場末の米屋がいつしかライフワークになったスイハニング(炊飯)のルーツへの探求。
今現在見知った中で空想した仮説を夜な夜な書いてみました。
スイハニングのルーツを探る旅 2 の続き
やむをえず食べることになった木の実が、この技術によって食糧の一握を担うことになり、
その後、縄文という長い時間をかけ技術が研かれていったのではないだろうか?
そんなライフスタイルが醸成されていた縄文晩期のある日、
ご先祖たちの前に見知らぬ顔立ちの人たちが持ち込んだ「稲」と出会う。
栽培技術と共にやって来た稲は、ちょっとしたブームになったのではなかろうか?
稲は北海道を除く列島各所に、わりと短時間で広がった。(その一部は廃れる地域もあり続縄文へ)
つまり木の実を美味しく、エネルギー効率良く調理する洗練された技を持っていた縄文人のところへ稲の種子「米」がやって来た。
その時、米を喰ったご先祖たちは、きっとこう思ったのではないだろうか。
「木の実に比べたら、どうってことね~な~」
アクもなく少ない燃料であっという間に消化吸収できるデンプンに調理できる、
はるかにやさしい植物種子だったと感じたに違いない。
とはいうものの、主食を担うだけの量を確保するには高い栽培技術に加え、長い時間と労働が必要だった。
一万年以上かけてニッポン列島の豊かな自然の中で狩猟採集+ちょっぴり栽培で
暮らしが成り立たせてきたご先祖さんたちが、わざわざ労働環境を変えてまで農耕ライフにシフトするとは考えにくい。そもそも「労働」という概念も持っていたかどうかも怪しい気がする。
本格的に稲作が始まるのは精緻な土木技術によって生まれた洗練された水田稲作が始まった頃のこと、
その社会的変化を称して弥生時代と呼ぶことになるのだが、
その時、ご先祖さんに何があったのか?
ライフスタイルを変えたくなっちゃった何かが「米を喰う」中に潜んでいる気がしてならない。
つづく
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画像上:松坂屋静岡店の初売りイベントで5釜連続で玄米食専用品種カミアカリをスイハニング(2017)
画像下:サケやマス類を煮炊きしたと考えられている世界最古の煮炊き跡のある土器(北海道帯広市大正遺跡出土)