TOP  >  ankome通信  >  米屋のいい訳  >  記憶の地平【10】
記憶の地平【10】

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。
 

記憶の地平【10】矛盾と混迷

 

こんな風にして、僕が「美しい状態」と感じている前家畜化時代の物体への憧れは、さらに強くなっていきます。

学校を卒業する半年前のことです。
卒業後のことを考えなくてはならない時期だったこともあり、一応、さるインダストリアルデザインの会社の就職試験を受けました。
1次試験が通り、2次試験も通り、最後に残った5人の中の1人でした。
案外優秀だったんだな。真面目にデザインすれば。
ついに重役面接なのですが、そこで僕、生意気にも、その時に思っていた「憧れ」について大出力しました。
やっちまいました。
とっても長い時間話しました。他の4人よりもね。
さんざんディスカッションした後、試験官である女性重役のお一人が、こう云うのです。
「あなたはコレが作りたいの?それともデザインがしたいの?」
そこで僕は屁理屈を云いました。
「コレが人とモノとの関係の原初の姿なんですから、これを作ることはデザインソースになると思います・・・」
すると、もう一度念を押すように同じ質問をされました。
僕は、覚悟をして、ほぼ同じような答えを云いました。
彼女は彼女以外の3人の試験官と顔を見合わせました。
結果の通知が届くより早く、その場で結果を理解しました。

 

この出来事があった後に、僕が「美しい状態」だと思う前家畜化時代の物体探しを再開し始めたのです。
その第1弾が、卒業制作でした。
これはまあ、大失敗でしたね。作為に満ちていたからです。
それでも何とか卒業はできました。というか追い出されたような感じかな。
だいたい、研究室の教授陣からは「ナマイキ」とあだ名されていたぐらいでしたから。(笑)

 

卒業後にも制作は続けました。働きながらね。
そして2回ほど人に見てもらう機会がありました。
89年秋の京都、それが僕の「作る」という行為の最後の作品となりました。
作りながら、その「作る行為」そのものに矛盾があることに、気づいたからです。
理屈をつけて作っておきながら、その作った物体を額に入れるようにして、
見せモノとしている表現に嫌気がさしたからです。

 

つまりこういうことです。
僕の憧れる「美しい状態」と感じている前家畜化時代の物体は、そもそも作られたモノではないからです。
自然界で偶然生まれた物体だったり、あるいは何かを作ろうと思って生まれた物体ではなく
トマソンのように意図せず生まれてしまった物体に対して憧れているからです。
それを作っている自分のなんと愚かしいことか・・・やんなっちゃんですね。

 

ちょうど卒業してから2年が経過していました。
そこでふと旅に出ることにしました。行ってみたいところがあったので。
その旅先である光景を目にし、その土地の老人と少しだけ身振り手振りで会話をしました。
その時、矛盾と混迷の中にから、わずかながら出口を見出したのです。

旅のはなしは次回しましょう。
_

 

モノ作りの意味するものは?
Karin krog - Meaing of love

 


画像上:「作る」行為の最後の作品。1989年秋、京都。
画像中:1988年夏、東京。
画像下:卒業制作。最低なモノだと今でも思う。あ〜恥ずかしい。

2010年10月14日 [ 3895hit ]
このページを印刷
カテゴリ内ページ移動 ( 649  件):     1 ..  515  516  517  518  519  520  521  .. 649