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スイハニングのルーツを探る旅 6

 

場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。


スイハニングのルーツを探る旅 5 の続き


アートロ(登呂会議)の活動拠点である登呂遺跡、その暮らしの痕跡のあった約2000年前の弥生時代から、
炊飯(煮る、蒸す、焼く)の技術が完成するには、それから約1500年の時間を待たなくてはならない。
このことに気付いたのは、登呂遺跡から出土した台付甕型土器という煮炊き用土器が、そのきっかけだった。

この形の土器は、弥生時代から古墳時代初期に使われていたもので、
その名のとおり甕の底にコップをひっくり返したような形の脚台が付いていることから、こう呼ばれる。
おもに東海地域から北関東までの太平洋岸の地域で出土されることから、この地域で多く使われていたとされている。
ある時期を境に使われなくなるのだが、これもまたスイハニングのルーツに関わるポイントなのでぜひ記憶してほしい。

この台付甕型土器、不思議なことに蓋に相当する遺物が出ていない。
そのことから「蓋なし」が定説となっている。
じつは、この「蓋なし」が私の「スイハニングのルーツを探る旅」の、きっかけだった。

もしこれが事実なら、台付甕型土器による調理は、「煮る、焼く、蒸す」の複合加熱、つまり炊飯ではないことになる。
なぜなら「蒸す」という加熱調理は、蓋をすることで鍋釜内に水蒸気を満たすことで可能になった加熱調理法、
ゆえに蓋のない台付甕型土器による加熱調理は、単に「煮る」のみだと気付いたからだ。

一般的には、考古の専門家の解説では「煮炊き=炊く」と表現する場合が多く、それ自体は誤りではないが、
末席とはいえ、炊飯の専門家としての希望を申し上げると、ここは分けて考えてほしいところ。
台付甕型土器による加熱調理は、「煮る」だと言わせてほしい。
このことから弥生時代には「煮る、焼く、蒸す=炊飯」には、まだ至っていないと理解した。

その後古墳時代となると、朝鮮半島から最新設備が入ってくる。
この設備の導入によって、縄文時代から築きあげてきた加熱調理技術に革新的な飛躍が起こった?!
という話は次回にします。

つづく
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画像上:春の海、三浦半島胴網海岸でスイハニング(2016)周辺を15分ほど柴刈すれば二釜分以上の燃料はすぐ調達できる。この列島のなんと豊かなことか!
画像下:アートロ(登呂会議)の活動で行っている台付甕型土器での煮炊き。気付けば3口コンロのような姿に。ちなみに手前は土器と同じ形状をアルミ鍋メーカーに作ってもらったもの。

2017年03月16日 [ 541hit ]
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