次の週末にはもう田んぼにない。
稲刈りは水曜日と木曜日。
23年産最後の品種がこの「にこまる」。
その姿が見たくて藤枝に走った。
松下はちょうど酒米品種の稲刈りをしている真っ最中だった。
いつになく余裕の表情。
スケジュールとお天気がぴったり合っている。
それに収穫してから乾燥機へ運ぶための搬送用ホッパーも大型になったことでさらに余裕が生まれた。
土産に持参したフランス生まれのパン、バゲットを手渡した。
ちぎったかと思ったらむしゃむしゃと喰い始めた。
― 旨いな〜。米もパンも旨いもんはやっぱ旨いな〜。
僕らが以前お世話になった有名なパン職人の一番弟子という方のバゲット。
旨くないわけない。
小麦を原料とする「バゲット」も、米を原料とする「ごはん」も、
どちらも自然の恵みと人の技の集積。
自然は人の力ではコントロールしようがない。
しかしその中に人の関わる領域があることで単なるデンプンの塊がより魅力ある食べ物に進化する。
― 人間が関わることのできる領域・・・最大で30%くらいかな・・・。
以前、松下がこんな風に云っていたことを思い出した。
残り70%はどうすることもできない。稲に任せるほかない。
猛暑だった去年はその領域はさらに少なく5%くらいだったと振り返る。
品質は芳しくなかったがそれでも米は生まれた。そして炊飯を工夫した。
そうやってありがたくいただいたのだった。
人の関わりによって小麦は「バゲット」に。米は「ごはん」になるのだ。
「にこまる」の田んぼまで歩いた。
太陽が西の空に沈みはじめた。
黄金色となった「にこまる」を逆光で見る。いっそう輝きを増す。
今年は目一杯関わることができた。きっといい出来に違いない。
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画像上:ここまる夕景
画像中:にこまる一粒剥いてみた。松下の手の中で。
画像下:いつになく余裕の秋。