TOP  >  ankome通信  >  アンコメ米作りプロジェクト  >  2016年度  >  小諸、佐久の旅。
小諸、佐久の旅。

 

長雨の続く9月24日、小諸市で行われた「小諸アグリカルチャーミーティング」へ参加した。
「新しい農業」をテーマに松下と私(長坂)で話すことになった。

思えば21世紀の始まった年から共にやって来て、今年で16作目。
日々淡々とやりながらも、常に修正を繰り返してきた。
できるところから少しづつ少しづつやってきて、やりながら目標が見えてきて、
そのための方法を考え、出た結果から将来を考えてきた。
ないものを作り出しているのではなく、あるものを再度捉えなおす作業とも言える。
「田んぼからお茶碗まで」のことを、再編しているようでもあった。
そこで我々のトークのタイトルは「田んぼからお茶碗まで」再編中。としてお話しをした。
事前のやりとりで、このトークミーティングの企画者氏へ、こんなことをお伝えしておいた。

 

例えば農業技術で説明するなら・・・
そもそもなぜこういう技術に至ったのかを水田稲作草創期頃まで戻って考え、
日々無意識にやっている作業の意味するところを、今の言葉と道具で編集し直しているという感じ。
また流通に関しては、欲しい人のところへ上手に届けることの技を鍛えることより、
人が欲しくなる(あるいは関わりたくなる)ような文化という家づくりをしている感じ。 
それも設計図もなければ、納期もない、日曜大工でボチボチ作ってるような気がします。 
いずれにしても、進み具合は、傍から見ていても、ほとんどわからないない状態。
けれども10年位のスパンでみると柱と簡単な屋根くらいは葺いたことはわかる。

一般的には待ってる時間が長く感じるから現代的な商いのあり方にはまったく即さないし、
お金というモノサシで計ると利回りはぜんぜんよろしくない。
気短な人はきっと残念に思うにちがいないのです。
それでも面白がって集まってくる人がいて、少なからず影響を与えている。
持ち帰ったその人が、自分の場でその一部を材料にまた家をづくりを始める。
できていく家の大きさや形はみんな違うけど、
自分でつくるから、どこがどうなっているのかが全部分かる。
つまりブラックボックスらしきものがないわけです。

誰かが作ってくれた、ひな形にあわせたもの作りや商いは、けっして悪いことではないけれど
気ごころの合う人同士の小さくもなく大きくもないコミュニティで、
ささやかながらもお互いが「ここがどうだ?あそこはどうした?」といえるモノをつくり、たべる。
形式に頼らなくても欲する人がつくり、商い、食べている。
ただこれだけのことなのです・・・。(終わり)

 

翌25日は久々の快晴、佐久で稲作農家になった黒田くんのところへ寄り田んぼを見て回った。
彼の稲作の中にも、少なからず我々の作った家の一部が含まれている。
こうやって一年一作のペースながら少しづつ少しづつ家はできていくのだ。

_

画像上:長野県佐久市、五郎衛新田黒田くんの田んぼ。浅間山の眺望が美しい。
画像中:下葉3枚が根、上葉3枚が実(米)をつくる。じつは下葉の健康状態が米の登熟(成熟)において重要な鍵となる。そのことを指摘する松下。
画像下:穂の根元部分の米の状態がいい。松下に言わせると、満点とは言い難いが、まずまずの出来とのこと。

2016年10月07日 [ 4608hit ]
このページを印刷
カテゴリ内ページ移動 ( 13  件):     1  2  3  4  5  6  7  .. 13