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台付甕型アルミ器
 
 約2000年前の弥生時代の登呂(静岡市駿河区)で煮炊きに使われたいた台付甕型土器をアルミ鍋製造メーカー「中尾アルミ製作所」さんらの協力を得て、同社が長年培ってきたアルミ素材と、しぼり技術を用いて作っていただいた。台付甕型アルミ器。文字は「土」が「アルミ」に変わっただけだが、実際はそれだけではなかった。
 
なんでわざわざそんなことを・・・
 
 かくいう自分もちょっぴりそんな思いはあったのだが、この3年余り登呂遺跡で行ってきたアートロにおける台付甕型土器での煮炊き経験がその酔狂とも思えるモノづくりのきっかけとなった。
 
 遺跡から出土している台付甕型土器のほとんどは本体と台を繋ぐ部分から破断していた。この土器を作ってみるとわかるのだが、最初にコップ状の台となる部分を作り、次にその天地をひっくり返した上に本体を作っていく。これが破断するそもそもの理由と考えられる。台として上部を充分に支えることができるくらいに硬化した台部分に、まだ柔らかい粘土を手びねり積んでいく。この時の接合部の硬化時期の差が、使っていくうちに破断してしまう原因と考えられる。土で作るがゆえの問題がここにある。ある時期を境に使われなくなったこの土器が、廃れていった理由のひとつにこれがあると想像している。
 ところがこの土器、どんな場所でも置いたところが即、煮炊き場となるモバイル性能は素晴らしい。季節ごと?時として飯場を移動するような住まい方をするには具合がいいのだ。割れた土器を桜の皮で継いで修理している出土品もあることから、日頃から割れぬよう大切に扱っていたに違いない。それでもこの煮炊き用の土器が構造的理由で破断してしまう宿命は逃れられない。
 これを金属で作ることができたなら台付甕型土器の構造的問題をすべて解決しこの宿命から開放される。台付甕型土器という希有な形状の煮炊き道具が進化してたなら・・・。そんな思いをもとに2000年の時を超えて現代鍋釜技術で作ることになった。進化という言葉がふさわしいかどうかはわかなぬが、実験的に作られた「台付甕型アルミ器」は、まさしく台付甕型土器の進化系にほかならない。
 もし、タイムトリップして2000年前の登呂村にこの台付甕型アルミ器を持って行ったら村人たちはどんな反応するだろうか?煮炊きの歴史が変わってしまうかもしれない?そんな空想と平行して、煮炊き実験を繰り返し、実力を探っていこうと思う。
 
 
制作にご協力いただいた、中尾アルミ製作所の田崎さん、一厨の鈴木さん、ありがとうございました。
煮炊き実験に協力いただいた、ユーカリのくらたの倉田さん、ありがとうございました。
 
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米屋のいい訳「1500年」
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画像上:
釜戸がまだニッポン列島に渡来する前、東海~関東地方で煮炊き道具として使われていた台付甕型土器、現代人からすると蓋を持たないことが希有に見えるが、置いた場所で煮炊きができるこの構造は、遊牧民のような旅する人の道具のよう。寝床を決め、その周辺から柴刈をして集めた燃料で煮炊きをする。どんな食材もグツグツ煮れば消化しやすく、やさしい風味の食事ができる。このポテンシャル、現代においては災害時には頼もしいのではないかと思えてならない。
 
 
画像中:
金属ならではの熱伝導の良さで、木が燃える800℃の熱であっという間に沸騰に至る。ちなみに出土する煮炊き用の土器には、なぜか砂が混ぜられていた。当初はその理由は分からなかったが、実験を重ねるうちに、砂の入った土器のほうが沸騰到達時間が早いことに気づいた。つまり2000年前の人たちは知っていたのだ、煮炊きにはこのほうが熱伝導が良いことを。
 
 
画像下:
今回は玄米(静岡磐田太田農場産コシヒカリ玄米+うるち赤米)を煮炊きした。まだ一度きりの実験ではっきりとしたことは言えないが、あきらかに熱ムラがなかった。羽釜で玄米を炊くのと同じようなフローで約一時間弱、かなりの熱量で加熱したが焦げることなく、ふっくらとした食感は現代人の食事感覚でもまったく問題のない美味しさだった。ちなみに平行して台付甕型土器でも玄米(静岡磐田太田農場産コシヒカリ玄米+もち黒米)を煮炊きした。もちろんこちらも美味しかった。しかしこびり付いた米粒洗いがひと苦労なのは素焼き土器の悩みのタネ(笑)
 
2016年07月11日 [ 2278hit ]
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