じゃ。また。
数日前のこと。午後から仕入れに出かけた。
農家2軒。共に友人。
荷物を積む。支払いが済んだら縁側でお茶。
すっかり晴れた。冬の日差し。あったかい。
目の前にしだれ桜の大木。その向こうに茶畑。
いつ来ても心地よいところ。
自製のお茶をすすりながら3代目がポツリ言う。
そこの木も、あっちの木もちゃんと剪定したり周辺をきれいにして誰が来てもいいように全体を整備したいんですよね。
こういう仕事ははっきりとお金になる仕事、稼げる仕事でないからついつい後回し、
あるいはそのままになってしまうという。
とてもよく分かる。
よくわかるけど・・・ちょっと待てよ。
正月、ボ〜ッと考え事をしていた時に気付いたことの中にこのことがあった。
この空間は彼の家のモノだけど、本当にそれだけのコトなのかな?
この農園からは農作物を美味しくいただくことだけでなく、
その農作物が生まれる空間まるごと味わうことについて
僕らはもっと主体的に関わってもいいんじゃないかな・・・?ってこと。
この家のモノであるこの空間は、同時にみんなのコトにしていいんじゃないかな?と、思ったわけです。
だって、今より
少しだけ美しく、少しだけ心地よく、少しだけ魅力的であったらどんなにいいだろうか。
今、茶飲みしているこの縁側が外でもなく内でもないような開かれた空間であるように
僕が今、ちょいと腰掛けていいくらいのささやかな量的関わりを持ってもいいんじゃないかな。
と、思ったわけです。
お茶、美味しかった。
ごちそうさまでした。
じゃ。また。
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rei harakami - first period
( 米屋のいい訳 )
2012年01月20日 [ 3574hit ]