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ARTORO アートロ あー登呂

 

 

なぜ米を搗くのか?

なぜ米を研ぐのか?
なぜ米を水に浸すのか?
なぜ一日三食なのか?
そもそもなぜ米なのか?
 
あたりまえだと思っていることを今一度考え直す。
なぜをやり直したい。
 
今年、登呂遺跡でワークショップを行います。
連続7回講座「土がぼくらにくれたもの」
美術家、陶芸作家の本原玲子さんの発案にアンコメ店主も共鳴しました。
同じように共鳴した仲間たちで講師を勤めます。
 
なぜを問い直すことで別の人の暮らしと営みの歴史があったかもしれない。
震災の時、あの忌まわしい大事故が起こった時にふと思った。
そもそも、なぜこういう選択を先人たちはし、僕もしてきたのか?
何を欲し、何と縁を切って来たのか?その理由が知りたい。
良かったことも、そうでなかったことも、分け隔てなくきちんと見つめ直したい。
そのためにはどこへ行けばいいのか?どこまで戻ればいいのか?
 
それは弥生時代だと思った。
 
稲作が定着し余剰が生まれ分業化していくその始まりの頃。
我々が生きてきた社会基盤の黎明期はこの頃なんだと思った。
そこである日、身近にある登呂遺跡を訪ねたのだ。
 
復元住居の中、台付き甕型土器(レプリカ)での赤米の調理の過程をじっくり見、そして食した。
その調理は「炊飯」を学んでいる僕の目には「炊く」には見えなかった。
だとすれば「炊く」とはいつから始まったのか?
 
「炊飯とは何か?」を僕が知らなければ、
この台付き甕型土器による米調理を「炊く」と言っていたに違いない。
 
たぶん多くの人は、日々の一つ一つについて見ているようで見ていない。
考えているようで考えていない。
日常化した作業のあれこれについて、「そもそもこれはどうだったのかな?」なんてことは考えることはないだろう。
ひとつだけ救いなのは、複雑に分業化された社会の中の自らの担当部分ついては見ているし考えてる。
僕が「炊飯」を知っていたように。
 
そういうバラバラになった目を今一度参加者全員でつなげると何が見えて、何に気づくだろうか?
5月19日から始まる全7回の講座「土がぼくらにくれたもの」では、土で稲を育て、土で器を作り、土器で調理し食す。
田んぼからお茶碗まで、稲作と共に半年間、「なぜ」をやり直そうと考えています。
 
 
連続7回講座
土がぼくらにくれたもの
 
第1回
5月19日(日)13:00-16:00
『土の製造元は、地球!〜土の採取・人と土のなが〜い関係〜』
 講師:本原玲子
第2回
6月9日(日)13:00-16:00
『土で、米を作る。〜米は種。なぜ撒かないの?〜』
 講師:青木嘉孝
第3回
7月7日(日)13:00-16:00
『土で、稲を育てる。〜田んぼにも個性がある〜』
 講師:長坂潔曉
第4回
8月4日(日)13:00-16:00
『土で、器を作る。〜田んぼの土が焼きものになる?〜』
 講師:本原玲子
第5回
9月8日(日)13:00-16:00
『土で、作った楽器で遊ぶ。〜きもちを音で伝える〜』
 講師:菊池保朗、本原玲子
第6回
10月20日(日)13:00-16:00
『土で、育った稲を穫る。〜穂刈りと脱穀〜』
 講師:本原玲子
第7回
11月17日(日)10:00-16:00
『土からの恵みを、食べる。〜野焼きと収穫祭〜』
 講師:長坂潔曉、本原玲子
 
申し込み受付:4月20日〜5月15日
対象:小学5年生以上30名
詳細、お申し込みは登呂会議委員会事務局まで。
 
 
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2013年04月23日 [ 6182hit ]
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