金曜晩の生放送はNHK静岡のスタジオ内で見た。
放送30分前に現場に行ったらすでに松下がいた。
どうやら松下もディレクターI氏に呼ばれたようである。
スタジオは想像以上に小さなところで、僕と松下の二人は、いつもはアナウンサーがニュースを読むために設えたセット内の椅子に腰掛けて放送の一部始終を見物させてもらった。
じつはこの番組取材は3月頃から松下をずっと追いかけていた。
具体的な出口を決めないままに、I氏の嗅覚だけで自身がカメラを回し取材を続けていた。
松下や僕にとってそれは少し迷惑で「どうせ判りっこないないだろう・・・」と思っていた。
撮影をしながらI氏は僕と打ち合わせしながら、その進行状況と出口についてディスカッションした。
7月頃、I氏は松下とそれをとりまく群像が気になり始めた様子だった。
そして猛暑の夏が過ぎた頃、I氏の興味は徐々にカミアカリの比重が大きくなっていったようだ。
11月のカミアカリドリーム勉強会に向け、僕らの熱が上がっていくほどに、I氏もまたその熱波の影響を受けていることを感じた。
I氏とのメールのやりとりの中身は激しくなっていった。
その頃には、これが今までに感じていたような「メディアの取材」という文脈でのニュアンスが薄れていく感じを持つようになっていた。
そして11月の勉強会直前にI氏にメールでこんなニュアンスのことを告げた。
「どんな形にせよカミアカリに関わるならば、その関わりに当事者意識を持ってもらいたい・・・」。
関わる人すべてにそれをメッセージした僕としては、メディアさえも例外でないことを伝えたかった。
とくにカミアカリを説明する上で、使ってもらいたくない言葉がいくつかあった。
それを使えば誰にでもとりあえず分かったような気にさせてくれる魔法の言葉であったけれど、僕はその使用を禁止した。
僕も松下も、その言葉の毒を好まなかったからだ。
勉強会が終わり数日後、I氏は番組を作る宣言をした。ついに出口を設けたわけだ。
その言葉使わず視聴者に伝えるためにI氏は考えたはずだ。
そして金曜の晩、僕らはその答えを目の前で見聞した。
ナレーションから発するその言葉からは、その言葉はひと言も出てこなかった。
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画像上:松下アナウンサー。なんちゃっての図。
画像下:リハーサル中。