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執筆者プロフィール

白鳥和也

1960年静岡県生まれ。小説家・エッセイスト・自転車文学研究室主宰。
最近、念願の小説本『丘の上の小さな街で 白鳥和也自転車小説集』(えい出版社・えい文庫)を上梓。そのほか著書は『自転車依存症』『素晴らしき自転車の旅』(以上平凡社)』など。自転車の旅と書物と米のご飯をこよなく愛する中年男。
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目次
其の一 どんぶり的風景
(C)Kazuya Shiratori
(C)Kazuya Shiratori
米の飯が好きなのだ。それはもう好物というものにはきりがなく、どれが一番どれが二番、三番という順位をつけるのも難しいくらい旨いものがたくさんあるのだけれど、私の場合、それらの大半は御飯との組み合わせにおいて妙味を発揮するものなのである。
 うな重なんてのも、その筆頭格にあたるもので、あのぷりぷりふわっとした鰻の身の食感や、甘辛いタレの得もいわれぬ香ばしさなどは、飯によってこそ下支えされるものではなかろうか。飯とおかずの妙なる重奏の原型こそ、こういう様式ではなかろうか。
 そのように飯好きは、必然的にどんぶりもの好きになるのであって、それこそ学生時代、独身時代は、どんぶりばかり食っていたような気がする。
 学生時代に住んでいた国立(くにたち)の某ラーメン店の特大しょうが焼き丼、国分寺駅北口の雑踏のなかの店にしばし通った安いうな丼、あちこちでいったい何食たべたかわからぬ夜明けの吉野家の牛丼、初めての店ならとりあえず頼んでみるカツ丼、信州に行くたびに脳裏に浮かぶソースカツ丼、生まれて初めて全部食いきれなかった某店の海老かき揚げ丼などと、B級食道楽のメニューには丼、という文字が付いて回るのだ。
 もちろん外食ではつねにどんぶりを食べていたのではなく、同じくらい定食の類も食ってはいたのだが、なぜかどんぶりというのは、切実に、本源的に、食欲に訴えかけるものがある。野菜もちゃんと食わにゃああかんよ、ということでさすがに三十代に入ってからは、どんぶりばかり食う傾向は少なくなったものの、外食生活において、そういう傾向が強かったのはなぜか、と考えてみると、思い当たる食の記憶がひとつある。
 

 
 最近、昭和30年代や40年代の時代の風潮や風物が取り沙汰されることが多い。当の食に関する記憶もその頃に遡る。小学校に上がる前だから、昭和39年か40年くらい。二軒長屋の畳部屋にちゃぶ台置いて、家族で朝餉夕餉をそろって食べていた日々のことである。その頃の私の好物、というのが、「油漬け」という代物であった。今で言うなら、シーチキンのフレークの缶詰と言った方が、はるかに通りがいい。トンボマグロの身をほぐして油に漬け、缶詰にしたものだ。
 

 
 それを皿に広げて、醤油をさし、箸でつまんで茶碗の御飯の上に乗っける。それだけなのだが、これが美味しい。単純な味で、だから幼稚園児の私も容易に虜にされたのであろうけれど、少ないおかずでたくさんの飯を食えるという経済比率もなかなかのものであった。こういうマグロの缶詰というものは、どうやら戦前からすでにアメリカ向けの輸出品として成功したもののひとつであったらしい。
 にしても、茶碗の上に白い御飯が乗り、そこから立ち上がる湯気のなかに、ほんのり醤油の色に染まった「油漬け」の身が乗るというのは、今もってしても、私にとってごはんの原風景なのである。
 それがあるとき、どういうわけかその食べ方の手順が気になるようになった。それまでは別に何も気にせず、それが当たり前だと思って、おかずであるところのマグロのフレークを銀シャリの上に乗っけて、いっしょに箸で口の中にかっこんでいたのだが、もしかしたらこれは品のない食い方なのではなかろうか、とふと、思ってしまったのである。まだ小学生の時分だったと思う。なにがきっかけでそんな風に考えるようになったのか、皆目記憶がないのだけれど、ともかく、ふむ、一度箸でつまみあげたおかずを御飯の上に乗せ、要はその部分だけミニどんぶりのようにして、まとめて口の中に運んでいたことが是か非か、と考えてしまったのだった。最初に口のなかにおかずを運んで、それから御飯に箸を伸ばすというのが本筋ではなかろうか、としばらく悩んだ。
 で、今どうしているかというと、やっぱり多くの場合において、その、どんぶり的食べ方を継続している。あらためてかみさんに意見を聞いてみたら、汁物で油がたれやすいんだから、御飯の上に乗せた方が合理的だしマナー上も望ましいんじゃないの、という説であった。まあ一理ある。つゆだくなおかずは、そうしても良いのだ、という解釈である。パンでシチュー皿を拭いて食べてもいいのだということと、一脈通じることなのかもしれない。
 

 それにしても、私のように、御飯の上に缶詰のマグロの油漬けが食の原風景だというのも、いかにも高度経済成長期の風物という気がする。もちろん何も毎食缶詰を食べていたのではなく、焼き魚だって、フライだって、煮物だって食わせてもらっていたのだけれど、なぜか、その醤油にうっすら染まった肌色の身と御飯から立ち上ってくる湯気が、飯を食べることの記憶の根底に横たわっている。
 それから40年もの月日が流れ、さすがに中年となった今は、炭水化物のとり過ぎによるもろもろの問題についていささかなりとも教育されてきたので、昔のようにどんぶり飯をどかどか食べることはなくなり、一膳めしに準ずる食べ方をするようになった。油と醤油のしたたるマグロの代わりに、たくあんや豆腐や納豆を、飯の良き友とするようになった。かつ丼だって、最近はせいぜいひと月に一度ぐらいしか食べない。
 そのようにある種、食が枯れてきてはいるのだが、そのせいかむしろ近頃では、御飯というものの存在のありようをいくらかは意識せざるを得ない。生意気で愚か盛りの若い日々には、旅をしても、眼に見える風景だけを見ていた。地面の上だけを見ていた。そうしていちいち区別していた。あれは見事、これは美しくない、ふむ感心だ、いやひどいね、来た甲斐があるものだ、まったくやれやれだね、という感じである。
 トッピングだけを見ていたのだ。いわば、どんぶりの上に何が乗っかっているかだけを気にしていたのである。
 しかしどうやら、肝心なのは、下支えするものにこそあるらしい。風景で言えば、地面と大地、どんぶりもので言えば、御飯そのものである。主なる食そのものである。
 極東のモンスーンの島国に生まれて実にありがたかったと思えることのひとつは、私の場合、間違いなく、米の飯が食えるということなのだ。別にパンが苦手というわけではないし、麺だってかなり喜んで食べる。それにしても、飯がなければ始まらないのだ。だから、仲間と自転車のツーリングに出かけて、一日走り終えて宿に入り、さて畳の上で食卓につき、乾杯しても私の場合はせいぜいビールがコップ一杯、がいいところだ。
 たいがい自転車の旅を好むような人は、酒飲みでもあるから、ただのツーリングではなく、酒を持ち込むような会の場合、いろいろ地酒だ、吟醸だ、杜氏だとかの談義が始まるのである。こちらは哀しいことにそういう文化がないので、ふむふむと頷きながら、ただ顎を動かしている。食い物に特別造詣が深ければ、お、この漬物は出来が違うね、ということでも言って見せるのだろうが、もともと多くのものが旨く感じられる性質で、しかも自転車で一日走った後ならば、不味いものを探す方が難しい。

 ついせんだっても、自転車関係のことでさるところに泊り込んだとき、山芋の汁や、すき焼きなど、いろいろ心尽くしのうまいものを食わせていただいてから、炊きあがった御飯の茶碗を握りしめてむしゃむしゃやっていたら、日本酒に詳しい自転車の友が言った。やっぱり御飯好きですねえ、と。悔しいので私は彼の目の前にある、銘酒の瓶を指して言った。おんなじじゃないか、どっちも米なんだから。 

2010/1/19 10:45 投稿者: yhonda (記事一覧) [ 4584hit ]
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