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9月16日号 雨降って稲刈りはお休みの巻
敬老の日の振替休日、稲刈り体験会を予定していたが当日は朝からあいにくの雨模様。4フャミリー15人余りの参加希望者があったが、朝から中止と延期の電話連絡をした。毎年この頃は太平洋高気圧の勢力が衰え、押し上げられていた前線が南下して日本列島上空に停滞し雨を降らせる。これを秋雨前線という。同じ前線を梅雨の頃にはバイウゼンセンと呼ぶ。要するに、太平洋高気圧と大陸側の高気圧との綱引きの加減がこの島国に恵みの雨を降らせるのである。

すっかり暇になってしまったその日の午後、「ところで松下くんの田圃の水はどこからやってくるのか?」と興味が沸き国土地理院の5万分の1地図を広げて見た。田圃のあるのは藤枝市青南町。その地域の主な用水路は栃山川からの用水である。この用水路は由緒ある用水路で江戸時代大井川上流から切り出された材木を焼津の港(現小川港)に送るために、紀伊国屋文左衛門が作らせたという歴史があるといわれる。今でも栃山川下流には隣接する木屋川と呼ばれる川があり、なんらかの関連があると思われる。田圃のある青南町から栃山川を遡ってみることにする。(地図をお持ちの方はご一緒しましょう)栃山川の取水口は伊太谷川に接続されている。この伊太谷川の水の主な供給源は大井川によるもので、新大井川橋付近にある2つの大きな取水口から供給されている。最も水の必要な田植え時期にこの取水口付近を通りかかったことがあるが、その流れのすさまじかったことといったら生きたここちがしないほどの流れだった。では大井川を遡ることにしましょう。ご存知のように大井川は「越すに越されぬ大井川」と呼ばれたとおりの激流急流で有名です。今でこそ大井川ダムや畑薙ダムによってかつてのような暴れ川ではなくなりましたが台風や大雨がつづく季節になればその荒々しさは健在です。その要因は源流域である南アルプスに降った雨が短い距離を短時間でいっきに太平洋に注ぐからだといわれています。流域に見られる丸太を三角錐型に組んで作られた「聖牛」と呼ばれる武田信玄由来のこの地方特有の治水技術はそんな激流の大井川と人間が共同制作したちょっとした現代アートのように見えます。

SLの走る大井川鉄道に乗ったつもりでさらに上流に向かいます。中流域はお茶で有名な川根町です。先日伺った青部の無農薬茶生産者、益井さんのお宅は川の東岸に見えます。SLは千頭までで今度はトロッコ列車に乗り換えます。この列車は大井川ダム建設のために敷設されたもので厳しい渓谷を縫って走るスリル満点の列車です。長島ダムを過ぎ紅葉で有名な接阻峡を通り抜けると井川ダムのある終点井川駅です。このダム建設によってこの国の発電、利水、治水あらゆる面で昭和の高度成長期を支えてきたという威厳みたいなものをその大きさから感じとることができます。大きさこそ違いはありますが先程の「聖牛」と同じような感慨を覚えます。

ここからは県道60号南アルプス公園線と呼ばれる道路で大井川に沿って上流に向かいます。このエリアは台風が来れば必ずどこか崩落する難所で何年か前も畑薙ダムに向かうルートが河川敷に作られたことがありました。畑薙ダムから先は南アルプス登山の前線基地、椹島や二軒小屋などがあり、夏の登山シーズンには荒川岳、赤石岳、聖岳などに向かう登山者で賑わっています。ところで本題の「松下くんの田圃の水はどこからやってくるのか?」についてさらに大井川の源流を遡ります。大井川は二軒小屋を過ぎると東俣、西俣と東西に分かれ東俣の最上流部はさらに乗越沢と三国沢に別れる。沢を登りつめるとそこは静岡県の最北端白峰三山のひとつ間ノ岳(3189m)である。ここが田圃の水の源流ってことになる。最上流部のもう一方の沢、乗越沢の最上部の尾根には水場のある熊ノ平小屋がある。ここで飲む水はイコール田圃の水ってことだ!ぜひ一度行って飲んでみたいものだ。

日本列島に停滞した前線は3千メートル峰に雨を降らせる。降った雨は沢を下り小川をつくりやがて大河となって下流に注ぎ無数の人や田圃を潤す。松下くんの米の中に残されることになる14.5%の水はこうしてやってくるのである。
 
五万分の一地図
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2002年01月14日 [ 2997hit ]
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