直径5センチほどの筒を田圃に刺し、深さ10センチほどの深さまでの土壌を採取する。一枚の田圃で5ヶ所ほど場所を変えて採取していた。左から松下、中がHさん、右がIさん。Iさんは雑草や田圃環境についての本を何冊も書いている。地元新聞にも時々現れるのでご存知の方もいるかもしれない。
「Hさんって知ってるだろ。来るんだよ。今度の月曜日に・・・」
収穫したばかりのヒノヒカリを納品しに来た松下が少し興奮気味に言った。
Hさんとは、有機農業研究者としてニッポンの先端を走っているその道のスーパースター。その方が、松下の田圃の調査をしに来るという。しかも雑草研究のエキスパートでもあるIもいっしょに。
書籍の中の研究者が自らの田圃へ来るというのだから松下が興奮するのも頷ける。じつは私も夏の初め、似たような経験をしたのでその気持ちはよく解る。どの分野でも、その道のエキスパートや見識、眼力について憧れを感じている人の評価される対象になることは、じつに嬉しいことである。
さて、そのHさんが何をしに来たかと言うと。土の採取である。
ご存知のとおり、松下の田圃では、草(雑草)が生えない。いや正確に言うと生えにくい。要するに抑草がなされているのだ。
そういう田圃環境が松下の田圃にはあり、またそういう環境を作り出す技術を、彼はこの圃場で16年間掛けて築き上げた。松下本人にしてみれば、その技術はまさにロジックなのだが、時にそれはマジックのように他者からは見えているらしい。
そういうわけで、これまでその技術を聞きに多くの人が彼を訪ねて来た。その度に、松下はおしげもなく、かつ懇切丁寧にその技術を説明してきた。しかし草は生えるものとして既成概念を持ってしまった多くの人にとって、それは呪文にしか聞こえなかったようで、本当の意味での理解と実践は、私の見る限りでは、なされる機会はあまりなかったように見える。
ところが2006年、国が有機農業の支援をするような法律を作った。ご存知の有機農業推進法である。風向きは変わったのである。それによってはじまったのが、これまで民間で様々に実践されてきた有機農業の実態調査と研究だった。
じつは松下の田圃もそのモニタ一のひとつで、21年度からその対象となり、今年は春先から、数名の研究者が出入りして、抑草技術の調査と研究が行われてきた。
マジックをロジックに翻訳する仕事を、ようやく国としてはじめたというわけだ。その一連の流れの中でのHさんの訪問調査のようだった。
草の状況の異なる象徴的3ヶ所の田圃から、決められた方法で土を採取する。採取された土は袋に入れ研究所に持ち帰られ、土壌分析がなされる。その詳細は知るよしもないが、収穫後に存在する諸々の雑草の種子量が主な調査対象らしい。
想像するに、これら田圃にある種子が単純に少ないから草が少ないのか、種子があっても発芽を抑制する何かがあるから生えないのか?それとも両方同時に起こっているのか?土壌を調査することで、そのあたりの輪郭が見えてくるらしい。
調査対象の田圃の中には、昨年まで草だらけだった見るも無残な田圃も存在する。今年、そこを松下の抑草技術を用いて栽培を試みた。
結果は期待以上であった。草1本もない・・・とまではいかなくとも、ほぼ完璧に抑えた。
真夏のある日、その田圃の草の状況について、嘘とも本当ともとれるようなことを、松下が言ったことを思い出した。
「本当は、完璧に抑草できるんだけどさ〜、それじゃあ調査研究にならないだろ。で、ちょっとだけ手を抜いて少しだけ草が生えるようにしたんだよ・・・」
松下はこれまで、雑草と呼ばれる稲の生長に不都合な草のひとつひとつが、どんな状況で芽を出し繁殖するのか?あるいはどんな状況だと、種はあっても芽が出ないのか?田圃の表層部分数センチの世界の環境を血眼になって観察した結果。いつのまにかに草の生命生理活動について精通することになったのだ。
稲刈り後の田圃の中にホタルイが繁殖していた。よく見れば田圃の高低差で言えば少し高い場所だ。「ちょうど秋に種できるんだ・・・」と松下が手にとって見せてくれた。収穫が終わったこの時期にも草の観察は怠らない。翌年2月からはじめる田圃の土木作業でこういう高い場所は削って平らをとる。そうやって一年通じて関わることが、草の生えにくい環境を作るのだ。
ひとしきり土壌サンプル採取の終わったHさんと畔端で話をしていると、伊豆で有機無農薬を始めたという青年Nくんが現れた。
「このスーパースター揃いの時に現れるとはラッキーなやつだな・・・」と、松下は言った。
彼は今、松下の教えを請いに片道4時間半かけて車でやってくるという。彼にとってみれば、たまたま訪問したら、最も学びたい情報を、その世界のエキスパートたちが畔端で談義していた・・・というわけだ。
松下は、Nくんにメッセージするように話しを続けた。
「有機無農薬でこれだけの面積を一人でやろうとなったら、敵(草)の戦略を知る以外ないだろ・・・草を取る(除草)という発想ではなく、草の好まない環境を作ってやればいいんだよ・・・水田という環境はそれを可能にできる素晴らしい環境なんだよな・・・でもそれをいつの間にか忘れちゃったんだよ。多くの農民は。」
「農薬と化学肥料はとても素晴らしい道具だけど、それを使う意味を深く考えず、なんとなく使っているから歪が生じるのだと思う・・・」
これまで沈黙していた私も、少し意見を言わせてもらった。
「じつは今年ね、農薬化学肥料を使う素晴らしい仕事している田圃を見たよ・・・あれはあれでフェアに評価すべきだと思うな。逆に有機無農薬の田圃でも首を傾げたくなる田圃もあるのだから・・・」
それに対して松下は、
「有機無農薬は目的じゃなくて、あくまでも手段。頂上を目指すために自分なりにどんなルートをどんな装備で登るのか?俺は有機無農薬だった。ただそれだけのことだよ・・・」
10月とはいえ、日中汗ばむような陽気だったが、畔端で延々話をしていたら、すっかり日が傾き、さすがにシャツ一枚では寒くなってきた。「もうお開きの時間だよ・・・」と西に傾いたお日様が言っているようだった。
今日の調査の結果がじつに楽しみである。一日も早く、松下マジックが松下ロジックとして語られる日が来ることを期待する。Nくんのような次の世代の農のために。
Nくん20歳代後半である。背が高く日に焼けたルックスがじつ格好いい。松下と出会った13年前、僕らの後に続く世代は出て来ないかと思った時期があった。それくらい若者と呼ばれる人が、農の現場にいなかった。ところがここ数年で農を目指す若者が増えた。しかし遊びの経験の乏しい彼らは、農機具一つ修理するスキルを持っていない者も多い。いっぽう私や松下の世代は、無軌道と言われモーターサイクルを乗り回した青春時代の経験が、どんなマシンでも修理するスキルを知らず知らずに身につけた。「芸は身を助ける」のである。