
旅する羽釜 ハワイの旅 1 | |
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2017年5月20~25日、ハワイ州ホノルルにある日本米専門店「The rice factory honolulu」で巨大胚芽米カミアカリの試食会のため、羽釜スイハニング(炊き)してきました。これはそのレポートです。
海外で日本の米を専門に販売しているWakka Japanの出口さんが玄米食専用品種カミアカリを販売することになり、 当日のオペレーションや機材などの細かな点はメールのやりとりでほぼ決まった。 5月20日の21時過ぎの便でホノルルへ、5月19日午前中に到着。 準備が終わった後は近所のスーパーで食糧調達。 ※ESI(エクストリーム・スイハニング・インターナショナル)カミアカリの勉強会「カミアカリドリーム勉強会」の炊飯担当部隊。会のスピンアウト企画としてはじまり、独自の炊飯活動を実践中。 画像上:ファーマーズマーケットにて |
200人スイハニング | |
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去る4月14日、200人の大学生相手にスイハニングワークショップを行った。 羽釜は全部で20釜、今まで見たことのない数。。。 炊き上がったご飯は、アツアツのうちに、おむすびを作ってもらった。 米どころ出身の学生さんからも「めっちゃ美味しいです!」と言葉が出るほど会心の出来映え。 <感謝をコメて> |
スイハニングのルーツを探る旅 6 | |
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場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
この形の土器は、弥生時代から古墳時代初期に使われていたもので、 この台付甕型土器、不思議なことに蓋に相当する遺物が出ていない。 もしこれが事実なら、台付甕型土器による調理は、「煮る、焼く、蒸す」の複合加熱、つまり炊飯ではないことになる。 一般的には、考古の専門家の解説では「煮炊き=炊く」と表現する場合が多く、それ自体は誤りではないが、 その後古墳時代となると、朝鮮半島から最新設備が入ってくる。 つづく 画像上:春の海、三浦半島胴網海岸でスイハニング(2016)周辺を15分ほど柴刈すれば二釜分以上の燃料はすぐ調達できる。この列島のなんと豊かなことか! |
スイハニングのルーツを探る旅 5 | |
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場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
「人口は、縄文ピークで26万人、それが後期で10万人という試算がでています。寒冷化のほかに、大陸からの病気説もあるそうです。弥生は60万人、ピークは100万人と大増加、やはり水田稲作がヒットしたことは間違いないですよね!」 いづれにせよネイティブニッポン列島人(縄文人)ライフを継続する人は減り、 しかしそのニッポン人がいきなり「炊飯」を完成させたわけではない。 つづく 画像上:有機米生産者、松下さんの作業場で度々行われる講座で彼の米をスイハニング(2013)土鍋は1700℃のガスの炎に出会ってはじめてその秘めた力が覚醒されたと思う。 |
スイハニングのルーツを探る旅 4 | |
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場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
前回書いたように、木の実に比べれば そもそも渡来人が運んできた稲の種類はごく限られた種類だったらしい。 ただひとつ考えどころなのが出会ったばかりのご先祖さんたちにとっての米は、 ここは多くの人で空想してほしいポイントなんだけど、私はこんな空想をしている。 つづく 画像上:フレンチレストランでカミアカリスイハニング(2013)1700℃の炎の火加減をしながら、木が燃える800℃の炎と金属羽釜の意味に気づく。 |
スイハニングのルーツを探る旅 3 | |
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場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
「木の実に比べたら、どうってことね~な~」 アクもなく少ない燃料であっという間に消化吸収できるデンプンに調理できる、 本格的に稲作が始まるのは精緻な土木技術によって生まれた洗練された水田稲作が始まった頃のこと、 つづく 画像上:松坂屋静岡店の初売りイベントで5釜連続で玄米食専用品種カミアカリをスイハニング(2017) |
スイハニングのルーツを探る旅 2 | |
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場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
「植物種子を加熱調理するための成熟した技術を持ったご先祖さんたちの前に『米』がやって来た!」 ニッポン列島がまだ大陸と地続きだった時代、大型動物を追いかけて移動してきた先人たちは、 つづく 画像上:初の海外スイハニングはフランス、フェール城「能」イベント(2013)ピレネーの軟水とゲランドの塩でカミアカリお結びを作る。 |
スイハニングのルーツを探る旅 1 | |
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炊飯はニッポン列島で生まれた独自調理技術だということは、ここでも何度か書いてきた。 その技術はどういう経緯で生まれたのかを知りたくて 縄文時代の晩期、渡来人によって稲が大陸からやってきて以来、 つづく 画像上:南阿蘇で地元の有機米をスイハニング(2014)地元の米を地元の水と燃料でスイハニングする醍醐味は格別! |
アートロ「登呂でオレらは、考えた。展」 | |
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2012年実験準備段階から関わり今年で5年目、 アートロでの私の研究テーマは水稲と炊飯技術の歴史とその変遷。 考古学や経済学、社会学といったカテゴライズされた理解の仕方とは少し違う、 「登呂でオレらは、考えた。展」 アートロホームページ 展覧会開催告知動画 |
今年もヤツらがやってくる! | |
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毎年恒例、節分の日、アンコメに鬼がやって来ますよ~。 2月3日(金)16時15分頃 |