執筆者プロフィール 白鳥和也 1960年静岡県生まれ。小説家・エッセイスト・自転車文学研究室主宰。最近、念願の小説本『丘の上の小さな街で 白鳥和也自転車小説集』(えい出版社・えい文庫)を上梓。そのほか著書は『自転車依存症』『素晴らしき自転車の旅』(以上平凡社)』など。自転車の旅と書物と米のご飯をこよなく愛する中年男。 自転車文学研究室ブログ |
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其の八 カレーライスの殿堂
外食をしているときはともかく、家で飯を食べていて、おかわりがいっさいできないと知ったとき、激しく落胆する食い物の筆頭はカレーライスである。近頃は、否応なしに中年であるし、できるだけ飯を控えるように努力してはいるのだが、カレーライスだけは、家で食べると、ついつい、たとえ皿半分であったとしても、おかわりしてしまうのであった。いそいそ自分で立って、皿に飯をよそり、おたまでカレーを掬ったりする。
そういえば、もう25年ばかり前のアンダーグラウンド系の漫画に、〇〇〇〇マンが、自分の木造アパートでレトルトカレーを温めて(爆笑)、いよいよ封を切ったら、ジャーの中にあるはずの飯がなかった、という抱腹絶倒の話があった。残念ながら、もはやこの作品に関しては、絶版のようだけれども。
それにしても、カレーライスという名で包括される食べ物の範囲、なんと広いことよ。じゃがいもがごろごろしている黄色い辛味汁かけ御飯から、野菜類が原型をとどめぬほどに溶け去り、スパイスの魔法が効いた褐色のインド風カリーとインディカ米の組み合わせだって、同じ名前なんである。
基本的には庶民的な食べ物とはいえ、こりだすときりがない辺り、なかなかに深い。家庭の食卓、外食の店、アウトドアまで、至るところにカレーライスは浸透している。前回も書かせてもらったけど、潜水艦の中でだってカレーライスは食うのだ。まあでも、国際線エアラインのファーストクラスにはないだろうなあ。
ライスカレーという逆転の呼び方も、かつてはけっこう普及していた。ライスチキンとか、ライス餃子という呼び方がないことからも、これは飯に対するトッピングの位置関係に関連があるように察せられる。
だいたい、カレーライスの盛り方や食い方には人それぞれ作法があって、上から盛大にかけるのが好きな人もいれば、飯とつかず離れずにより添う風情を求める人もいるし、カレーライスを出す店によっては、別椀にカレーを分離する様式も見られる。特に昔のレストラン風の、金属製カレーソース容器というのは、一種エスニックな雰囲気があった。どことはなしにアラジンの魔法のランプを彷彿させるのであった。
カレーというのは、不味く作るのが難しい料理のひとつではあると思うけれど、すまぬがうまいと思ったことはなかった、というのが、大学の食堂のカレーライスで、当時120円であった。この値段では文句を言ってはいけないのであろう。
ありきたりのじゃがいもごろごろタイプだったが、忘れられないのは、やはり大学生の時分。泊っていた伊豆の民宿がやっている、小さな海の家で食べたカレーライス。男三人、台風のうねりが入ってくる八月下旬の西伊豆の湾で、三日間も、ごろごろしたり、ぷかぷかしたりしていた。
しかし当時われわれが行きつけていた多摩地区のさるカフェは、比類のないチキンカレーを出すことで有名だったのだ。中央線に乗って遠くから食べにくる人たちもいた。驚くべきことに、アンコメさんもこの店を知っていたのであった。
静岡でも好きなカレースタンドというのはある。そういうカレーだけが好み、というわけではないけど、しばしば食べに行くのは、こげ茶色の香ばしいルーに、控えめに肉がひとつ入っていて、スプーンを紙ナプキンで包んで出してくれるお店だ。
少し酸味の利いた、赤みの強いカレーというのもなかなかいい。一時期、この種のカレーも相当食べた。トマトが赤い色のベースになっているらしい。
カレーを食べ続けると、自分でも作りたくなってくるのは自然な成り行きで、別段料理が得意でもなんでもない私でも、かなり熱中していたときがあった。いまでも、どうかするとたまに作ってみたりする。玉葱を焦がさぬようにじっくり炒めることと、カレー粉の風味を引出すために多少工夫したり、チキンがほろほろになるまで煮込むことぐらいしか、別段特別なことはしないのだけれど。
カレーライスにはまた、付け合せという妙味もある。王道をゆくのは、福神漬けやラッキョなのであろうが、ピクルスなんかもしばしば使われる。ライスのサブトッピングとして、フライドオニオンなんかが使われる場合もあるね。
飲み物としては、乳製品がよく合うみたいで、ポピュラーな牛乳のほか、ラッシーがけっこうな人気だ。
もともと飯の上にトッピングする存在として成立しているカレールーに、さらにトッピングするものとして、なんだかすごいなあと思うのは、生卵である。調べたわけじゃないが、これはインドのカリー料理にはないんだろうね。まあターメリックが黄色だから、カレーと黄身の色の関係には不自然さはない。
しかしこの場合、ライスの方に卵を落とす人はまれであろう。やはり通常は、カレールーの方に生卵を乗せ、おもむろにかきまぜる人が多いであろう。私など、いつ黄身を崩して、どの程度まで混ぜあわせるか、けっこう考えてしまったりする。
カレーライスの兄弟分として、かつてはハヤシライスというものが家庭でもそこそこの人気があったし、食堂のメニューにも並んでいた。ハッシュドビーフがなぜハヤシと呼ばれるようになったのかは知らぬ。もしかしたら、ハヤシライスが凋落したのは、その名称のよくわからなさにあったのかもしれない。ハヤシライスは知らないけれど、ハッシュドビーフライスなら、作ったことがある、という人も若い世代にはいるのかも。
カレーライスの変奏として、トッピングに豪華なトンカツを加えるというカツカレーも非常に人口に膾炙したメニューだ。しかしどうもカツカレーというのは、安直でありふれた料理の筆頭にあげられることもあり、ひそかにこの料理を愛している私としては、そういうご指摘の文章などを読んで、しばしば情けない思いをさせられたりする。
カツカレーを食いたくてどうにも我慢ができなくなるときは、たいがい自転車に乗ってそれなりの距離を走り、えらく腹を減らしているときだ。ああやっと、自転車が出てきた。そういうときのカツカレーというのはまた妙に記憶に残るというのが事実で、27年前に長野県の茅野あたりでカツカレーを食べたことも覚えていたりする。
最近では、御殿場と新潟県の十日町で食べたカツカレーが印象深い。特に十日町では、店自体が昭和40年代の雰囲気そのもので、なんだか小学生の頃に戻ったみたいだった。
ともあれ、カレーライスの凄いところは、ちゃんと手仕事で作られたものなら、一週間に一度ぐらいか、それ以上の頻度で食べ続けても飽きがこないということであろう。少なくとも私は、えっまたカレーなの、なんてことを言ったためしはないはずだ。一度自分でカレーを作ると、少なくとも三回は食べられないと納得がいかない。その日の夕食で食べて、翌日も連続二食カレーでもいい。
とかなんとか書いているうちに久しぶりにカレーを作りたくなってきた。この週末にでも、泣きながら玉葱刻もうか。しかしその前に大事なことがある。米びつを確認しておかないと、カレーはできたが「じょわっ、飯がない」という恐るべき事態に至るのだ。というわけで、アンコメさん、近いうちにおじゃましたく存じます。
ということで、実際は翌週になってしまったのだが、昨日カレーを作ったのだ。久しぶりに数時間かけたのだが、欲を言えばもっと大量に作りたかった。どうも、カレーというのは。飯も本体も増大するようで、インフレ傾向の強いものだということがわかった。
( 【飯稲記】白鳥和也さん )