8月5日号 田圃の森への巻
猛暑というより酷暑といったほうがいいくらい暑い日の午後、焼津へ車を走らせた。向かった先は故加茂富次郎さん宅である。じつは7月末心不全で突然亡くなったのである。加茂さんは古代米研究者として全国的にも知られた人物で、これまで当店でも加茂さんの栽培する黒米、赤米などを少量ながら販売していた。亡くなる1週間前にも新米の状況を電話で聞いたばかりの時のこの訃報。
連絡してくれたのは松下くんだった。加茂さんと松下くんは共に農家でありながら稲に魅せられた農民研究家同士、彼が米作りをする頃から親交を深めていて稲のルーツ、品種、栽培方法や育種などおよそ稲栽培におけるあらゆる事について情報交換と実験を共にやっている仲だった。この突然の死は松下くんにとってそうとうのショックで電話の向こうの彼は半ば泣きべそで連絡してきてくれたのである。ご本人も想像だにしなかったであろうため栽培中の稲や研究中の資料の多くは主を失った状況、今後はご子息や松下くんらによって継承されて行くとは思うがあまりのも早い突然の死は本当に残念でしかたない。 加茂さん宅を後にしてほんの少し足を伸ばして藤枝の松下くんの田圃へ行ってみた。残念ながら松下くんは有機農業研修のため不在であったが今年安東米店が販売するであろう田圃をひととおり廻ってみた。コシヒカリはすでに出穂して田圃から水が切られている状況だった。いい感じに色抜け(青々とした緑から黄緑色へ)していてあと20日もすればこうべを垂れることが想像された。じつは今年のメイン商品はコシヒカリ(早生品種)ではなくヒノヒカリ(晩生品種)なのである。小生の経験的観測による持論なのだが、酷暑の多くなった日本列島の稲作には晩生品種のほうが良い米ができる可能性が高いのではないかと考えているのだ。稲をはじめとする実をつける植物は日中気温と夜間気温に差が大きいほど実に質のいい大量のデンプンを蓄積できる。夜間気温25℃以上の、いわゆる熱帯夜と呼ばれる日が続くと植物は疲労し日中に製造したデンプンを満足に実に送ることができない。そのうえ高温により成長スピードが速くなるために緻密な細胞形成できず、米の場合は食感で大切な舌触りになめらかさがなくなる。以前知り合ったある生産者はこれを称して「ブロイラーの鶏」と言って表現してくれた。要するに「体は大人、中身は子供、デカイひよこ!」なるほどと思った。稲の場合この出来事を高温障害と呼ぶ場合が多く、近年の夏の高温によるこの現象が全国的に問題となっている。 そこで小生は考えた。コシヒカリに代表される早生品種は最も暑いこの時期に登熟を向かえる。それが高温障害を発生させる原因のひとつになっているのではないだろうかと、もしそうであるなら、暑さのピークが過ぎ熱帯夜が終わった頃登熟のピークを向かえる晩生品種を栽培してみたらいいのでは?と。今回メインで栽培しているヒノヒカリは九州地方で開発され大規模に栽培されている晩生品種。実際品質の良い米が熊本や佐賀から当店にも6〜7年前から入荷している。また以前友人の柑橘生産者が「静岡って九州の宮崎と年間平均気温が同じくらいなんだって」と言っていたことを考えるとヒノヒカリという品種は静岡向き?と考えてもおかしくはない。そこで今シーズンはヒノヒカリをメインに栽培を依頼したのであった。気温34℃湿度68%案の定ヒノヒカリはまだ出穂していなかった。計算どうりいけばあと1週間くらいで出穂、9月末には稲刈りの予定である。 田圃抜ける風はほのかに青々とした稲の香を運んでくる。視線を低くして田圃の森を覗いてみる。そこはどこか熱帯の奥地のような風景だった。タニシがゆっくりと移動し、カエルがじっと佇み、そびえる稲のそれより高いところに太陽がいる。古代より受け継がられた水田稲作の森の風景は今も変わらない。加茂さんのご冥福を祈りつつ帰路についた。 |
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( 2002年度 )
2002年01月14日 [ 3952hit ]