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記憶の地平【12】

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。

 

記憶の地平【12】足元からの発見

 

家業である米屋の仕事をやってみようと思った。
どうやらその中に、自分が求めているもの。「美しい状態」がある気がしたから。
まあ贅沢な話しですよね。やってみようと思ってやれちゃうんだから。
かつてロッキーをいっしょに見に行った従兄弟のHに言われたことがあります。
「おまえいいよな。家に帰ればいいんだから・・・俺は自分で居場所を見つけなきゃならないんだぞ」
職を求めることの厳しさから考えれば、「あまい」と云われているような気がしました。
でも、それはちょっと違うんです。今は上手く説明できませんが。

 

最初の5年、がむしゃらでした。
「美しい状態」のことを考える間もなく毎日朝から晩まで車に乗って営業に没頭しました。
好きな音楽も忘れ、AMラジオしかない営業車の中はいつもにNHK教育ラジオ。
移動時間は大学の通信講座のような日々でした。
まあそれが当時の僕には新鮮で面白かったんですがね。
おかげで少し物知りになりました。

 

ある日、少し心に余裕ができた時、CDを買いに呉服町通りに行ったわけです。
するとあるはずのところにその店がない。
しかも知ってるはずのその通り風景も少し違って見え、歩いている人の服装もまた違って見えたのです。
映画「バックトゥーザフューチャー」で未来へ行った感じ。そこまで極端ではないにせよ、そういう感じでした。
つまり、ひとつのことだけにに没頭していた5年間だったわけです。

 

6年目のある日、お米のことを何も知らないのに、お米を売ってる自分に気づきました。
お米どころか、稲のことも、ご飯のことも何も知らないわけです。強烈に恥ずかしくなりました。
ちょうどその時、地元新聞社のHさんが編集する農と食がテーマの雑誌、そのレポーター役のやってみないかと誘われました。
静岡を代表する稲作生産家に会いに行くというレポートでした。
僕は飛びつきました。稲作というものを知りたかったからです。
夕方に現地に入り、深夜2時か3時頃まで、色んな話を聞きました。
聞くものすべてが新鮮でした。衝撃的な時間でした。それが1996年秋のことです。
そして翌年の1997年、僕の人生を変えるきっかけとなる大きな出会いがありました。
それもまたHさんがきっかけでした。そう、松下明弘との出会いです。


そういう出会いをすることで、僕なりの米屋像、あるいは仕事への意識が、見え始めたものがありました。

つまり薄れ掛けていた「美しい状態」が、ようやく仕事の中に鮮明に見え始めた。そんな時でした。


それは云わば木こりのような仕事。しかもただの木こりじゃない。
なんというか「想像のレンジが広い木こり」。そう思い立ったのです。
難解ですよね。解説します。

 

木こりは、木を切ることが仕事です。ですから、木を切ればいいんです。
しかしそれだけではありませんよね。
例えば、用材として適切なコンディションの木になるように育てること。
またそれらを広大な山林の中から選ぶこと。
そして注文どおり手際よく伐採し、運び出しやすいような位置に倒木させ、無駄なく運び出すこと。
とにかく正確に、効率良く、その時代の経済状態に則した形で仕事を遂行すれば、優れた木こりなわけです。
僕はその上で、これが無意識にできる木こりになりたいと思ったわけです。

 

切り株の姿を、一瞬脳裏にイメージして木を切る木こり。

 

つまり、木こりの仕事は、あくまでも木を切る仕事で、切り株を作る仕事ではありません。
しかし、切り株はいやおなく残存します。
それがどんな姿だろうとも、無視することはできるでしょう。
しかしそこに、なんというか・・・想像のレンジをほんの僅か広く持ったとします。
つまりそれは、作為なく切り株という物体が生まれる瞬間でもあるのです。
例えば、その切り株を見たある人が、「ちょっと腰掛けてみようかな?」と思って座ったとします。

ほかの切り株よりも、佇まいがどこか魅力的に見えたからです。
それこそが、僕の希求する前家畜化時代の物体、「美しい状態」なのです。わかりますか?

 

じつは、80年続いてきた安東米店は、そういうコトをしているのではないかと思ったわけです。
いや長年続いている仕事の中には、どんな仕事でも、こんなエッセンスがあるように思えるのです。

腰掛けさせるのではなく、腰掛けてみたくなるような何かが。
これを人によっては「文化」という言葉にする人もいるでしょう。
これが、僕の米屋像、あるいは仕事への意識の深層です。
つまりそれは学生時代から希求し続けた「美しい状態」そのものです。

ついにそれが足元にあることを発見できたわけです。

 

ただし、まだそのことを、説明するコトやモノ、そして技はないに等しい状態でした。

そして、アイツと始まるんです。松下明弘と。

 

次回はいよいよ松下明弘をどう捉えてたか?
これまでの思索を総動員して理解し価値を紡ぐ作業のはなしを始めようと思う。

 

※少し手直ししました。もしかするとまた手直しするかもしれません。ここポイントですから。

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勇気が萎えそうな時にはこれを聞く。
Kirsty MacColl - No victims.
 

2010年10月18日 [ 4062hit ]
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