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5月24日号 栃山川再考。
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松下も今日が移植作業(田植え)初日。これから約一ヶ月間、早生品種の「カミアカリ」からスタートして晩生品種「山田錦」まで、苗作りと平行しながら7〜8種の稲品種を移植していく。2月の終わり頃から作業をはじめてあっという間に4ヶ月、移植が終われば後は稲任せ。世話を焼けるのもあと1ヶ月ほど、「田植えは始めの終わり」なのだ。
(画像は補植作業中の松下)

 気がつけば田植えの頃。湿気を帯びた空気と、どんよりとした雲。梅雨の気配がしてくると、その頃だと感じる。

 貸していた田圃を今年から自らの手で稲作をはじめようと一念発起した知人、焼津の良知樹園の良知さんが、その田圃で友人知人を集めて田植えイベントを催すということで微力ながら当店スタッフ有志を伴いお手伝いに出掛けた。
田植えをする現場までは良知さんの事務所から徒歩10分。行ってみたら驚いた。それは栃山川のほとりにあったからだ。
このコンテンツの読者ならお気づきと思う。この川は松下の田圃も潤す重要な用水路。大井川から取水され志太平野のど真ん中をゆるゆると太平洋に流れこむ。志太の農を支える数多の流れの中で、その一握を担う重要な川である。
言ってみれば良知さんの田圃はその流れの下松下の田圃はその流れの上にあたる。かつて何度かこの流れの歴史を知りたくて何度も自転車で行き来したことがあった。縁あってお手伝いに行った良知さんの田圃を、見覚えのある土手沿いに見た時に、このどうってことのない無名の流れに引き寄せられたような気がした。

良知さんちの田圃に入ってもう一つ驚いた。それは深さ。平均して松下の田圃よりもずいぶん深い。なにせ、田圃作業用の長靴でも足運びがスムーズにできないのだ。田植え機が旋回する箇所(深く掘れていまうため)だけかと思ったがそうでもない。また深起こしをしているせいかとも思ったが、聞いてみればこの辺りはどこもこんな感じとのこと。もちろん松下の田圃の仕立て方との違いはあるにせよ、同じ栃山川水系でもその様相は全く異なるものだった。

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21年産の苗の出来は少しイマイチ。天気のせいにしたくないが、完璧主義の松下としてみるとちょっと悔しい。カメラを向けると、「そんなもん写すな!」と叱られた。いつだったか、気に入らないと言って全部作りなおした年もあった。苗を見るとその年のことを思い出す。(画像の苗は早生品種カミアカリ)

 夕刻、田植えの無事を確認した後、帰りにちょっと寄り道をした。栃山川の上流部、松下の田圃だ。携帯で連絡すると、今日が田植えの初日、ちょうど早生品種「カミアカリ」(巨大胚芽米玄米食専用品種)の田植えの真っ最中だった。
細かいサイズでバラバラの田圃、合計で7町歩ある中の、どこで田植えをしているかを聞くと、「川向こうの一反歩・・・」という返事。10年このかた通っていると、それだけで大概わかる。先に行って待っていると、田植え機を載せた白い2トン車で松下は現れた。

 作業がひと段落してから、良知さんちの田圃の話をしてみた。
「いやー深くてビックリだったよ・・・なんせ膝下5センチ、田植え機もスタックしそうな箇所もあったよ・・・同じ栃山川沿いでもずいぶん違うもんだね・・・」
すると、松下曰く、
「あのあたり大昔は海の底だったから深いんだよね。このあたりみたいに、田圃の中に砂利はなかったでしょ。」
と、指差す先には親指大の砂利がゴロゴロしている。かつて縦横無尽に流れていた大井川が作り出した扇状地である志太平野。上流部は重い砂利が残り、下流には軽い砂が流れ込む。小学生時分、理科で習ったとおりであった。長い時間を掛けて松下の田圃には砂利良知さんの田圃には砂が堆積してその土壌を形成していったのだ。

 たかだか車で15分にも満たない距離、しかも同じ栃山川抱かれた地域の中でもこれだけ違うものかとあらためて実感した。条件が違えば農のアプローチの仕方も、すべてのプロセスで異なる。だからこそ、この田圃にしかできないオリジナルが生まれる。すべては足元の田圃に答えがある。ただそれを読み解き、力に変えるにはセンスがいる。だから稲作はぜったいセンスだと思う。だからそれを持つ人は格好いい。私はそう思う。

 

木の子橋から栃山川を見る。この流れには何か縁がありそうだ。上流にはアンコメ米作りプロジェクトの松下の田圃がある。たぶん興味のない人には単なる水の流れにしか見えないのかもしれない。けっして清流と呼ばれるような美しい水面ではない。目を覆いたくなる場所もある。しかしこの流れには、この土地に生きた数多の農人の歴史と日常、そして今がある。そういうイマジネーションをすると、名もないこの流れが愛おしくなる。それは、私もその末席に加えてもらったからだろうか。木の子橋から栃山川を見る。この流れには何か縁がありそうだ。上流にはアンコメ米作りプロジェクトの松下の田圃がある。たぶん興味のない人には単なる水の流れにしか見えないのかもしれない。けっして清流と呼ばれるような美しい水面ではない。目を覆いたくなる場所もある。しかしこの流れには、この土地に生きた数多の農人の歴史と日常、そして今がある。そういうイマジネーションをすると、名もないこの流れが愛おしくなる。それは、私もその末席に加えてもらったからだろうか。

2009年05月24日 [ 3727hit ]
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