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5月9日号 多すぎず少なすぎずが肝心 の巻

 「この辺(志太平野)は抜けがいい、良い米ができる土壌なんだよな・・・」と大型連休明けの雨降りの日曜日、作業小屋で肥料づくりと機械のメンテナンスをしながら松下くんは云った。大井川の扇状地であるこの平野の土壌は水はけがいい土地。裏返せば肥料分の抜けが早く稲にとっては常に満腹感のない田圃というわけだ。だから稲が必死になって足りない栄養を求めて根を張り強くなる。強くなるから病気になりにくい健康な稲となる。健康な稲からは健康な子孫(米)が生まれる。健康な米は旨い米なのである。この土地が古くから良質の米ができる産地と云われる理由はこんなことからだ。

人は誰でも旨い米をたくさん作りたいという欲求が必ずある。だから解っていても人はついつい過保護になり必要以上に土壌に介入してみたり、隙間なくたくさんの苗を植えみたり、必要以上に肥料を投入したりする。知らず知らずのうちに過保護になっているのも忘れ気が付くと病気にかかり薬に頼る。食べ過ぎれば太り、病気にかかりやすい体となる。かといって食べる物が不足となれば生命の生死にかかわり子孫を残すどころではない。要するに多すぎず少なすぎずが肝心なのである。人の健康と同じことなのである。

この土地の土壌はそういった人の欲求を見透かしたように多すぎず少なすぎずを自然にコントロールしてくれるじつによくできた土壌なのだと松下くんは云うのだ。しかしそれは化学肥料が登場する以前のはなし。多くの人は抜ける栄養分以上に化学肥料という打ち出の小槌を乱用し、元来備わった土壌の特性を信じず相変わらず過剰に介入し、相変わらず隙間なく田植えし、病気を呼び、やっぱり薬に頼る。そのような稲作には金が掛かる。そのわりには見入りが少なくいつしか田圃を放棄する。放棄された田圃は埋め立てられ宅地化されていく。水田の美しい風景がなくなり毒々しい看板が立ち並ぶ寂しい風景となる。

欲求だらけの煩悩星人の僕が云うのもヘンなはなしだが、欲求の指向性が間違っていると思うのである。とりたて信仰心というものもない、どこにでもいるような僕でも田圃へ4年も通えば少しは気が付くことなのである。欲求の指向性をほんの少し正しい方向へ向けるだけでこれまで感じたことのないほど充実した満足があるはずなのに、どうして人はヘンテコリンな方向へ足を踏み入れてしまうのだろうか?雨の中、モザイクとなった田圃を眺めながらそんなはなしをした。

■松下×安米プロジェクト2004田植え体験会参加者募集■
今年も昨年同様に田植え体験会を企画しています。5月30日(日)8:30〜12:00
(雨天決行)です。ご興味のある方はご参加ください。詳しくはお問い合わせください。


'04苗


足もと

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土壌

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語る

今回のNOISY(ノイジー)

※ノイジーとは・・・
このコンテンツ2004のテーマは「この風味を作るもの」松下くんの手掛けるお米の持つ独自の風味の謎を探るキーワードです。くわしくは4月25日号「この風味を作るものは何か?の巻」をごらんください。

代掻き前の田圃に落ちていた松ぼっくりである。屋敷林からこぼれ落ち風で運ばれてきたのか?それとも近所の子供が投げ入れたのか?広い田圃のほぼ中央部に落ちていた松ぼっくりである。これもまたいづれ土中の細菌類によって分解され少なからず稲の栄養となり微量ながらあの風味のエッセンスとなるはずだ。
代掻き前の田圃に落ちていた松ぼっくりである。屋敷林からこぼれ落ち風で運ばれてきたのか?それとも近所の子供が投げ入れたのか?広い田圃のほぼ中央部に落ちていた松ぼっくりである。これもまたいづれ土中の細菌類によって分解され少なからず稲の栄養となり微量ながらあの風味のエッセンスとなるはずだ。
2004年01月27日 [ 3601hit ]
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