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登呂のええ感じ。

 

 

弥生時代の遺跡、登呂遺跡から出土した土器、台付甕型土器。
そのレプリカを美術家で陶芸作家の本原玲子さんが作った。
ぼくはそのひとつを借り実験をはじめた。

 

一般的には・・・、
登呂村の人々はこの土器を使い米を「炊いていた・・・」。と説明される。
しかし、この時代にはまだ「炊く」はない。

 

「炊く」とは、煮る、蒸す、焼くを連続的に行う複合加熱のことをいい、この技術が生まれるのは江戸の中期とされる。

登呂の人々は、この蓋のないこの土器でどんな風に米を調理していたか?
僕は単純に米と水を甕に入れ、煮詰めていき、かた粥の状態にして食べていた・・・と想像した。
じっさい登呂遺跡の復元住居で行われている再現調理でも煮詰めていく方法を見学者に披露していた。
つまり僕も、きっとそんな風であると実験前までは思っていた。

 

しかし実験してみて、「ん?」と感じた。
つまり僕は、「教科書的な答えを知りたいわけじゃない!」ってことに気づいたのだ。
それにこういう答えの出し方、考え方は、現代人的「ええ感じ」と、弥生人的「ええ感じ」を、同じ価値観上(ルート上)の

今昔で考えているような気がしてならないしと思えた。

それに、どこか上から目線な気がしたのだ。

それが違和感みたいなものとしての「ん?」だった。

 

弥生人の「ええ感じ」はぜんぜん違うところにあるんじゃないか?
だとすれば、ここはひとつ学術的な根拠なんてなんにもないけれど、

大昔、静岡市駿河区登呂村に住んでいた大先輩の「ええ感じ」を探しに行く、教えてもらう気持ちを胸に、

この土器と付き合っていきたいと思っている。

 

はてさてどんな景色が見えてくるやら・・・。
続きはボチボチと。

 

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画像上:

棚田のイベントでごはん炊きをしたあとで、はじめて使ってみた。できたのはなんとリゾ。きもちアルデンテ。つまり炊飯的に言うところの早切れ。デンプンのアルファ化だけが答えじゃないはずだ!に気づく。
画像中:

台付甕型土器レプリカ。美術家で陶芸作家の本原玲子さん製作。
画像下:

表面に付いた煤がとても美しい。きっと使うことでどんどん美しくなっていく。道具としてのパーソナリティもどんどん出そうだ。

 

2012年09月10日 [ 5460hit ]
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