い通りには進まない。理由は工法にある。蛇紋岩は拾った時のままの形状、無加工のまま使うことに決めていたからだ。これは蛇紋岩の性状ゆえの判断でもあるが、人の意図なく自然の状態で砕けできた状態は、鉄錆同様にもっとも安定している状態との考えもあり、その形状がそのまま活かされ、組み込まれる位置を見つけるためには、一定時間が必要なのだ。これは伊豆の御神火竈をつくった時にも感じたことで、石と石組みする人が、どこか同調するような状態になると適正な位置が自然に決まるようになる。その状態がやって来るには、ただひたすらに手を動かし、その時を待つほかないのである。(つづく)
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画像上:無事着地
画像中:再生された古民家と昼の風景
画像下:石ころ屋、田中氏が蛇紋岩を洗う

2022年05月19日 [ 994hit ]
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