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旅する羽釜 2 [地図表示]

 

2013年7月8、9日、フランスのシャンパーニュ地方にある中世の古城、フェール城で行われた能フェスティバルに参加し、羽釜スイハニング(炊き)、おむすびをつくってきました。これはそのレポートです。
 
 
 
旅する羽釜 2
 
 
そもそも何でフランスに行くことになったのか?と、聞かれると言葉に詰まる。
行きたくなったから、と言うのが正直なところだ。
 
 ESI、エクストリーム・スイハニング・インターナショナルは、今から4年前にカミアカリドリーム勉強会(以降:カミドリ)のコアメンバー、そのまた有志のスピンアウト企画として始まった。巨大胚芽米カミアカリは玄米食専用品種、4産地4人の生産者が存在し、それぞれが異なる風味を持つ稀有なお米だ。その持ち味を再現するには、ちゃんとした炊飯が求められた。
 
カミドリのコアメンバーで炊飯担当の小谷さんはそれを実践する中心人物。そんな彼は年2回行う勉強会で試食用に出すカミアカリを炊いた後、「またもやエクストリームスイハニング(極限炊飯)でしたね〜」という切羽詰って炊くその状況をこんな風に冗談交じりに言うのが彼の口癖だった。
 
その頃、メンバーの間では、まだカミアカリを食べたことのない人に、カミアカリを食べていただく機会をつくろうという機運が高まっていた。だけどこれを大真面目にやるのは、どうも粋でないと思った小谷さんは、ちょうどその頃から各地でイベントが増え始めた機会を利用して、カミドリとしてではなく別のチームを仕立てカミアカリを炊飯し食べていただくことを考えた。それがESI(エクストリーム・スイハニング・インターナショナル)というわけだ。
 
なぜ「インターナショナル」付いたかと言うと、僕がESIのロゴをデザインをしていた時、羽釜と共に「しゃもじ」もイラストを入れたくなってしまい、そのフォルムがアルファベットのIの文字に見立てしまったことからIが頭文字となる単語、つまりInternationalを採用したという、じつに安易な選択だったのだ。笑。
でも、その時、ちょっとだけ夢想したことがあった。羽釜担いで、ニッポン人が考えた複合加熱調理技術「炊飯」をしながら世界中を旅する。これは、めっちゃ面白いだろうと。世界中の米を炊きながら旅をする。逆にまたカミアカリを旅先の人が食べてもらったらどんなに面白いことだろうと・・・。
 
話を戻して、そのESIが何でフランスに行くことになったのか?でしたね。
その理由は「能」にある。
そもそも能の起源は田楽と言われている。つまり稲作労働のお囃子がはじまり。
今回ご縁をいただいた能楽囃子方 大倉流小鼓方十六世宗家 大倉源次郎さんとこのミッションの前、駒形通りの喫茶で能と稲作の深い関係について対話した時にとても共感した。 つまり、稲作によって日本列島に住むことになった多民族の先人たちがニッポン人という共通のアイデンティティを共有できるようになったこと。それによって文化が培われてきたこと。その象徴として、能があり、食文化として米がある。このことについて多くの人に気づいてもらうために今回はとても良い機会だと考えたからだ。
 
また、静岡という地は能に深い縁がある。能の演目で有名な「羽衣」は三保であるし、能の祖、観阿弥の最後の舞台となったのが我が家から歩いてたった10分ほどにある駿河国総社静岡浅間神社であること。
 
奇しくも今年は観阿弥生誕680年、世阿弥生誕650年の節目の年、フェール城で行われる「Festival de No 能フェスティバル」はそれを記念して行われるというのであれば、代々稲作文化に関わりなぜ稲だったのか?を日頃から考えている僕が行きたくなる気持ちもわかってもらえるだろう。
 
それに、個人的な話しではあるが、僕の祖父は観世流の門人だった。米を商いながら鼓を嗜む人だった。その祖父がなぜ能だったのか?それを知りたかったことも旅で出る理由でもあった。
 
 
 
 
パリ東駅を出たフランスの新幹線TGVは麦畑と牧草地が延々と広がる中を高速で疾走する。
8:44ランス駅着。空は青く、空気は乾いている。眩しい。堪らずサングラスをかけた。
ここは稲作文化圏ではないことを肌で感じた。今日は暑くなりそうだ。
 
 
つづく
 
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画像上:祖父が愛用した小鼓
画像中:パリ東駅、TGVの出発を待つ。
画像下:ランスの中心街
 
 

 

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住所france reims
2013年07月22日 [ 6256hit ]
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