執筆者プロフィール 白鳥和也 1960年静岡県生まれ。小説家・エッセイスト・自転車文学研究室主宰。最近、念願の小説本『丘の上の小さな街で 白鳥和也自転車小説集』(えい出版社・えい文庫)を上梓。そのほか著書は『自転車依存症』『素晴らしき自転車の旅』(以上平凡社)』など。自転車の旅と書物と米のご飯をこよなく愛する中年男。 自転車文学研究室ブログ |
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其の七 アウトドア御飯の素
自転車に限らず、野外で活動していると妙に腹が減る。自慢ではないが、腹が減ったら飯を食わないと収まりがつかないというのが、私である。ところが、飯というものは、野外でちゃんと食おうとしたらなかなか大変なのだ。そりゃ、お握りや弁当で米の飯を外に持ち出すことはできるのであるが、ほかほかの御飯となると、ことはそう簡単にはいかない。
この点、パンというものは、家で食っても外で食っても、基本的にそう大差はない。トーストしなけりゃ私は美味しく感じられないんだから、外ではパンは食べにくいのよ、という反論がありそうだけれど、どういたしまして、それなりの器具を使えば、アウトドア用のストーブ(携帯コンロ)でも立派にトーストは焼けるのだ。
だからちょっと前によくやっていた野外食は、割とばさっとしていてフルーティな食感のパンであるバゲットと、サーディン缶やチーズやハムやらを買いこんで、適当に切ったバゲットを軽くトーストし、その上にトッピングを乗っけて食らうものだった。まあ簡単な割には見映えも悪くないし、缶詰中心ならクーラーもいらないので楽なのだ。
さして体を使わないドライブ&ピクニックなら、これでもいい。だけど、自転車で山越え、野越え、なんてやってきた後じゃ、こうはいかない。やっぱり米の飯なのだ。山越え、野越えをやる前も同じある。できれば飯を食ってスタートしたいのだ。
というわけで、昨年の夏、長野県の白馬で、自転車積んでオートキャンプで三泊したときの主食も、大半は米の飯なのであった。相棒のR氏が、飯炊きはまかせてくだされということなので図々しくご相伴に預かったのだが、この人なかなか芸が細かいというか、家庭的というか、一泊目の食料の買出しでスーパーに寄ったら、豆腐とか生の鶏肉とかを買っているのである。わたしゃ大体、野外食は、飯さえあれば、缶詰にちょっと手を加えるぐらいで満足できるタイプなので、ふむむ〜そうなのか、ヌシはそういうキャンプなのかと妙に感心したのであった。
いよいよ飯炊きが始まるところで、R氏が取り出したるは、三合炊きくらいの小さなお釜。いわゆるアウトドア系のアルミコッヘルとは一線を画す、重量級の調理器具である。ぶっと私は半ば吹出しそうになるが、旨い飯を炊いてもらえるので、難癖などつけるはずもない。お釜のご飯がおいしいくらいは私だって知っているのだ。
しかしまあ、EPIのガスストーブの上に、別途用意された安定のいい五徳を介して、銀鉄色の三合釜が乗っているというのも独特の風景であった。冷奴を肴に始まった約二名のキャンプの宴は、鶏肉の醤油味炒め、ゆかりのふりかけ、ポーク缶とかいったものを御飯のおかずにしつつ、なんだか妙に家庭の夕餉的なムードで進んでいったのであった。
野外で飯を炊く道具としては、学校のキャンプなどで誰もが一度は使ったことのある飯盒が、あまりにも有名である。これを使うときは大体は薪の焚火の上というように相場が決まっているので、たいがい底は煤で真っ黒になる。飯盒はその形状からして、大きな熱源の上に、ずらっと並べるような使い方が向いていると思われ、最近のアウトドア用ストーブとの相性はあまりよろしくない。
ために、野外で飯を炊こうと思ったら、コッヘルか、コッヘルの中でも飯炊きに特化したデザインをされているメスティンという器具を使ったりすることになる。メスティンには外国製のものでも使いやすいものがあるのだが、どうも生産国の人々が米を常食にしているとは思えず、このあたり謎である。
あと一杯飯が食いたい、うう、我慢できない、なんてとき、家の中でもわたしゃ、ガスコンロの上にコッヘルを乗っけて一合炊きすることがしばしばあった。一合以下の炊飯器具として、シェラカップに蓋を乗っけて飯を炊いたことさえある。ま、いちおうは食えた。最近はあまりやらない。炊いているうちに満腹信号が出ることがよくよくわかってきたからだ。
コッヘルを持って飯を炊くまでの余裕もないが、食堂など見当たらないツーリングのときの昼飯には、ちとずるいが、アルファ米に湯を注いで、何とか飯を食いたい願望を満たすこともある。試行の結果、この手のアルファ米食品では、カレー味のものが比較的食味が良いことがわかってきた。
外で飯を食うことの変奏として、考えてみれば、餅を焼いて食うというのもありなのであった。しかしこれはまだやったことはないな。器具としては、携帯ストーブ用の小型遠赤外線網焼き器を使い、ガスカートリッジに遠赤外線が当らぬようによくよく注意して使えば良いのかなと考えている。海苔を持っていけば磯辺巻きだね。
高山では、沸点が低いために飯がうまく炊けないというのが周知の事実である。となるとやはり圧力釜の登場であろうか。ピストンエンジンの飛行機が、高高度で性能低下をきたさないために、ターボチャージャーやスーパーチャージャーで過給することと、まあよく似ている。
ちなみにジェット旅客機のキャビン内は、ルーツ型スーパーチャージャーと同じような仕組みのシステムで、希薄な大気を過給するように送り込んで、気圧を高める、つまり与圧されているらしい。厳密に言えばそこはインドアなのであろうが、地上を離れているので、より厳しいアウトドアということもできそうだ。
機内食というのは、大半が再加熱される程度の調理のようだから、ボーイングの中で飯を炊く必然性はないのだろうが、誰かやってみたことのある人はいないのだろうか。アンコメさん方式で、水につけて数時間という感じだと、たいがいの路線では、飯が炊ける前に目的地に着いてしまいそうな気もするが。
潜水艦の中では、まず間違いなく炊飯が行われているのであろう。海上自衛隊も、旧帝国海軍の慣習にならって週に一度はカレーライスを食べるはずであるから。もっとも、おこわを炊くのは難儀だったのかもしれず、太平洋戦争中の潜水艦乗りの回想記には、缶詰の赤飯を食べたということも記されている。
しかしなんといっても最大の興味は、極限のアウトドアというか、オフ・ザ・ワールドというか、果たして宇宙で飯を炊いたらどうなるかということである。もしかしたら、スペースシャトルの実験プログラムのひとつには、「無重力環境下での炊飯」というものが大真面目に提案されていたことがあるのかもしれない。おおいにやってもらいたいものだ。「カミアカリ」など、まさにシャトルの窓から地球を見ながら食べる米として最高ではないか。漆黒の宇宙の闇のなかに、地球の光が浮かんでいるのだ。
無重力下での炊飯を考えると、まあ実際には酸素濃度の高い密閉された船内で火をたくなど論外なことであろうから、あくまでも思考実験的な想像なのだけど、無重力下で炎が丸くなるということからは、円環状、あるいは球状のお釜の効率がいいのかもしれない。だけど吹きこぼれると、船内が汚れそうだなあ。
シャトルの中でふわふわ浮かびつつ、飯を食べる形態としては、やはりお握りがいちばん良さそうだ。
「キャプテン、お握りどれにします? あ、おかかですか、はい、じゃ、いきますよ…ああっ駄目じゃないですか、ちゃんと口開いてて待っててくれなきゃ。いいですか、今度は本当に発射しますよ、いいですね。三、二、一、発射あ。ただいま、おかか握りは軌道上を進行中、右回転を与えているので進路も安定しています。宇宙船おかか号、まもなく目標に到達します…いま、まさに、ドッキングに成功しました。歴史的瞬間です。口がふさがっているキャプテンの代わりに、私が、用意されていたメッセージを皆さんにお伝えしましょう。『田舎のじいちゃんばあちゃん何時もうまいコメをありがとう。ヒロシは今日も元気にやっています』 あっキャプテンどうしたんですか、そんな顔をして。えっ。ああっ。しまった、ドッキングしたのは宇宙船梅干し号でした。うわっ。種が、梅干しの種が私に向って飛行中です」
アウトドア環境でもって、「飯がない」「米がない」という状況は、なかなか厳しいものがある。ちょっと安東米店まで買いに行ってくる、というわけにはいかないのである。山小屋では笑い話では済まない可能性もあろう。いくらなんでもそこまでではないけど、少し前、イベントの前日に泊まりこんだ標高1200mのキャンプ場で、「お米がない」という状況に遭遇しそうになった。翌朝の御飯のことを忘れていたのである。まあおかずは、飲んだ肴の残りやレトルトのカレーでなんとかなるというものの、飯を食わなくては仕事にならん。
キャンプ道具はだいたい車の中に積んであるので、コンテナボックスをごそごそやったら、あった〜。アンコメさんからもらった試食用のお米を入れておいたのである。なんとか人数分をクリアできる量だ。
そこで登場したのが、H氏というアウトドアの専門家である。キャンプ場の設計やコーディネイトもやられる方なので、アウトドア御飯の大家なのである。その日は、ロッジ泊まりであるので、炊飯器も備わっており、寝る前に翌朝の御飯を仕込むという具合になった。H氏は炊き方に相当のこだわりがあるらしく、研ぎ方や水の分量にも力こぶが入っているご様子であった。夜もふけた山上でのことである。
ぼちぼち寝るか、と明りを消してしばらくしたら、まさにガバッという感じでH氏が起きあがった。横で寝ていた私が、わわっと驚くくらいの勢いであった。
「やっぱり水の分量が気になる。調整し直さなくては」ということだったのだが、むむむ、やはり、賭けるものが違う。翌朝、美味しい御飯をいただけたことは言うまでもない。あとから考えるに、H氏は、標高のことを勘定に入れたのかもしれない。
( 【飯稲記】白鳥和也さん )