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備忘録2010。美味しいについて。

 

お米は一年一作。
まだ寒い季節に作付けの計画を立て設計図を作る。
その設計図に従って作付けをする。
実際に稲が田圃にあるのは5ヶ月に満たない時間だが、その時間を準備するために、それと同じくらいの時間を掛ける。
つまりほぼ1年間の営みそのものがお米という食べ物なわけだ。

 

その営みがそれを食べる人にとって、美味しいこともあれば、そうでないこともある。
今年のような気象条件は本当に厳しかった。
生産家の中には、「どうすることもできなかった・・・」という人もいた。
それでもその生産家のお米はちゃんと食べられる立派なお米だった。
美味しさは及第点とは云えなかったけれど。

 

美味しいお米が生まれるために稲を育て商うことが僕の仕事である。
だから常に結果を求められる。
しかし不幸にも結果が思わしくないこともある。
そのために様々な工夫をし、できるだけ良い結果を導き出す。
それもまた仕事である。

 

たまにこんなことを思うことがある。
「美味しくなければならない」そんな風潮が少し窮屈に感じる。
せっかく一年掛けて生まれたお米にも関わらず、美味しくないことで価値が下がる。
どこか腑に落ちないがそれが今である。

 

「いつも月夜に米の飯」
昔のニッポン人にとってこの状態は人生における最上級だった。
我々は今その状態の中にある。

 

玄米で食べるお米を知るようになって以来、
味や香り、触感が織り成す風味風合いはじつに多様で、知れば知るほどに美味しいと感じる幅も広がっていく。
広がっていった先には「美味しくない」なんて風景はなくなるかもしれない。
まあそんな風に思うのだ。
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2010年12月29日 [ 3759hit ]
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