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記憶の地平【9】

人前でお話しをする機会が、今月と来月そして年明けにある。お話しする内容はカミアカリをはじめ、これまでアンコメや僕自身が考えてきたアイデアやプラン、そして実際にやってきた活動のことなど。今それらを毎晩整理している最中なのだけど、整理していたら、その話しの源泉は過去の記憶にあることに気づいた。そこで、その整理がてら、このコンテンツで少し書いていこうと思う。ご迷惑かな?まあちょっとお付き合いくださいな。

 

記憶の地平【9】4本足の物体。

 

今でこそ「美しい状態」についての想いを、前回まで述べてきたように語ることができますが、87年当時は、まだそれを上手く説明することができませんでした。
おぼろげながらもそこに存在するけれど、どうしたらその状態を、「ほら、こうでしょ。」と、他者に見せることができるのか、僕なりのその方法が見つかりませんでした。
唯一できるのが、なにかを作るコトと、その作ったモノのことを、言葉で説明することだけでした。とはいいつつ、20歳代前半の僕には、その両方はあまりにも未熟でした。
後にそれらは、矛盾だと気づくことになるのですが、当時の僕は作ることしか術ないと、どこかクソ真面目に考えていたように記憶しています。

 

そんな気分の最中、所属する工芸科工房の指向性とは明らかに異なることは肌で感じつつ、この作品を作りました87年9月のことです。学校が休みの間に、奥多摩へ行き、間伐材を分けてもらい作った作品です。

この作品では、家具という概念が生まれる前夜の姿。
強烈に憧れを抱いていた前家畜化時代のそれをテーマに、答え探しをしました。
何の設計も一切のデザインニングもなしに、目の前の木に向かい、気の向くまま、手の動くままに出てきた造形でした。

当時のスケッチブックには、こう書かれています。

 

ある者は、それを見る。
ある者は、そこに寄りかかる。
ある者は、そこに寝そべる。
ある者は、そこで食べる。
またある者は、そこで遊び、そして語らう。

 

当時の僕には、この物体に集まってくる様々な人が見えていました。
その人達は、この物体に対して、自らの肉体をその物体に合わせることで、様々な関わりを、試し、また探している風に見えたのです。
ですから、物体の形体や形状がどんな姿だろうが、まあどうでも良かったわけです。
問題は、その物体に対して、どのように人が関わるか?そこにのみポイントがあったわけです。

 

作品が完成すると、学部教授人全員の前でプレゼンテーションするのですが、そのために作品を講評会場へ搬入していて驚くべきことに気づいたのです。
なんとこの物体は4本足だったのです。
製作中そんな雑念は一切なしで作ったにも関わらず、この物体は地表に接する点が4ケ所あったのです。

僕はその時、言葉を失いました。
「原初の姿は、最初から4本足だったのだろうか?いや違うはずだ。」
と思っていたにも関わらず、無意識で作ったそれは、皮肉にも違うはずの姿が、そこにあったというわけです。

__

 

いよいよ矛盾と混迷に入り込みます。ご一緒いただけますか?
Pat metheny group - Are you going with me?

 

2010年10月14日 [ 3774hit ]
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