執筆者プロフィール 白鳥和也 1960年静岡県生まれ。小説家・エッセイスト・自転車文学研究室主宰。最近、念願の小説本『丘の上の小さな街で 白鳥和也自転車小説集』(えい出版社・えい文庫)を上梓。そのほか著書は『自転車依存症』『素晴らしき自転車の旅』(以上平凡社)』など。自転車の旅と書物と米のご飯をこよなく愛する中年男。 自転車文学研究室ブログ |
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其の一四 小さな円環
人里を走るのが好きだ。シクロツーリズム、すなわち自転車の旅において、私がよく走るようなところは、だいたいにおいてそれほど走行条件が厳しくなく、人の生活の息吹が感じられるようなところが多い。深い峠路にももちろん惹かれるけれど、そういう峠路の途中に、渋い茶屋や、夏だけ人のいる集落などがあったりするとたまらないのだから、根本的にはやはり人里が恋しいのだろう。
地図を見て思わずそそられるようなところというのは、私の場合、人口が非常に少なそうで、しかしそこになんとか名前がつくような集落が点在しているようなエリアなのだ。海岸線であったり、だだっ広い平野部の片隅だったり、山間地だったりするが、まあやはりだいたい中部日本に住んでいると、山間地に出かけるケースが多くなる。
そういったところで、人の営みを実感させてくれる代表的な風景が、やはり田んぼというものなのだ。まあ水田というものは、日本の田園風景のいわば基調音のようなものであるから、たいがいの風景のなかに大なり小なり入ってくるものなのだけれど、中山間地にあっては、誰もが知るように田を拓くのは容易ではないし、その維持も大変だし、生産効率も悪い。
この『飯稲記』の第三回で、新潟県の東頸城地方のことを書かせていただいたように、山間地の田んぼというのは、なかなかに存続させるのが困難な農の風景であることは、いまさら議論するまでもないことはご承知の通り。
でもだからこそ、喘ぎ喘ぎ上っていった山中に、もとの地形をよくぞここまで耕したと思われるような田んぼを見つけると、一種の感動みたいなものを味わわされることになる。たいがいは棚田か、その類だ。
そしてその種の田んぼを開墾した当時、先人たちの手に鍬や鋤以上の特別に立派な道具があったとは考えにくい。せいぜいが、牛馬に引かせる類の農具であっただろう。われわれの時代は、内燃機関で動く強大な農業機械を手にすることになったが、それは棚田の実情にはあまり合致していない。
われわれは、遠く離れた生産地のおいしいお米を選んで食べることもできるような社会の中に住んでいるが、その社会は、中山間地の小さな田んぼの維持に有効な手立てを見つけ出せないでいる。先人たちがこれを聞いたら、首をかしげるかもしれない。
特別そうしなければならないわけでもないのにかかわらず、わざわざ人力の乗り物を使って、山里を訪ねるような旅人も、先人たちにとっては理解しがたいかもしれない。いやはや、面目ない。
山中の棚田や、小さな集落の傍らにひっそりと存在する小さな田んぼなどは、おそらくは起源的には自給自足に近いものであったろう。実際は年貢米供出のためであったとしても、それは限りなく自家消費に近い性格のものだったと思われる。
われわれの住んでいる世界の愉しみや快適さの多くの要素は、余剰から成り立っている。
生きるのがぎりぎりの世界に、道楽やレジャーが入り込む余地はない。今日び、私が自転車で山里を訪れることができるのも、それだけのゆとりが社会に生まれたからで、それは私が作りあげたものではなく、先人たちが作ってくれたものなのだ。
しかし不思議なことは、そうやって先人たちが必死の思いで開墾し、守ってきた小さな田んぼ、道楽や芸事とはおよそ無縁でしかないはずの小さな田んぼが、芸術とはいわぬまでも、限りなくそれに近い様相を呈していることだ。無心になることほど、難しいことはない。人生を引換えにして、山間の田んぼを守ってきた人々がいてくれたから、私たちは、それを目にして愛でることができるのだ。
地産地消、地産地食と最近では言われるようになってきた。それがもっと進むと、究極的には自給自足に近いものを目指すことになるのかもしれない。現在の思潮の大きな要素は、人間の活動の身の丈に合った持続可能な生産と消費だ。乗り物においては、自転車がそのイメージリーダーであり、食糧や農業生産においては、地産地消や地産地食がそうだ。
そうしたムーブメントの根底にあるひとつの要素は、いわば「小さな円環(ループ)」ではないかと思ったりする。国内の農業を統合するような市場や、グローバル経済とか呼ばれるものは、「巨大な円環」かもしれない。「巨大な円環」は膨大なエネルギーと富に満ちているが、その歪みは微視的レベルでは極大になる。そしてこの「巨大円環」に亀裂が入ったりすると、世界全体が巻き込まれるのだ。
「小さな円環」は、大いなる富から遠く、国際社会への連携や名誉の獲得も難しい。しかしながら、想像するに、円環同士の親和力は強いだろう。ひとつの「小円環」の機能に問題が生じた場合でも、近所の「小円環」が寄ってたかって、なんとか修復してやれる可能性もある。
つまりは、自給型に近い生産システムというものは、自然に共同体社会を育むのかもしれない。自転車ロードレースだって似ているところがあるじゃないか。自転車ロードレースが実に面白いのは、チームという共同体を形成しながらも、状況に応じてそれぞれ別チームのライバル同士が助け合ったりするからである。エースがパンクすればアシストが車輪を貸してくれるし、回りに誰もいなければ、黄色いマビックカーのような、ニュートラルサービスカーの世話になることだってできるのだ。
勾配10%を越えるような坂を上っていって、そこに見つかる隠れ里のようなところ。丘陵地帯のなかに点在する村。海辺にようやく貼り付いているような漁村。そのような場所に惹かれるのは、それが自転車の世界にも似た「小さな円環」の無言の表現であるからかもしれない。
その集落を作った当時の先人たちの意識には、おそらく芸術的な意図も恣意もない、生きるための方策だったろう。だとすれば、人々をして、自然にそのような刻印と改変をもたらそうとしたものは、人間を超えた存在だったのかもしれない。
われわれの時代は、多く、切り開いた山の斜面に、人々が住むためだけの巨大な住宅地や、生産のためのだけの工業団地などを作り出した。それはおそらく、「小さな円環」が内在させていた、ミクロながらもある程度の全体性を持った衣食住の機能とは、大きく異なるものの象徴と思われる。
正直に言えば、私はそういう「大きな円環」のもたらした無機質な風景にすら、一種の奇妙な感動を覚えることさえある。ただ、われわれの後に来る世代に、「これがわれわれの作り出した世界なのです」と堂々と置き土産ができる気分になるかどうかは、相当に疑問だ。
もしかしたら、人は、新しい風景を創り出そうなどという、大それた望みは持つべきではないのかもしれない。われわれは、先人や自然や人間を超えたものが、大地に残したり、刻印していったものを読み解こうとするだけで、いまのところは手一杯なのだ。
( 【飯稲記】白鳥和也さん )