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美しい多様と醜い多様。
 
 
カミアカリの勉強会を手伝ってもらった若人ふたりと田んぼへ。
一人は大学生のIくん、もう一人は米屋のMさん。
ふたりとも松下の田んぼを見るのは初体験。
いつもの定点観測ルート、あさひの夢の田んぼから一枚一枚見て歩く。
 
 
葉色
株間
茎数(けいすう:茎の数)
幹の長さ
雑草の具合
畦まわり
水の入口と出口
etc
 
 
田んぼのウォッチングポイントを見ながら、
それらと同時に田んぼ全体から発せられる雰囲気を感じてもらう。
そこから、いい状態とそうでない状態について、なぜそうなのか?について対話する。 
途中、松下をクルマで拾い、4人で見て歩く。
対話に少し講義っぽさ加味された。
 
 
これ、今年の見つけた中でいちばん面白い突然変異なんだ。
 
と、言って松下が見せてくれたのがカミアカリの田んぼ、一株の中の一本の茎、そこから伸びる葉っぱだった。
斑入りの葉。その斑はかなり大胆で葉の四分の三くらいが色素が抜け白くなっている。 
たった四分の一の緑で光合成している。
その証拠にちゃんと出穂し籾も通常どおり付いている。
ただ、その籾にも点状の斑があった。
この他にも通常よりも葉の長い風変わりな突然変異を僕らに見せてくれた。
 
こういう突然変異はけっして特別なことではなくごく日常的に田んぼの中で見ることができる。
しかし、それに注目する人は少ない。たとえ稲作農家であっても気がつかない人は気づかない。
また気づいたとしても、それ以上に興味を持たないのがふつうなのだと松下はいう。
 
 
そもそも多様がふつうなんだ。
 
 
稲だけでなく、生命とはこうして常に様々なバリエーションを生み出し可能性を増やし続けるもの。
環境の変化による壊滅的な被害を受けてたとしても、
種の中のどれかの個体が生き残る可能性をこうして生み出していると考えれば多様であることは強さなのだ。
斑入りの個体に何の意味があるのか?と問われれば、即座には答えに窮するが、
松下が気に入ることで彼のコレクションとしての種の保存を考えたとすれば、稲の強かさも想像できよう。
まあ、これは僕の空想なのだけけれど・・・笑。
 
 
多様といえば、この界隈の田んぼは別の意味で多様性に富んでいる。
あまり喜ばしいことではないが、あまりコンディションがよいとは言いがたい多様な田んぼを見ることができる。
これらは反面教師的な意味を持って我々に稲の生命生理を教えてくれている。
 
台風どころか強風さえ吹いてないのに全面倒伏している田んぼ。
雑草を栽培しているとしか思えないような荒れた田んぼ。
田植えしたっきり一度も田んぼへ来なくても実る不思議な田んぼ。
言えばきりがない・・・。
それもこれもすべて現代稲作の一部であり、生まれた米は静岡県藤枝市産まれなのだ。
稲は生命の歩みを止めることなく種(米)を生む。
その強かさは半端でない。
 
 
美しい多様と醜い多様。相反する多様。
ふたりの若人はこのことに気づいてくれただろうか。
 
 
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画像上:真夏の田んぼ気温35度、畦端の講義は暑い陽気と同じくらい熱い。
画像中:斑入り葉のある稲
画像下:ノゲのある稲は現代稲作では不必要とされるが、その美しさに惚れ惚れする。松下コレクション圃場にて。
 
2013年08月18日 [ 6415hit ]
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