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フリーライディング。フリースイハニング。

 アンコメ店主はここ数年、さまざまな場所に呼ばれ、ごはん炊きのワークショップなるもの行っている。じつは5月29日(土)30日(日)も山梨県清里の清泉寮で開かれる「良い食品づくりの会」のイベントの中でも行う予定です。

 

 ところで、僕が皆さんと共にするごはん炊きは、けっして「究極の」とか「最高の」という類ではありません。あまり構えず、日々の中にある楽しみを再発見してもらうこと。そのきっかけ作りだと思っています。
 だから、「この道具でなければならない・・・」なんてことは一切ないし、お米だって、皆さんが持ち寄った家にあるお米でいいと思っている。水だって、よっぼど酷くなければ、そこにある水道水で充分。熱源も、薪だろうが、ガスだろうが、電気だろうが構わない。そこにある米、ある道具でご飯炊きを楽しみましょう。という風です。

 

 とは云え、そんな僕でも、ごはん炊きについていろいろ勉強してみると、「この場合はこういう道具がいいかな〜」とか、「この道具なら、熱源はこれで、こう攻めたほうがいいな〜」とか「この米をこう炊いて・・・」なんてイメージが自然に湧いてくる。
 でも、そうなってくると、いつしか「ちょっと待った!」と心の中で叫ぶ自分に気付くのだ。じつはこれに似た感覚を、僕は自転車で感じたことがある。

 

 自転車に乗れるようになった時のことを思い出してみる・・・。2本の足で走るより早く、どこへでも行けそうな気分。自分が未知のパワーを得たような超人的感覚。ちょっと大げさに云うと自由を得た感覚だ。
 ほどなくそれは日常になり、悲しいかなその感覚は薄れていく。それでも自転車好きのある者はロードレーサーに、ある者はマウンテンバイクに、またある者は旅にと、それぞれの分野に探求の矛先を向け、自由を求めさらにディープな世界に入っていく。
 ところがその世界に入るやいなや、今度は道具や走るコース、体作りなどなど、云うこと、することが増えていく。と同時に、自分で自分を不自由にしていく感覚も生まれていきます。自由な感覚でいたいと、楽しみで乗っている自転車に、ただ乗るだけのことなのに。

 

 多くの方が深遠なる炊飯の世界に入るのは自由であるし、それをより探求し、その奥儀を極めたい方はぜひ極めてほしい。それはきっと、間違いなく面白いし、その先にはこだわりから開放された自由な世界があると思うから。
 だけど、はじめてご飯炊きができた時の喜びと感動、そしてあの自由さを忘れないでほしい。僕のごはん炊きのワークショップでは、その感覚を皆さんに味わっていただこうと思ってるのです。

 

 じつはこんなことを書いたのには理由があります。今、小学校1年生になったばかりの次女が補助輪なしで自転車に乗れるようになったところなのです。お姉ちゃんのお下がりの自転車を楽しそうに乗る彼女を見た時、僕はそこに羨ましいくらい純粋な自由を見たのです。

 「娘よ!今を忘れるなかれ!

2010年05月23日 [ 4138hit ]
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