TOP  >  ankome通信  >  カミアカリドリーム  >  第32回カミアカリドリーム勉強会報告
第32回カミアカリドリーム勉強会報告

 

今年も11月5日勉強会を開催した。秋に行われる勉強会では、毎年その年に栽培されたすべてのカミアカリを一同に集め、生産者と共に試食をし、皆でどんなカミアカリなのかをディスカッションするのが恒例行事となっている。生産者にとっては、そのできばえに関わらず、目の前で食べ比べをされ、その場で自由闊達にインプレッションされるため、どこか「晒し者」にされる気分らしいのだが、そもそもカミアカリの味わいに正解がないことが、この米の魅力であり、かつまた正解を求めず、その性状を参加者たちが観測し、ディスカッションすることで、カミアカリの知見を深めることが活動の肝であるため「晒す、晒される」の立場の違いはなく、皆で考える機会である秋に行うの会は、重要度の高い行事なのだ。

じつは昨年まで、試食するすべてのカミアカリは、同じ鍋、同じ熱源、同じ量、同じ人、つまりできるだけ同じ条件で炊飯することに注力してきた。しかし、今年はそれぞれの生産者が、自ら炊飯することに挑戦した。じつは、この大幅な変更を決断をした段階で、試食会は試食会の機能を失い、混沌化することを覚悟したが、当日やってみたら、図らずも新たな知見が得られた。

まず、炊飯条件(水加減火加減など)の違いから、仕上がったご飯の食感は異なったが、それぞれのカミアカリが持つ、味わい(香りや味そのもの)の傾向は、はっきりと現れていたこと。また食感の違いも、持ち込んだカミアカリ(玄米)の状態や、生産者それぞれが語る栽培状況や、調整等の仕上がり状態、また炊飯時の説明などから、ある程度答え合わせができたことで、厳密に同じ条件でなくても食べ比べができた。それ以上に、生産者が炊き方の調整(チューニング)で、味わいを作ることができることを、自身が炊飯したことで知り得たことが大収穫だった。

また昨年の試食会で経験した「全部同じじゃないか問題」(下記URL)
https://www.facebook.com/profile/100002489233372/search/...
についても、静岡県藤枝市松下さんが持ち込んだ松下カミアカリX(エックス)と、長野県伊那市Wakkaagriが持ち込んだ活青(いきあお:成熟はしているが籾に葉緑素が残った状態)だけ選別した活青カミアカリを試食したことで、答えと思しきヒントが見えた。

松下カミアカリX(中生系)は、かつての松下カミアカリを彷彿させる野性味溢れる味わい(炊飯時にも土鍋の蓋が暴れるかつての状態)が復活。松下さんによれば色彩選別機を通さず未選別を持ち込んだとのこと。またWakkaagri活青カミアカリは、色彩選別によって新たな個性を創出できないかと考え、雑穀を選別する機械を用いて青米だけを選別したことで、他とは明らかに異なる、井草のような香り、草っぽいベジーな味わいとの言葉が出るほどの個性的な味わいを創出していた。これらのことから、玄米の品質向上のために設備された色彩選別機などの精度の高い選別装置によって、味わいにバイアスが掛かる(掛けられる)ことが確認できた。

今回、同じ条件に「しなかった、できなかった」ことが、それぞれのカミアカリが持つ微細な違いを、図らずも増幅したことで、7生産者それぞれのカミアカリの個性をあらためて確認ができ、それによって出てきたインプレッションでは参加者のお一人から「黒豆のような甘さ」と豊かな言葉表現もあったことがとても印象的だった。かつて(2008年~2009年)勉強会で取り組んだカミアカリの言葉表現を、また挑戦してみても面白いのではないかと感じた。
_
勉強会後半の講座では「炊飯器のルーツ!?蒸し竈(ムシカマド)って何だ?」と題し、蒸し竈研究者で名古屋市緑区鳴海町カマドギャラリー館長の矢野弘登さんに、大正~昭和に普及した炭燃料を用いた煮炊き竈の蒸し竈と、その時代背景、当時の日本人の習俗について、幅広くご講演いただいた。

蒸し竈は、ヘッツイをルーツに、時代のニーズや燃料の変化、ライフスタイルの変化と共に姿形を変化させ、1930年代に卵型で蓋で覆って密閉された構造で登場する。発見された最も古い文献では福島県平町で誕生(暫定)と考えられ、後に愛知県三河地方へ製造の中心となって全国(とくに東日本)へ普及していった。当初は調理の簡便化、安全性、保温性などの機能に答える竈、戦時下となって燃料節約のニーズの高まりに答える竈として普及するも、1955年自動式電気釜(東芝)の登場以降、ライフスタイルや住宅環境の変化から木炭燃料の製品は廃れていき、日本国内では、飯の質を重視する寿司屋や鰻屋などの一部飲食店のみで細々と使われているのみとなった。ところが戦後、駐留していた米兵が本国に持ち帰り、バーベキューグリルとして第二の人生を得る。米国で普及した蒸し竈は、世界の料理人が注目する調理道具として現在は星付きレストラン等でも愛用されているという。さらに蒸し竈の変遷から、それぞれの時代(前近代、近代、現代)に人々が台所空間に求めてきた事柄が読み取れるそうだ。それらは8要因にまとめられるという。

<前近代>
①安全:危険性の排除
②衛生:作業場が清潔に保たれるメンテナンスがしやすい
③栄養:生活に必要な栄養が摂取できる材料、調理手段があること
<近代>
④経済:燃料、動力源、材料などのコスト化
⑤能率:疲労の低減、作業時間の短縮化
<現代>
⑥情報:メディアや他人に想起される羨望や同調圧力に歯向かう心理
⑦創作:方法を工夫し自らの思い通りに料理へと結実させること
⑧美味:味覚に限らず、美味しいものを求める欲求

これらを大きく3つにまとめると、前近代は「厚生の確保」近代は「無駄の排除」現代は「精神的充足」となる。ヘッツイと自動式炊飯器を繋ぐ存在として、すでに忘れ去られた存在であった蒸し竈、そのわずか40年ほどの歴史において、その間の激変する日本人の暮らしの変化が透けて見えてくるそうだ。

2023年11月16日 [ 239hit ]
このページを印刷
カテゴリ内ページ移動 ( 164  件):     1  2  3  4  5  6  7  .. 164