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10月10日号 収穫直前、台風22号襲来で一言。の巻

 よく田圃を見て「すばらしい自然の風景ですね」と云う人がいる。しかし田圃とは人工的な風景そのものである。では何故、田圃の風景を自然の風景と云わせたのか?それはそこに調和があるからだ。ただし調和を感じる田圃がどれだけあるだろうか?

こんな大型台風が来るとあちこちで倒伏する稲をよく見かける。よっぽど猛烈な風ならいざ知らずミステリーサークルさながら(あんなにかっこう良くないけど)に豪快に倒れている。その原因の多くは風雨よりも稲の肥満によるものだ。少しでも収量を増やそうと密集した田植えとこれでもかというほど大量の肥料の投入・・・。そんな育ちをした稲の姿は悪い。病気とまではいかないものの顔色の悪い人間同様に食べ過ぎ飲み過ぎの傾向がそこにある。稲の姿が良いのは健康な証拠。「車で走っている時に姿が良い稲を見つけるとその生産者とはなしをするよ」と松下くんは云う。どんな作りをしているかと聞けば有機栽培、慣行栽培(農薬、化学肥料を使う)どちらの方法にしても痩せた田圃か痩せさせた田圃である。痩せさせたと云うと人聞きが悪いが、要するに栄養分が少し足りない気味の田圃なのだ。以前から云っているとおり稲自らが必死になって栄養を求め、求めることによってしっかりとした根をはり、その根から吸収した栄養分とその田圃に降り注いだ太陽エネルギーに見合っただけ子孫を実らせる。そんな環境下の稲が姿の良い健康な稲なのだ。逆にたっぷりの栄養のある田圃ならば根を張る必要がない。根を張らずとも大量の子孫を作ることができるからだ。稲にとっては夢のような世界がそこにある。しかしそこに落とし穴がある。大量の子孫を実らせトップヘビーになっている上に足腰がひ弱なそれら稲は台風が襲来すればあっという間に倒伏する。倒伏する稲の多くは台風のせいだけではなく稲そのものにあるというわけだ。

要するに田圃における収支のバランスなのである。過剰な投資はバランスを狂わせる。バランスされたその姿はそこに関わる様々な事柄の調和である。自然とは究極的な調和そのものである。だから調和のある田圃は自然なのである。人間の関わり方によって調和もするしまたその逆もある。ネガティブな要素だらけの環境問題であるが、そこに未来への光明があるようにも思える。田圃を見て「すばらしい自然の風景ですね」という未来が。


姿


すすき


垂穂


登熟

今回のNOISY(ノイジー)

※ノイジーとは・・・
このコンテンツ2004のテーマは「この風味を作るもの」松下くんの手掛けるお米の持つ独自の風味の謎を探るキーワードです。くわしくは4月25日号「この風味を作るものは何か?の巻」をごらんください。

台風通過翌日に見つけたアブラムシである。たかがアブラムシ。されどアブラムシ。害虫呼ばわりされてばかりいるがよく見るとその姿はとても美しい。この田圃ももうすぐ稲刈りだ様々な生命の宿る田圃で育った米の風味をぜひ体感してほしい。「アブラムシ君、来週あたりからそろそろお引越しの準備をお願いしますね」
台風通過翌日に見つけたアブラムシである。たかがアブラムシ。されどアブラムシ。害虫呼ばわりされてばかりいるがよく見るとその姿はとても美しい。この田圃ももうすぐ稲刈りだ様々な生命の宿る田圃で育った米の風味をぜひ体感してほしい。「アブラムシ君、来週あたりからそろそろお引越しの準備をお願いしますね」
2004年01月27日 [ 3600hit ]
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