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薄紙一枚分の領域へ
 
2011年がもうすぐ終わる。
12月に入ってあらためてこのプロジェクトのお米をじっくり味わってみた。
そして色んなことを考えた。
すぐにでも文章にしようと思ったけれど筆が進まず年末になってしまった。
今夜は書きます。いざ。
 
 
 
2011年で11作目だった。
松下とアンコメが二人三脚で企画している栽培しているこのプロジェクトのお米。
今、皆さんに食べていただいている23年産三種。
 
いただき、にこまる、あさひの夢。
 
このプロジェクトをはじめた頃を思い出してみると、すいぶん・・・・
丸くなった。
わかりやすくなった。
やさしくなった。
そして・・・美味しくなった。
 
正直、すいぶんと変わった。すごく良くなった。
松下のことや有機農業のことに全く興味ない方にでも、ふつうにオススメできるお米になった。
たいへん満足している。
 
だがしかし・・・以前のような強烈過ぎる野趣は成りを潜めた。かのように思われる。
それに気づいたのはこの秋、若手有機米生産者たちが栽培したお米のいくつかを味わった時のことだ。
彼らのお米を炊いてる時、味わう時にどこか懐かしい感じがした。
松下と出会った頃、もう10年以上も前のことを。
 
荒削り。
出力過剰。
不器用。
アンバランス。
そして野趣。
 
有機栽培という、お天道様と微生物任せのコントロール不能な栽培。
そのどうしようもない荒馬をなんとか乗りこなすことができるようになった松下。
本人が認識しているかどうかは別として・・・
ある程度、意図してコトにあたることのできるようになったのか?
米を描くことができるようになったのか?
つまり飼いならす術を得たのか?
 
いっぽうの彼ら(若手有機米生産者たち)は、ただ出来事のままを受け入れるのみ。
その代わり稲は飼いならされないのか?
すると野趣をまとうのか?もしそうならなんとも皮肉な話だ。
僕の妄想であってもらいたい・・・。
 
むむ。待てよ。そうじゃない。そうじゃないよ。
ここからなんじゃないのか?
ここまで来た松下の米。
ここから稲と松下がフィフティフィフティで創造するステージが始まるような気がしている。
作為と非作為の薄紙一枚分の領域が。
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*2011年の大晦日にアップロードするつもりでした。
2011年度  )
2012年01月08日 [ 3834hit ]
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