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水田徘徊 茨城奥久慈大子町。

 

八月六日、七日。

 

磐越自動車道から東北自動車道へ白河ICから国道へ。
見る見るうちに雲行きが悪くなり土砂降りの雨となる。

 

稲妻。夕立。

 

奥久慈に入る頃、雨は止んだ。
夏の北関東、僕が訪ねる時はいつもこんな風、一気に涼しくなった。
これがあるから良質のお米が生まれる。
日中照っても夜温が下がれば稲はきちんとデンプンを胚乳に運ぶ。つまりちゃんとしたお米が生まれる。

 

田んぼ周りは翌朝から。
震災時に破損した用水路が完全復旧していない箇所の水のコントロールに若干苦労が見えるとはいえ、
大久保さんの稲はどこも素晴らしいコンディション。
反収7俵前後の稲はほんとうに姿良く気持ちいい。
これから45日ゆっくりと登熟していき黄金色になったら、さぞや美しいことだろう。

 

「云ってもしょうがねェ・・・そりゃさァ、なんにも出ないことを願ってるさ。ただやるだけだよ」
大久保さんのお父さんがいつもの照れた表情こんな風に云った。

 

ここはあの原発から距離にして100キロちょっと。
稲は例年以上にいい出来。
それに人の暮らしも、風景も、いつもと変わらない。
現実味がなく実体のない心配、その悶々としたものが付きまとう。
それは直視しようにもどう理解していいのかが戸惑うばかり。
だから云ってもしょうがないから、ただやるだけだと・・・。
大久保さんはもとより僕らだって初めての経験。
多くのニッポン人が今そういう悶々とした空気の中で暮らしている。
だから今できる目の前の仕事や暮らしを淡々とやるほかない。

 

腹をくくる。

 

いつかはそういう地点に立たなければ次のステップはない。
0地点。それは諦めの地点ではなく出発点。
大久保さんや会津の菅井さんはすでにその0地点に立って23年産と向き合っている。
僕にはそう見えた。
彼らにはこの土地で代々培ってきた経験と技術がある。
それを信じ秋を迎えたい。

僕にとっての0地点はそこかなと思った。

 

帰り際、大久保さんのお母さんお手製の夏野菜をお土産にと手渡してくれた。
ダンボールいっぱい。仲間の分もいただいた。
帰ってからその野菜を食べた。
夏のいい香りと味がした。
_

 

画像上:大久保さんのコシヒカリ。今年はいいそ!
画像中:大久保さん(右)と松下。稲の生命生理について話は尽きない。
画像下:ここにあるほとんどがアンコメにやって来る。手前がやや青いのは用水路破損で水の流入が止まらないため。

2011年08月13日 [ 3720hit ]
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