場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。
スイハニングのルーツを探る旅 1 の続き
米食後発組でありながら、なぜこんな高度な調理技術「炊飯」が生まれたのか?
私はこんな仮説を思い描きはじめている。
「植物種子を加熱調理するための成熟した技術を持ったご先祖さんたちの前に『米』がやって来た!」
ニッポン列島がまだ大陸と地続きだった時代、大型動物を追いかけて移動してきた先人たちは、
氷河期の終焉とともに上昇する海水面によって大陸と隔てられしまう。
列島状になった島々に孤立した先人たちは、残された動物を徐々に食い尽していった。
狩猟の対象が大型動物のみならず、漁労へも向かう中、
温暖化が進む森林では針葉樹林から、ドングリなどの木の実を実らされる照葉樹林へ少しづつ変化していく。
その時、我々のご先祖たち(ネイティブニッポン列島)は、
皮肉にも気候変動によって身近になった木の実を採集(後に栽培)し、そのデンプンを食糧の一部としていった。
しかしその多くはアクがあり、生のまま食べられるものではなかった。
そこで肉や魚などの動物性タンパク質を土器を用いて煮炊きして食すのと同様に、
採取した木の実を煮てみた。すると煮ることでアク抜きができることに気づく。
同時に木の実の生デンプンをアルファ化(消化吸収できるデンプン)し効率よくエネルギーを摂取できるようにもなった。
やむをえず(?)食べることになった木の実が、この技術によって食糧の一握を担うことになり
その後、縄文という長い時間をかけ技術が研かれていったのではないだろうか?
つづく
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画像上:初の海外スイハニングはフランス、フェール城「能」イベント(2013)ピレネーの軟水とゲランドの塩でカミアカリお結びを作る。
画像下:縄文時代初期の煮炊き用土器(秋田市地蔵田遺跡)