11月24日、第16回の勉強会を三島市にあるフレンチgawaMishimaで開催しました。
gawaMishimaは、これまでカミアカリの食べ方をさまざまに提案してくださったシェフ小川正道さんの新店舗。
今回は小川さんが手に寄りをかけて作ったカミアカリ料理を味わいつくす会となりました。
会の締めくくりとしてカミアカリドリーム勉強会の石垣から今回の企画の説明とその経緯をエッセイにまとめたものを参加者に紹介し閉会とした。
11月24日gawaMishima
あれはたしか3年ほど前の話。
若い米農家を訪ねて、田植えの終わった松下さんと安東米店の長坂さんと私の3人で、初夏の南伊豆を訪れたことがあった。一日のんびり過ごして、とっぷりと日が暮れたころ、ようやく伊豆の出口にさしかかった。腹が減ったというので三島の【Bistro gawa】に行くことにしたのは、口うるさい二人に文句をいわれたくないがため、それだけだった。でもそれが、ガワさんこと小川正道さんと松下さん、長坂さんのこれからの人生をちょっぴり変える出会いになった。
さて、野生の勘だけで生きているようにみえて、案外じっくり人を観察している松下さんと、スマートに考えているようにみえて、実は直感しかないという長坂さんの両方に、ガワさんはヒットした。そして二人はガワさんに、きびだんごを渡した桃太郎よろしく、カミアカリを託した…。
ガワさんは、そもそも食べることが大好きな少年だった。18歳で料理人の世界に入る前は、ファミレスでバイトをし「湯煎にかければ料理ってできちゃうじゃーん」と思っていた。料理人の世界に入ってからも「美味しい」の基準がわからなくて、賄いを作っても上司に「お前センスないな〜」と呆れられていた。それでも、仲間と遊ぶのが楽しかったお年頃。バブルの残り香が漂う夜の街で、青年ガワさんは遊びまくり、食べまくった。何を食べたっておいしい!と思っていた青年が、美味しいって、美味しさって、料理って、、、と考えるようになってきたのは20歳を過ぎたころだ。「飲み屋のおねーちゃんにプレゼントするホワイトデーのクッキーには手を抜けない!」そんな不純な動機こそが人を成長させてくれるとうそぶきながら、気づけば料理が大好きになっていた。覚えは悪いほうだった。手もちっとも早くない。でも、好きになったら一直線。経験を頼りに「美味しいってこうなのか?ああなのか?」と試行錯誤するようになり、本を読み漁って知識を勉強するように。同時に、オーブンに手を突っ込んだときのチリチリする感じや、素材を洗ったときの手触り、そうした皮膚感覚で料理というものを知っていった。いろんな店を渡り歩き、むさぼるように勉強し、現ピサンリのシェフ有馬氏に従事したときには、20代半ばで「食材の声が聞こえていた」という。料理が楽しくて、楽しくて仕方なくなっていた。その後、魚の目利き、流通、扱いを勉強するために2年間魚屋に勤めた後、独立。三島市広小路の駅前に小さな【Bistro gawa】を立ち上げた。
食材を選ぶときは「面白いもの」を買ってしまう、とガワさんはいう。見たことのない魚、食べたことのない野菜、この素材をどう料理しようかと考えると胸が躍る。「あ〜買っちゃった」と自分を追い込み、何とかしてやる!と燃えたぎる。別に高級素材が好きなわけでも、珍味が好きなわけでもないから、ガワさんを知る料理人はかえって「あの人の仕入れはすごい」と舌を巻く。「あんな素材を…?」と人がおもうようなものでも、きちんと「そのもの」を見る。他の人が思い込みで見切ったつもりでいるものを、まっすぐな目でみること。これは料理人ガワさんを構成する主成分なのではないか、とひそかにおもう。タコならば、小さいものをわざわざ選ぶ。足が「ぴょろっと」出ている盛り付けが面白いんじゃないか?と思うから。小さなかぼちゃだったら、若い種も食べられる。青いトマトにはその時だけの味わいがある。目の前にある素材をどうすれば、もっと美味しく、もっと面白くできるのか。そんな見方をしていると、調理中にもその素材が見えてくるようになった。例えば、ナスを半分に切って焼き色をつけて火を通したら、ひっくり返してじっくり焼けば、やがて表面がポコポコしてきて、自分の水蒸気で果肉の中までとろけるようなナスになる。こうすることで、これぞナス!という美味しさがようやく表れる。焼き色をつけて火を入れる、それだけで皿に出す人も多いけれど、それはただ「食べられる状態にしただけ」とガワさんは言う。
「美味しく食べさせるのが料理人の仕事ですよね」
当たり前のことだけれど、「美味しさ」ってなんだろう?と日々追い求めていない料理人からは、この言葉は聴かれない。技術がどうの、素材がどうの、美しい皿が、感性が、とゴタクを並べたところで、ナスがナス人生最高のナスになれなかったら、たしかにそれはプロの仕事じゃないではないか。それまで玄米をあまり食べたことがなかったというガワさん。まず、粘りがない時点で、付け合せになるぞ、という感触を得た。ナッツの香りを持つカミアカリには、しかし水分が足りない。噛むほどに濃厚な味わいだけれど、場合によってはさっぱりさせたい。補い合う食材ならキュウリ。同調させるなら、バナナ。カミアカリにないもの、あるものをしっかりと見極めることで、やるべきことは明らかになっていった。
カミアカリって、米だけれど、米に見させてくれない。コイツは米だけど、米じゃない。その面白さがガワさんを惹きつけたし、松下さんや長坂さんがガワさんと出会ったのもここまでくれば当然のことといえた。ともあれ、ナッツというワードから、カミアカリにラブコールする食材が、次々にドアを開けて入ってきた。
さて、みなさま、そんなこんなで本日のランチでございます。メニューをあらかじめ決められないと言われ、今日の料理についてあれこれ書くつもりだったわたしは出鼻をくじかれた。しかし「ギリギリまでジタバタするとおもうから」という言葉にグッときて、文句をいうのをこらえた。Bistro gawaからgawa Mishimaになって、きっとガワさんはまた一歩、理想に近づいた。訪ねた夜は閉店後で、お店にはだれもいなかった。御殿川が目の前を流れてる。お庭はまだ未完成だし、どうも西日が直撃しやがるお席もあるようだけど、ガワさんの思いがたっぷり詰まって、わくわくするような気配に満ちていた。仲間との帰路、イカサマが多い世の中で、ちゃんと目を開けてそのものや、その人を見ること、見ようとすることの大切さについて話した。
お店ってきっとそこに集う人たちの、たくさんの驚きや、喜びや、告白や、語らいで段々とできあがっていくものじゃないだろうか。シルクロードじゃないけれど、人が出会っていく場所には、小さな渦巻のように流れができて、それが互いの人生を彩ってさらに大きな輪になって、出会ったり、すれ違ったり、また出会ったりをくり返していくものなんじゃないかって気がする。その狭間には、きっと誰もが予測もしなかったことが生まれたり、育ったりしていくんだろう。今日も私たちそれぞれの一番新しい日と、その日を一緒に過ごせることを祝って。
カミアカリドリーム勉強会 石垣