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1500年

 

縄文晩期、ニッポン列島へ稲作が伝わって以来、
先人たちは米という稲の種子(穀物)を食べ始めた。
と同時に、米のデンプンをどうやってエネルギー源として効率よく吸収できる状態にするかの技術が試されていった。
もちろんより美味しくたべることにもこだわって。

画像はその道程で生まれた煮炊きの道具である。
左はご存じの羽釜。
右は、台付甕型土器(だいつきかめがたどき)。

金属でできた羽釜が一般に普及したのは江戸時代中期。
つまり平和になった江戸時代、金属が武器ではなく民生品に広く使われるようになってからのこと。
それによって現在の炊飯技術(煮る、焼く、蒸す)の「炊き干し法」が完成しました。
ちなみに画像のこれは当店の先々代が戦中戦後に使っていたアルミ製のもの。

いっぽうの台付甕型土器、これは弥生時代後期の登呂村で使用されていたもののレプリカ。
登呂遺跡で3年間行ったワークショップ、アートロ「土がぼくらにくれたもの」の活動で使用したものです。
じつはこの土器、蓋を使用した痕跡がないので当時は蓋なしで煮炊きしていたと想像されています。
だとすると、これは炊飯ではなく、たんに「煮る」だったと想像しています。

両者の間には約1500年間の時間差があります。
じつは、その間にも様々な煮炊き道具があります。
そうやって生まれた技術の集積が1500年後の江戸中期に炊飯技術として完成しました。

この話をし始めると、止まらなくなります。
今日のところはこのへんで。

2016年03月04日 [ 2082hit ]
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