2ヶ月間に渡ってお話ししてきたラジオ生出演も今回で最終回、今回はそのまとめのお話し、これからのアンコメをお話ししました。
Q1:
先日、福島の有機栽培について、お話いただきましたが、「ロハス」とか、「食育」とか、最近「食べる」ことをより大切に考える動きがあります。このことについて、どんな感想をお持ちですか?
A1:
たいへん喜ばしいことだと思っています。しかし、いっぽうでこのような動きがあるということは、ロハス(Lifestyle of health and sustainability)に憧れてしまうほど、我々はそうでないラ イフスタイルになっているということだし、食育も同様で、食育しなければならないほど、食が乱れてしまったということなのです。何だか皮肉なことですね。
これはあくまでも私感ですが、たぶん江戸期以降、昭和30年代位までの日本人の生活は半ば「必然的ロハス」だったのではないでしょうか。これは個人生活もそうですが、商売の姿、社会全体がそんな風だったのではないでしょうか。またそうでなければ、列島に降り注いだ過去数年間分の太陽エネルギーの固着物だけで、経済を賄っていたという江戸という文化はありえなかったとも思うのです。
当店はもうじき、この安東で商いを始めて80年になります。創業何百年という老舗には適いませんが、長い期間商いを続けていると必然的にロハス的なものを商いの基本コンセプトに持ちえるような気がしてなりません。店は内的にも外的にも、常に健全かつ永続性を持ちえなければ、いとも簡単に滅びてしまうからです。
私の父は事あるごとにこう言います。「永遠のプログラムで考えろ!」。父は今年75歳になりましたが、近年のロハスというムーブメントを知りません。しかし知らない父が若い頃から口癖のように言う「永遠の〜」はまさに伝統的な商い人から伝わるロハスコンセプトなのです。
たぶん高度成長期以降、多くの日本人が忘れていた生き方を、今日本人は外来語として入ってきた「ロハス」という言葉で、再認識しているのだと思います。
ロハスの反意語が刹那とするならば・・・。まあ、刹那的に生きる面白さは、それはそれでちょっと魅力ではありますが、刹那はあくまでもスパイス、刹那が日常では、それは野暮な気がします。みなさんはどう思いますか?
Q2:
長坂さんは、これからもいろんなチャレンジをしていかれることと思いますが、どんなおコメ屋さんになりたいとお考えですか?
A2:
単にお米を売るだけのことなら、どんな商売の方でもできるはずです。生産者が直売することや、量販店が販売することもその一つでしょう。しかし、米屋でしかできない仕事があるはずなのです。でなければ、米屋という商いの形は生まれなかったはずです。私はこれを追及したいと思っているのです。それが、「田圃から、お茶碗まで」というコンセプトです。全体を俯瞰してプロデュースするようなイメージでしょうか。分業化されているそれぞれを、米屋という間を取り持つ立場から、より良い流れが生まれるように情報と知識と技術で他にはない価値を創造するのです。これが米屋の米屋にしかできない仕事だと思っているのです。
「美味しい米」、「安全安心」、これらはよく耳にするキーワードです。現在これらは技術的に(条件にもよるが)ほぼ可能になりました。私が安東米店に入店した17年前にからすると、今のこの状況は夢のようなことです。しかし、いっぽうで米の味が、いつの間にか均質化してしまったような気がしてなりません。たしかに美味しい、しかしそれがどこで栽培されたのかが判らないほど同じ顔して、同じ方向を向いた美味しさなのです。
以前、ある海外のコーヒー専門家がこのように語ったという本を読んで感銘をうけました。
「あるコーヒーは栽培地の周辺にある森の匂いをまとっている。つまり、その根が吸い込んだ水の味、その木の近くになっていた果実の香り・・・・コーヒーは、それを味わう人を、そのコーヒーが育った土地へ連れて行ってくれる」
米もコーヒーも植物の種子、であれば米もこうでなければならないと思ったのです。 そこで私は、出会う米生産者の方に、必ずこのことを言うことにしました。「この地域の米の味、風味や風合いとはどんなものですか?」さらに、「あなたの田圃の米にしかない個性とは・・・?」「そういう米作りを考えたことがありますか?」と。
生産者は、良い米、美味しい米が栽培できることを望んでいます。それ自体、あたりまえのことですね。だからといって、その土地に縁もゆかりもない肥料資材や微生物が、果たしてその土地ならではの米の味、風味や風合いを奏でてくれるのか?たぶん生産者の方の中には異論のある方もいらっしゃるでしょう。しかし皆が同じ方向を向き、それを良しとする傾向は、生命の多様性という面で、とてもひ弱で、ある意味で危険でもあるように思えるのです。もっと言えば面白みに欠けるとも思えるのです。
19世紀半ばアイルランドでおきた「ジャガイモ飢饉」をご存知でしょうか?ある多収性の単一品ばかり栽培した結果、ジャガイモの葉や茎についた病原菌によって壊滅的な被害を受けたのです。それによって、アイルランドでは100万人ともいわれる多くの餓死者を出しました。言うまでもなく、アメリカへのアイルランド移民のきっかけとなった出来事です。それ以降もアイルランド移民は絶えることがありませんでした。
大ヒット映画「タイタニック」、そのクライマックスシーン。沈みつつある3等船室の一室で脱出を諦めた一家が、ベッドの上で母親が二人の子供をあやすシーンを覚えていますか。私はあのシーンを見るたびに身につまされるのです。もし自分があの立場だったとしたら・・・。
あの家族は、きっとアイルランド移民にちがいありません。タイタニック号が沈んだのは20世紀初頭ですから、あの家族にとってジャガイモ飢饉が移民の直接の原因ではないはずです。しかしアイルランド移民の歴史には、あのような悲惨な光景が幾度となく繰り返されてきたのであろうと想像されるのです。
アイルランドにとってジャガイモが主食であるように、日本にとってやっぱり米は主食なのです。私は食の安全保障を語るつもりは毛頭ありません。そういったことは政の専門家にお任せすべきです。ただ、田圃からお茶碗を常に見渡す一軒の米屋として、米にとって、稲作にとって何にも増して多様性が大切だと感じているのです。様々な品種、様々美味しさ、様々な価値、土地ならでは風味、風合い、ひとりひとりの生産者ならではの個性。この田圃にしかない何か。そんなものがとっても大事なのだと思うのです。
どんな米屋になりたいか?という質問にお答えするとすれば、そういう米作りのお手伝いをし、その魅力をお客様に伝え、楽しんでもらう。そういう米屋になりたいのだと思います。
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