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心配事最小技術

 

ラジオのニュースでは、ここのところ天候不良による日照不足が農作物に影響が出ていると報じている。あの平成5年のような夏だ・・・と、伝える情報もちらほら聞かれる。あれからもう24年も経ったのかと曇り空を眺めながら田んぼ道をクルマで走る。遠州森町、磐田、掛川を経由して最後に藤枝の松下圃場へ着いたのは夕方5時頃。お盆休み中とあって幹線道路以外のドライブは快適だった。

日照りに不作なし。どこの稲作農家も口癖のようにいう言葉。こんな空模様の中、畦傍で話す会話には必ずといって、この言葉が口をついて出てくる。それくらい今年の夏はギラギラ太陽を見ていない。いつもなら暑過ぎる気温による高温障害を心配するのがお決まりのトークだが、今年は終始、日照りを渇望する声ばかり聞こえてくる。とはいえ気付けば自分も同じ言葉を発していることに気付くと、より農家に近い心持ちなのだと思うのである。

つまりは、それが稲の生長にとってどう影響するのか?具体的にいえば、品質はどうなのか?収量はどうなのか?食味はどうなのか?はては価格はどう変動するのか?心配は尽きることがない。心配事を極力最小にしたい欲求が強いほど、心配事はさらに増幅していく傾向がある気がする。人の心の中で増幅していく心配は、副作用として何らかの影響を社会の表層に表れてくる。そうやって思いもよらない出来事が起こる。平成5年の翌年、平成6年の2~3月、後に「平成米騒動」と呼ばれることになる社会現象は忘れることのできない出来事となった。思えばアンコメが松下と共に、このような稲作プロジェクトを行うことになる、きっかけのひとつにこの出来事があったことは間違いない。

僕が知る限りにおいて、そもそも人類にとって水田稲作技術とは、農耕ライフの心配事を最小にする技であったはずだ。田んぼに水を張ること。苗を別に育ててから移植すること。イネそのものを人類に都合よく改造を重ねること。これら象徴的な技術をはじめ、ほとんどすべての技が心配事最小技術といっていい。にもかかわらず、複雑になった現代社会はさらなる心配事の減少を欲望しているように思えてならない。

たぶん今年も米は間違いなくできます。ただし、見た目はどうか分からない。多いか少ないかも分からない。美味しいかそうでないかも分からない。それでもそれが平成29年産のお米。たべればお腹が満たされ、身体が動き、夢も見ることができるはず。そう思えば心配欲求は少なからず最小化に向かうはず。さて皆さんはどうだろう?そもそも僕はどうだろう?今日も曇り空だな。
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画像上:早生品種「カミアカリ」の生長は若干の遅れているが順調そのもの。むしろ高温障害の心配は皆無。
画像中:スズメ脅しのサウンドシステム。天敵の猛禽類の鳴き声が数分おきに鳴り響く。
画像下:晩生品種「にこまる」は10月中旬に収穫するもっとも長い期間田んぼでいる品種。これを僕らはマラソンランナーと評する。ゆえに天候の変動に無類の強さを持つ。なにもせず24年が経過したのではない。心配事最小技術はアップトゥーデートなのだ。

 

2017年08月20日 [ 523hit ]
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