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2月15日号 この素晴らしい世界。
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見通しの悪い交差点には、事故を防止するために夜は一晩中青白い色の水銀灯が輝く。光の届く部分の稲の生長がそのほかの部分とは少し異なる。稲はその光も自らの命のために貪欲に利用する。私たちが思う以上に彼らはタフなのだ。

 ルイアームストロングの有名な曲に「What a wonderful world」(なんと素晴らしい世界なんだろう)というのがある。たぶん多くの方がご存知の曲だと思う。ご他聞にもれず私もとても好きな曲のひとつである。人類賛歌、生命賛歌、地球賛歌、そんな風に私には聞こえてきます。と同時にこの曲を聴くと田圃が目に浮かんでくるのです。逆光の夕日に輝く稲、その豊かな風景をイメージするのです。まさにそれは多くのニッポン人にとっても「素晴らしい世界」感じることでしょう。

 2月の初め松下の田圃へ行った。この時期田圃を見ても何も見るべきものがないようだが、じつはそうでもない。春草の動きや藁の分解具合など、田圃のコンディションを一枚一枚見て行くと、これがまたマニアックながえら見るべきものがある。そういうミクロ的な視点もさることながら、マクロ的視点、広い視野から一枚の田圃を見るのもまた面白い。

 松下の田圃のある藤枝。80年代以降ベットタウンとして急速に都市化したこの地域には、ニッポン中どこにでもあるようなありふれた風景に一見浸食されているように見える。
ガソリンスタンドにコンビニ、毒々しい看板の数々、遠く原子力発電所から運ばれる高圧線のハイウェイ、爆音を響かせて走る新幹線と高速道路。高度経済成長以降ニッポンの歩みの中で作り出した昭和、平成の肉体が、江戸時代の新田開発によって作られた肉体の上に覆いかぶさるように肉付けされている。

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今は使っていないがこの田圃のコンディションは素晴らしかった。この田圃で8年前に初めてヒノヒカリを栽培した時の味の良さに、このプロジェクトの未来に確かなものを感じた。遅い時間までこうこう輝くパチンコ店のイルミネーションの光に守られその米は生まれたのだった。

 「そういう世界を、ただ漠然と見ているだけでは、退屈にしか写らないこの風景。それを私はこう愛情を込めて歌うのだ。
What a dull world」(なんと退屈な世界なんだろう)
しかしこの退屈極まりない世界の中に、じつは壮大な宇宙があることを、このコンテンツをご覧の読者の皆さんはもうお気づきのはずだ。
一見では退屈に見えてしまう風景の中に、「wonderful world」があるこの喜び、皮肉を込めてもう一度歌いたい。
What a dull world」(なんと退屈な世界なんだろう)

 この「dull world」と、私が皮肉って呼ぶ世界こそが、まぎれもない今の姿であり、現代のニッポンなのである。それを否定したくなる気持ちは、じつは私の心の中にもまちがいなくある。と同時に愛おしい気持ちのほうがそれに優る。
これをどう捉えたら良いだろうとかと、思い巡らした時期がある。ダルに見える部分を見ないようにして都合の良い部分だけトリミングするように捉えた時期もあった。しかし松下の米が持つ、類まれな生命力は、このダルな世界と松下と、そこで育つ稲が作りだしたもの。けっして排除できるものでなく、重要な役割の一つとして肯定的に捉えるべきだと思った。これはなかなか勇気のいる見方であるが、稲という植物は我々が思う以上に強かなのである。またそのように育つ環境がここにあると考えれば、稲の未来に希望が持てるというものだ。

こんなところで松下の米は生まれているのである。今年ももうすぐ21年産の物語が始まる。この退屈にしか見えない素晴らしい世界の中で

松下の田圃の中でもっとも退屈に見える田圃である。しかし見た目で判断してはいけない。じつは9年前初めて松下の田圃へ行った時、代掻き作業中の松下を探したあげく、この田圃で見つけることができた思い出の田圃である。初めてこの田圃を見て、こう思った。「こんなところで有機栽培してんのかよ・・・」。たぶん多くの人がそう思うだろう。ここは、黒澤映画「夢」に出てくるような水車村ではない。あえて言うならその対極である。空気が清らかでも、水清らかでもない。作り手は作務衣も着ていないし、髭も生やしていない。多くの人が思う勝手な有松下の田圃の中でもっとも退屈に見える田圃である。しかし見た目で判断してはいけない。じつは9年前初めて松下の田圃へ行った時、代掻き作業中の松下を探したあげく、この田圃で見つけることができた思い出の田圃である。初めてこの田圃を見て、こう思った。「こんなところで有機栽培してんのかよ・・・」。たぶん多くの人がそう思うだろう。ここは、黒澤映画「夢」に出てくるような水車村ではない。あえて言うならその対極である。空気が清らかでも、水清らかでもない。作り手は作務衣も着ていないし、髭も生やしていない。多くの人が思う勝手な有機農業のイメージを松下はぶっ壊していた。ただ稲の生命力だけを彼は信じていた。その対比が今もって面白くてしかたがない。

2008年01月28日 [ 2668hit ]
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