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記憶の地平【14】

 

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。


記憶の地平【14】野の趣き。

 

2001年。最初の年、僕はただ黙って見ました。
ここで何が起こっているのか?この松下という男が何を考えているのか?
ありのままを、真正面まら理解するには、それが一番だと思ったからです。
作業の合間や後に、日が落ちるまで話しを聞きました。
話しのほとんどは、稲の生命生理です。
米としての美味しさや、質、量など、多くの稲作生産者が興味を持つことにはあまり関心がない風でした。
そしてまた彼は飢えていることが分かりました。
それは彼の好奇心が満たされないところからくる飢えだと感じました。
その好奇心への渇望は、妙な表現で彼の口から出力されていました。

 

「俺が普通の農業で、周りが特殊化学農法なんだ・・・」。

 

このメンタリティー、じつは僕の中にもありました。
でも、それはきっと将来通用しないだろうとも思っていました。
つまり、なにかのアンチテーゼであるうちは、自立できない。
テーゼがあってのアンチテーゼの存在は、本当の自立、本当の満足、あるいは本当の創造は、ないだろうと考えていました。
それに彼の仕事は、もうすでにその領域から出つつあったようにも思ったからです。

 

その年収穫された米を早速食べました。
その米は、けっして褒められるレベルの米ではありませんでした。
はっきり云うと、美味しくなかったのです。
ただ、一つだけ引っかかる何かがありました。何とも云えない風味があったのです。
ふとアイデアが浮かびました。玄米で炊いてみたのです。
白米で炊いた時より数倍、いやそれ以上にその風味が爆発しました。
とにかく、炊いている最中からして、香りや湯気の出方が他のものとは明らかに違っていました。
それは今まで感じたことのない独特のもの。
それを僕はこんな言葉に表しました。


「野趣」


そこでその年、「松下×安米プロジェクト米」と命名した彼と僕の一作目のお米、そのオススメキーワードは、こう表現したのです。
「野趣溢れる独自の風味。それを味わうなら玄米と分づき米がオススメ」としたわけです。
折から、無農薬有機栽培米を玄米、分づき米で食べたいというニーズにはピッタリで、9月下旬に入荷した35俵(2100kg)は3月中旬には、すべて完売したのでした。

 

売れれば満足と思っただけではありませんでした。
販売期間中もその後も、ずっと気になっていたのが「野趣」の正体でした。
どうしてこういう、他の米にはない風味と風合いを持つのか?
そして、栽培期間のこと、畦で長時間話したことを思い出しながら考えたのです。
そこで気がついたのです。
「この稲は、人に飼われてないんだ」。
家畜化されないで、稲が稲らしくきちんと生命生理活動をするとこういう風になるんだと。
事実、河川敷などの叢の中を掻き分けて歩くと、あの野趣をイメージするような香りがあることを思い出したのです。

 

そしてまた、野趣として奏でられている味や香り、風味風合いの中に、
松下明弘の作為が微塵もないことを知るのです。
当時の彼には、米の味や香り、触感などに、全く興味がないことからも、それは証明できます。
これは大きな気づきでした。
そしてこれは、僕が希求して止まない「美しい状態」が、米の中で発見できた時でもあったわけです。

刹那というオマケ付きでね。

 

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今日ももうこんな時間、地平の神さま、また明日。
Bach cello suite No.6 Allemande

2010年10月22日 [ 4041hit ]
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