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栃山川散歩

 8月21日と22日にカミアカリツーリズム静岡藤枝で訪ねる場所を少しだけ教えちゃいましょう。その最終回です。

 

 松下さんの田圃が、このツーリズムのゴールではありません。栃山川をさらに下り、かつての大井川の氾濫原であった頃の志太の面影を訪ね歩きます。栃山川緑地公園栃山川自然生態観察公園本中根の集落がそれらです。
 ここでは民俗学調査の仕事をされていて、勉強会メンバーでもある外立さんに解説していただきながら、この界隈を散歩していきます。

 

 ここは、かつて栃山川が蛇行して流れていた、そのままの姿で公園として保存されているたいへん珍しい場所で、昭和61年頃に河川改修工事が終わり現在の姿になりました。
 見所はたくさんありますが、「キレーショ」(旧流路と新流路の接点)はなかなか壮観です。また旧流路沿いに弧を描くように茂る雑木林は、たいへん美しい景観です。

 

 本中根の集落は専門家の解説なしでは、きっと見過ごしていまうことばかりです。しかし、そのどうってことない風景の中に、この土地ならではの遺構が満載です。
 例えば「ヤシャンボー」と呼ばれる木をご存知でしょうか?現在、この本中根でヤシャンボーが唯一存在する場所が、栃山川沿いにあります。

 

<ヤシャンボーについて>
 かつて大井川下流では広くヤシャンボーが茂る風景が見られました。ヤシャンボーは土手の崩落を防ぐためや、薪にするため、潮風を防ぐためなど多目的に植えられました。またヤシャンボーの間に竹をかけてそれらを横木とし、稲をかけて干すハンデに利用されたり、牛をつないだり、休憩の場でもありました。また古くは、女性のお歯黒を塗るとき、ヤシャンボーの実を噛みながら行ったという話しもあります。
 そんなヤシャンボーの木も、昭和30年代の土地改良によって水田や道路が整えられたり電気やガスの普及によって薪の必要性もなくなったことで、その姿を消していきました。

 

 こんな風に、長い時間をかけて大井川が作った扇状地、志太平野には、時代と共に人が生きるために水と関わった多くの遺産がたくさんあります。現在、その風景はすっかり姿を変えましたが、水と関わる人の歴史は今も現在進行形です。
 今回のカミアカリツーリズム静岡藤枝では、それらを実際に見て歩くことで、時空を越えて体感してもらうように準備をしました。
 いよいよ明日、JR六合駅からこの旅は始まります。

 

参考文献:焼津市民俗調査報告書 第四集

 

画像上:栃山川の現在の流路。右手が森が旧流路。

画像下:夕刻のヤシャンボー。
 

2010年08月20日 [ 4289hit ]
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