10月3日。予定のない日曜日は久しぶり。
今月は、ほぼ休みのないスケジュールだと気づき、午後から田圃へ行った。
田圃に稲のある風景も今年最後かな。
定点観測しているいくつかの地点をいつものように巡る。
気温は高いが空気が乾いているから快適である。
10日遅れの彼岸花、今年の太平洋高気圧は半端じゃなかった。
ちょうどお祭りの季節。
前を通る時には必ず手を合わせている稲荷神社。幟を見るのはこれが初めてだった。
新幹線によって分断された参道と田圃、なによりも所得倍増が急務だった1962年に作られた。
それはようやくお米を、お腹いっぱい食べられるようになった頃のこと。
松下や僕が、生まれ育ったのはその時代だった。
豊かな時代の申し子のような世代。
その僕らは、1997年から予想のできない模索を始めた。
それから13年、田圃そのものは大きな変化はないけれど、
そこで生まれた米は、少しはモノ云える米に生長している。
その中にあって、22年産はタフな年だった。
歴史的な猛暑。とくに9月のそれは、強烈だった。
それでも、米は収穫できた。少なかったけれどね。
味や質をとやかく云うのは、食べる側のエゴだと思う。
「それを云っちゃあおしまいだよ・・・」米屋としてはね。
でもね、田圃に近いところで、米屋をやっていると、そう思うわけ。
だから、生まれた結果をそのまま受け入れ、受けて側が、その魅力を探す努力をする。
雑器が天下の名品として見立てられることもあるのだから。
松下との仕事には、そこに面白さがある。
何が出るか分からない、意外性と即興性。
「米にそんなモノが求められる必要はあるの?」
そう云われると困るけれど、そこが僕が面白いと感じている視点なのだからしかたがない。
だからここで何が起きているかを知りたい。見たい。捉えたい。
土のこと、空のこと、虫のこと、技のこと、人のこと、時代のこと・・・。
ポジだとかネガだとか、フォルダに仕分けする前にね。
画像上:彼岸花とヒノヒカリ。ヒノヒカリは10中旬過ぎにはアンコメにやってくる。
画像中:ドヨウオニグモ。稲につく害虫を捕食するクモ。
画像下:松下さん。22年産も終盤、今日も天気と相談しながら粛々と作業を進めている。