台付甕型土器で空想。
登呂博物館へ。
台付甕型土器(レプリカ)とご対面。
博物館では日頃からこの土器で米(赤米)を加熱調理しているとのことから全体が煤で黒ずんでいる。
高さ約240ミリ、直径約230ミリ、鍋の深さ約190ミリ、高台の高さ約60ミリ。
見た目の印象では二升釜くらい。
七掛けで炊飯するとして一升五合。
お茶碗で30杯、おむすびで45個分くらい。
この量は一人一石食べていた時代(江戸時代)で換算すると5人家族の一日分に相当する。
炊飯とは、煮る、焼く、蒸すの複合加熱。
これをひとつの鍋で連続的に行う。それを「炊飯」という。
気になるのはこの土器を使っていた人たちに「炊飯」という技術があったのか?なかったのか?
学芸員の話によれば、蓋は出土してないという。
であれば、蒸すという技術はなかったようにも思われる。
この土器を眺めながら僕が空想するのは「煮る」風景。
沸騰した湯の中に米を入れる。
そしてひたすらやわらかくなるまで煮る。
こういう調理方法から想像する風景がある。
豊かな森。
加熱するための充分な燃料、つまりエネルギーの存在。
燃料をセーブしつつ食べやすく調理しようとするなら事前に水に浸しておいたり、
蓋をすることで蓄熱を促し加熱時間を短縮することを考えるだろう。
だから蓋のない土器で調理していた登呂村の住人は炊飯ではなかったように思えてならない。
炊飯技術の黎明期を知りたい。
ゆえにこの時期の調理方法が気になってしかたない。
台付甕型土器を前にして空想は止まらない。
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( 米屋のいい訳 )
2012年07月10日 [ 4640hit ]